さて、昨日の続きであります。

ココで書くのんもアレですが、わしも過去に「椎間板ヘルニアの一歩手前」まで行ったことがあります。もう日常生活に支障はありませんが、10代の頃に「30代後半の腰やね」と言われた時はそらぁショックでしたか。

それとは関係なく、昨日の続きです。せっかくやりだしたので。




光さす方へ Bs伊藤の闘い㊥
細る足 懸命にリハビリ

寝返りが打てないのだから、熟睡できるはずがない。それでもオリックス・伊藤光(21)は希望を抱いて眠りについた。朝目覚めると現実は変わっていない。「あきらめから、一日が始まる感じだった」

3か月で復帰できると聞き、2009年4月、腰椎ヘルニアの手術を受けた。だが、自由が利かなくなった左ふくらはぎがやせ細って行くのを見ると、さすがに気持ちが萎えた。夏のある日、失意の伊藤に温かい言葉を掛けたのは当時の古屋英夫二軍監督(55)だった。「いくら長引いても大丈夫。リハビリに費やしたらいいんだぞ」。二軍のコーチはすれ違う度、「ゆっくりやれ」と励ましてくれた。

秋には足のしびれが消えた。トレーナーの勧めで、気分転換を兼ね、グラウンドに出ることになった。外野の片隅で、20メートルのキャッチボール。足が踏ん張れず、ノーバウンドで届かない。苦笑いするしかなかったが、仲間と同じ場所にいられることがうれしかった。

優柔不断と自己分析する伊藤だが、こと野球となると別人になる。「どんなことがあっても、前向きですね」。手抜きしない真面目さ、他球団が野手として獲得を検討したほどの高い身体能力が窮地で生きた。投げる距離を徐々に伸ばし、冬には軽いランニングが出来るまでになった。トレーニングコーチの本屋敷俊介(35)は「弱音は吐かない。普通なら、もっと時間がかかったはず」と驚いた。

年明けには片方の膝を地面について、捕球態勢が取れるようになった。昨春のキャンプではブルペンにも入った。投手の生きた球を肌で感じ、心が躍った。

気掛かりは、筋肉がそげ落ちた左ふくらはぎだった。1か月間で10軒の病院を回ったが、どこでも「時間をかけて治すしかない」と言われるだけだった。

ひたむきな姿が、トレーナー陣を動かした。復帰を首脳陣に進言。打撃で出塁すれば代走を送り、パスボールしても急がず処理するなどの取り決めがなされた。

昨年5月29日。二軍戦の終盤に出番が来た。ホームベースから眺める内外野の景色は格別だった。6月5日には初安打。「三振だけは嫌だ。初球を狙おう」。左翼線に打球を運んだ。ゆっくり一塁にたどり着くと、ベンチで総立ちで拍手する仲間が見えた。抑え込んできた感情があふれ出た。万感の涙が頬をつたった。

伊藤を後押しする風が吹き始めた。何気なく見た夜のニュースが、脊髄損傷者の専門トレーニングジムを紹介していた。08年北京パラリンピックで金メダルを獲得したプロ車いすテニス選手、国枝慎吾(26)が半年の訓練でつえをついて歩けるようになったと言う。事故で車いす生活となった6歳の子供はつかまり立ちするまで回復した。伊藤はその映像にぐっと引きこまれた。



明日で終わりかな。それか来週月曜日かな。何にしろ、感想は最終回の時に…。


以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
にほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへ にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログへ
2011.01.28 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://kugyousou.net/tb.php/474-865cb140