さて、昨日の夕刊で「懸ける」のコーナーは終わってしまい「大阪版やのにオリックスは蔑ろか」など思ってたんですが、今日から全く別のコーナーで、バファローズの、ある選手を取り上げてます。




光さす方へ Bs伊藤の闘い㊤
勝負の2年目 腰に異変

水も漏らさぬプロ野球のスカウトをもってしても、捕手の人材不足は悩ましい問題と言う。有望株を獲得しても育成には時間が掛かる。2008年、新人で二軍の開幕戦に抜てきされ、秋には一軍出場。伊藤の種発点には、首脳陣の期待が表れている。

父は元球児で、母は長距離ランナーだった。遺伝子を受け継いだ伊藤は5歳で高給を荷繰り、リトル、ボーイズリーグを経て愛知・岡崎市から高知の名門・明徳義塾へ。野球どころで指折りの選手に成長した。

高校ジダンの恩師、馬渕史郎監督も素質を認める一人だ。「肩が強く、投手の腰の高さで強い球が二塁へ届く。盗塁された記憶はほとんどない。最初に見た時、プロへ行けると確信した」

07年秋の高校生ドラフトでオリックスの3巡目指名を受けた。1年目の高知二軍キャンプ。時給そうで大半の選手を周回遅れに追いやった。オープン戦で起用されると堂々投手をリードした。「物おじしないのが新鮮だった。どうすればこんな選手が育つのか。明徳の練習に興味がわいた」とあるコーチは証言する。

ところが、定位置確保に本格参戦するはずの2年目の3月、伊藤の描いた筋書きは暗転した。中学から不安のあった腰の異変。「針を刺されてるみたい。足を上げるのも怖い」。神戸の寮で腰を温めようと、朝5時に起きて湯につかっても腰は熱を感じなかった。

一軍に残りたい一心でけがの事実は誰にも明かさなかった。離脱が決まったのは開幕の10日前。ただならぬ様子に首脳陣が気付かぬはずはなかった。

痛みは背中へ広がって行く。病院では腰椎の椎間板ヘルニアと診断された。「聞いたことのある病名だな」。安心もつかの間。今度は激痛が襲う。「辛いのは夜だった」。体を固定させるため、ソファとベッドでは土下座するように体を丸め、寝返り出来ないように努めた。

4月14日に手術。ところが、その後、左足がしびれ始めた。小指に手で触れても靴下をはいているように。もどかしい感覚しかない。「みんなユニホームを汚して寮に帰ってくる。オレは絶対復帰できない」。自室でふさぎこんだ。心配する両親との電話では「まあまあだよ」といはぐらかした。弱音を吐けば、気持ちが押しとどめられない気がしたからだった。

音楽がささくれ立った心の慰めになった。人気ポップグループ、ケツメイシの「ライフ イズ ビューティフル」<君が流した涙が、いつか花を育て咲かせて、君の目の前に広がるはずだから>

何度も聴き、口ずさんだ。絶望的な状況に置かれながら、伊藤は必死でマスクをかぶった自分を思い浮かべようとしていた。(敬称略)



重度の腰のけがと闘いながら、4年目の今季、一軍入りのチャンスをつかんだオリックス・伊藤光捕手(21)の軌跡をたどる。



今日の所はひとまず、これだけ。ちょっと重そうやな。

以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
にほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへ にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログへ
2011.01.27 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://kugyousou.net/tb.php/470-768a2ed5