相変わらず俗世間には異常なまでの閉塞感が漂っています。もはや「外に出る奴は犯罪者」みたいな風潮。何となくではありますが、感染症のお陰で色んなモノが狂いつつあるように思います。
日々「如何にして家にいるか」を模索するのも良いかとは思いますが「如何にして外に出るか」を少しでも考えてもよいはず。鬱蒼とした気分を払拭するには、やはり外出が一番良いかとも思います。
と言うよりも私の場合、休暇はとことん外出して来たので、終日自宅でどうやって過ごせば良いのか分からないだけ、なのかも知れません。ただひとつ言えるのは「身体を動かしたい」これだけです。
前回は、諸般の事情により阪堺電車我孫子道停留所で断念せざるを得なかったこの企画(?)。今回はその我孫子道停留所をスタートして北上、そのまま住吉電停から新装なった阪堺線起点の恵美須町停留所へ、そして天王寺駅前停留所から上町線沿線を南下しつつ堺市内へ戻る事にしました。
ちなみに我が家(最寄り駅は南海高野線初芝駅)からは、幹線道路や信号を避けながら走ると、だいたい40分程度で到着します。これが近いと感じるか、遠いと感じるかは当然個人差があります。




と、その前に、前回は慌ててかえってしまったので、大和川電停を出た電車が、大和川を渡って向かって我孫子道停留所に向かって坂を下る場面を撮り損ねてしまったのでちょいと寄り道。この逆は踏切の関係上、無理ですのでご注意ください。車庫に引き上げる電車も撮れます。

おはようございます阪堺電車我孫子道停留所。ここから北上を開始します。天王寺駅前行と恵美須町行が行き交うので、住吉電停まで、車両を問わなければかなりの枚数がこなせると思われます。




みな「単行」の電車なので、超低床車両が幅を利かすようになった広島電鉄ほどではありませんが、車体広告が結構派手だったりするので、車両それぞれにかなり個性があります。

チンチン電車とは言え、住吉鳥居前電停の南側までは専用軌道を走ります。我孫子道から細井川電停までは、ほぼ直線の専用軌道なので、パッとしたのは撮れませんが、周囲にたいして高い建物もなく、また電車自体も高速で走るわけでもないので、のんびり撮って回れます。


安立町電停のやや北側の下り線では、保線作業が行われていました。どれだけお客さんが少なくなっても、日々電車が走っている限り、作業はなくなりません。本当にご苦労様です。

安立町電停に阪堺電気軌道現役最古参、昭和3年生まれのモ161形モ164号が運用に入ってました。青地に白の、昔懐かしい「雲電車」塗装ですが、残念ながら側面にはデカデかと広告。非冷房車の為、夏場になると運用予備車となり、大和川車庫で寝てる事の方が多くなります。

一枚をモノクロに変換してみました。周囲の風景もありますが、これで一気に昭和に逆戻り。幸いにも行き先が「方向幕」のままだったので為せる技。これがフルカラーLEDなら興ざめだったでしょうね。



細井川電停に到着。我孫子道からほぼ直線で北上してきた阪堺電車は、北側で急なS字カーブを描いて東玉出電停までの併用軌道に入ります。この辺りの停留所はみな古びたまま。これもまた「味」。カーブ手前の鉄橋jは「細江川」を渡る為の鉄橋。電停の名前は、これが変化したものとか。



600形と700形、350形と500形、区別の付きにくい車両が多いですが、全面ラッピング広告、また復刻塗装など、阪堺電車は比較的賑やかです。また、昭和初期・中期、平成、令和(2020年3月28日に、モ1100形デビュー)と、登場した年代も多岐にわたります。


さて細井川電停を過ぎると、いよいよ住吉大社の前を走る併用軌道になります。


正月三が日は初詣客で、臨時ホームすら設置される程の大混雑になる住吉鳥居前電停。しかしこの時期は祭事もない、どころか住吉大社自体が「参拝禁止」になっているのでひっそりしてました。


住吉大社の中まで入ってみました。とりあえずこの先は「自粛」。しかし「無病息災五穀豊穣」を祈るはずの神社が「休み」と言うのは、致し方ない事なのかどうなのか、という疑問はあります。

当の住吉電停。交差点西側には、昔ながらの待合室。そして東側には、ポイント切り替えを扱う「信号扱所」。さらには北東側の調剤薬局の軒下に、待合スペースが設けられています。


そして、2016年1月31日に廃止になった、住吉公園停留所に立ち寄ってみました。廃止後4年を経過しましたが、駅舎は、内部に幾つか店舗が入居している関係上、現存しています。ただし「臨時休業」でした。線路跡地は既に駐車場になっていました。200メートル程のややカーブした土地なので、住宅地にするわけにも行かず、かと言って他によい転用の方法がないんでしょうね。同じような状況は、南海天王寺支線の跡地利用にも似たような例があります。電車道ゆえの宿命でしょうか。


上町線と阪堺線の平面交差こそなくなってしまいましたが、2路線が合流する停留所と言う事で、ひっきりなしに電車がやって来ます。ちなみに恵美須町からは日中は24分間隔、天王寺駅前からは6分間隔でやってきます。恵美須町発の電車って、いつの間にやらえらい減便されてたんですねぇ。


さてここから、恵美須町を目指して北上を開始。上記の如く片道24分に1本、上下線合計でも12分に1本の割合なので、撮り逃してしまうと撮り直しが利きません。次の東粉浜電停到着。その東粉浜電停の少し北側の横断歩道付近から、遠くに「大阪の象徴」通天閣を見る事が出来ます。



街中なのに列車本数の少ない、併用軌道で横断歩道のど真ん中、意外に交通量も多いです。当然三脚などは使ってられません。超望遠手持ちで頑張りましょう。歩行者や車が被るのは当たり前。チンチン電車の撮影と言うモノは実に過酷であり、また非情です。


塚西電停(上二枚)と東玉出電停(下二枚)。線路がなぜか西側に寄せられている為、恵美須町方面行乗り場に安全地帯はありません。軌道内を車が走行します。時刻表や各種案内は、傍の電柱に括りつけてあります。残念ながらここでは電車に合わず。これもまた本数の少なさ故の悲哀。



東玉出電停の北側で、南海高野線の線路を潜ります。しかしながら高野線電車とのタイミングが合わず。これもまた本数の少なさゆえの悲劇。昔はこんな事なかったんですけどねぇ。

次の天神ノ森電停との間には「遺物」が二点。盛土区間に当たる南海高野線岸里玉出駅のホームの外には、かつて地平だった南海本線ホームとの連絡通路の跡が残っています。

そして、阪堺電車が南海高野線の線路をlくぐって最初の踏切の傍にあるのが「宮ノ下電停」の跡地。「宮」と言うのは、近隣にある「阿倍野神社」の事。隣の天神ノ森・東玉出のいずれにも近いという事で廃止になったようで、現在は資材置き場として活用されています。

この先は少し飛ばします。途中、松虫通を横切る踏切で電車を待ってみましたが、かなりのスピードで通過していきます。かつては堺市内までの利用客を、何回j本線と争った事もある、南海電気鉄道との合併前の、旧阪堺電気軌道。その一端を伺う事ができます。

ここから先は、ちょっと鄙びた商店街を抜けます。ろくすっぽ地図すら見てませんが、とりあえず北に向いてたら何とかなるだろう、と言う適当な走り方。これもまた「良い運動」の一環。


この日の起点、と決めた我孫子道停留所から2時間40分かけて、今船電停に到着。この先は、今池電停に向けての急勾配です。あまり関係ない話ですが、かつてこの傍には、「餃子 大王」と言うお店がありましたて、お店でミーティング等を繰り返していたバンドは、そのお店の名前をそのまま頂いたそうで。現在では建物は取り壊され、コンビニエンスストアが建っています。


ここも、追い掛けるなら恵美須町行がいいでしょう。雲電車がやってきました。

今船電停の東側にある交差点から北上します。この辺が「堺筋」の南の起点になります。今池商店街までやってきました。大阪市内ってこの手の商店街がまだまだ多く見られます。



今池商店街の向かい側の細い路地を入ると、今池電停のホームに続く階段があります。上がった所にホームと構内踏切があります。テントが張られていたんだとは思いますが、現在は骨組みのみ。階段の途中では野良猫がお出迎え、してくれたんですが、何故か喧嘩が始まりました。

線路は盛り土ですが、1983年までは、この下に南海電鉄天王寺支線が通っていました。停留所南側の鉄橋はその名残。現在は駐車場等になっています。ゆえに電停の前後は急勾配となっています。



構内踏切に立っての撮影です。勾配の下の今船電停に停車した辺りから連写開始。構内踏切の警報器が鳴ったらとっとと退去しましょう。これもまた電車の安全運行の為。





構内踏切は、我孫子道方面行電車が通過した後は割と早く遮断機が上がるので、新今宮駅前方面のカーブを曲がってから電停到着、そして出発して坂を下りるまで、比較的長い時間追う事ができます。途中、ほんの僅かではありますが、通天閣と絡めることも可能です。


南霞町改め、新今宮駅前電停はスルー。窓口にて定期券・回数券も発売していますが、この日は閉鎖されていました。そこまでやらなければいけないか?と言う気にはなります。そして堺筋をさらに北上。


旧恵美須町停留所に行く途中に、2020年2月に開設された「新」恵美須町電停があります。駅舎があるわけでもなく、コインパーキングみたいな看板があるだけ。猛威を振るった台風21号で旧駅舎が被災、さらには通天閣への最寄り駅とする為とされていますが、乗換客があったかどうかはともかく、堺筋線恵美須町駅からは若干遠くなり、日本橋筋商店街も遠くなってしまいました。



北上しながら旧恵美須町停留所。停留所と言うよりも「駅」と言った方が良いくらいの、行き止まりホームを備えた「ターミナル」でした。まだ線路が剥がされただけなのでいつ復帰してもおかしくない、と思うのは私だけではないはず。むしろ新駅は「仮設」に見えますが如何でしょうか。
堺市東区の自宅を出発してから約4時間40分。我孫子道停留所をスタートしてから、ラストの通天閣のカットまで約3時間40分。既に13時を過ぎております。ここから先は新世界を抜け、天王寺駅前停留所から上町線沿線を南下する事にしてますが、これだけでも良い運動になっています。
ただ、それを追加してしまうと、通常の野球の記事よりも長くなってしまうので一旦ここで終了です。そんなに山のように画像を並べるな、と言う話ですが、載せてみたい画像が結構あったりしますゆえ。
日々「如何にして家にいるか」を模索するのも良いかとは思いますが「如何にして外に出るか」を少しでも考えてもよいはず。鬱蒼とした気分を払拭するには、やはり外出が一番良いかとも思います。
と言うよりも私の場合、休暇はとことん外出して来たので、終日自宅でどうやって過ごせば良いのか分からないだけ、なのかも知れません。ただひとつ言えるのは「身体を動かしたい」これだけです。
前回は、諸般の事情により阪堺電車我孫子道停留所で断念せざるを得なかったこの企画(?)。今回はその我孫子道停留所をスタートして北上、そのまま住吉電停から新装なった阪堺線起点の恵美須町停留所へ、そして天王寺駅前停留所から上町線沿線を南下しつつ堺市内へ戻る事にしました。
ちなみに我が家(最寄り駅は南海高野線初芝駅)からは、幹線道路や信号を避けながら走ると、だいたい40分程度で到着します。これが近いと感じるか、遠いと感じるかは当然個人差があります。








と、その前に、前回は慌ててかえってしまったので、大和川電停を出た電車が、大和川を渡って向かって我孫子道停留所に向かって坂を下る場面を撮り損ねてしまったのでちょいと寄り道。この逆は踏切の関係上、無理ですのでご注意ください。車庫に引き上げる電車も撮れます。


おはようございます阪堺電車我孫子道停留所。ここから北上を開始します。天王寺駅前行と恵美須町行が行き交うので、住吉電停まで、車両を問わなければかなりの枚数がこなせると思われます。








みな「単行」の電車なので、超低床車両が幅を利かすようになった広島電鉄ほどではありませんが、車体広告が結構派手だったりするので、車両それぞれにかなり個性があります。


チンチン電車とは言え、住吉鳥居前電停の南側までは専用軌道を走ります。我孫子道から細井川電停までは、ほぼ直線の専用軌道なので、パッとしたのは撮れませんが、周囲にたいして高い建物もなく、また電車自体も高速で走るわけでもないので、のんびり撮って回れます。




安立町電停のやや北側の下り線では、保線作業が行われていました。どれだけお客さんが少なくなっても、日々電車が走っている限り、作業はなくなりません。本当にご苦労様です。


安立町電停に阪堺電気軌道現役最古参、昭和3年生まれのモ161形モ164号が運用に入ってました。青地に白の、昔懐かしい「雲電車」塗装ですが、残念ながら側面にはデカデかと広告。非冷房車の為、夏場になると運用予備車となり、大和川車庫で寝てる事の方が多くなります。


一枚をモノクロに変換してみました。周囲の風景もありますが、これで一気に昭和に逆戻り。幸いにも行き先が「方向幕」のままだったので為せる技。これがフルカラーLEDなら興ざめだったでしょうね。






細井川電停に到着。我孫子道からほぼ直線で北上してきた阪堺電車は、北側で急なS字カーブを描いて東玉出電停までの併用軌道に入ります。この辺りの停留所はみな古びたまま。これもまた「味」。カーブ手前の鉄橋jは「細江川」を渡る為の鉄橋。電停の名前は、これが変化したものとか。






600形と700形、350形と500形、区別の付きにくい車両が多いですが、全面ラッピング広告、また復刻塗装など、阪堺電車は比較的賑やかです。また、昭和初期・中期、平成、令和(2020年3月28日に、モ1100形デビュー)と、登場した年代も多岐にわたります。




さて細井川電停を過ぎると、いよいよ住吉大社の前を走る併用軌道になります。




正月三が日は初詣客で、臨時ホームすら設置される程の大混雑になる住吉鳥居前電停。しかしこの時期は祭事もない、どころか住吉大社自体が「参拝禁止」になっているのでひっそりしてました。




住吉大社の中まで入ってみました。とりあえずこの先は「自粛」。しかし「無病息災五穀豊穣」を祈るはずの神社が「休み」と言うのは、致し方ない事なのかどうなのか、という疑問はあります。



当の住吉電停。交差点西側には、昔ながらの待合室。そして東側には、ポイント切り替えを扱う「信号扱所」。さらには北東側の調剤薬局の軒下に、待合スペースが設けられています。




そして、2016年1月31日に廃止になった、住吉公園停留所に立ち寄ってみました。廃止後4年を経過しましたが、駅舎は、内部に幾つか店舗が入居している関係上、現存しています。ただし「臨時休業」でした。線路跡地は既に駐車場になっていました。200メートル程のややカーブした土地なので、住宅地にするわけにも行かず、かと言って他によい転用の方法がないんでしょうね。同じような状況は、南海天王寺支線の跡地利用にも似たような例があります。電車道ゆえの宿命でしょうか。




上町線と阪堺線の平面交差こそなくなってしまいましたが、2路線が合流する停留所と言う事で、ひっきりなしに電車がやって来ます。ちなみに恵美須町からは日中は24分間隔、天王寺駅前からは6分間隔でやってきます。恵美須町発の電車って、いつの間にやらえらい減便されてたんですねぇ。




さてここから、恵美須町を目指して北上を開始。上記の如く片道24分に1本、上下線合計でも12分に1本の割合なので、撮り逃してしまうと撮り直しが利きません。次の東粉浜電停到着。その東粉浜電停の少し北側の横断歩道付近から、遠くに「大阪の象徴」通天閣を見る事が出来ます。






街中なのに列車本数の少ない、併用軌道で横断歩道のど真ん中、意外に交通量も多いです。当然三脚などは使ってられません。超望遠手持ちで頑張りましょう。歩行者や車が被るのは当たり前。チンチン電車の撮影と言うモノは実に過酷であり、また非情です。




塚西電停(上二枚)と東玉出電停(下二枚)。線路がなぜか西側に寄せられている為、恵美須町方面行乗り場に安全地帯はありません。軌道内を車が走行します。時刻表や各種案内は、傍の電柱に括りつけてあります。残念ながらここでは電車に合わず。これもまた本数の少なさ故の悲哀。






東玉出電停の北側で、南海高野線の線路を潜ります。しかしながら高野線電車とのタイミングが合わず。これもまた本数の少なさゆえの悲劇。昔はこんな事なかったんですけどねぇ。


次の天神ノ森電停との間には「遺物」が二点。盛土区間に当たる南海高野線岸里玉出駅のホームの外には、かつて地平だった南海本線ホームとの連絡通路の跡が残っています。


そして、阪堺電車が南海高野線の線路をlくぐって最初の踏切の傍にあるのが「宮ノ下電停」の跡地。「宮」と言うのは、近隣にある「阿倍野神社」の事。隣の天神ノ森・東玉出のいずれにも近いという事で廃止になったようで、現在は資材置き場として活用されています。


この先は少し飛ばします。途中、松虫通を横切る踏切で電車を待ってみましたが、かなりのスピードで通過していきます。かつては堺市内までの利用客を、何回j本線と争った事もある、南海電気鉄道との合併前の、旧阪堺電気軌道。その一端を伺う事ができます。


ここから先は、ちょっと鄙びた商店街を抜けます。ろくすっぽ地図すら見てませんが、とりあえず北に向いてたら何とかなるだろう、と言う適当な走り方。これもまた「良い運動」の一環。




この日の起点、と決めた我孫子道停留所から2時間40分かけて、今船電停に到着。この先は、今池電停に向けての急勾配です。あまり関係ない話ですが、かつてこの傍には、「餃子 大王」と言うお店がありましたて、お店でミーティング等を繰り返していたバンドは、そのお店の名前をそのまま頂いたそうで。現在では建物は取り壊され、コンビニエンスストアが建っています。




ここも、追い掛けるなら恵美須町行がいいでしょう。雲電車がやってきました。


今船電停の東側にある交差点から北上します。この辺が「堺筋」の南の起点になります。今池商店街までやってきました。大阪市内ってこの手の商店街がまだまだ多く見られます。






今池商店街の向かい側の細い路地を入ると、今池電停のホームに続く階段があります。上がった所にホームと構内踏切があります。テントが張られていたんだとは思いますが、現在は骨組みのみ。階段の途中では野良猫がお出迎え、してくれたんですが、何故か喧嘩が始まりました。


線路は盛り土ですが、1983年までは、この下に南海電鉄天王寺支線が通っていました。停留所南側の鉄橋はその名残。現在は駐車場等になっています。ゆえに電停の前後は急勾配となっています。






構内踏切に立っての撮影です。勾配の下の今船電停に停車した辺りから連写開始。構内踏切の警報器が鳴ったらとっとと退去しましょう。これもまた電車の安全運行の為。










構内踏切は、我孫子道方面行電車が通過した後は割と早く遮断機が上がるので、新今宮駅前方面のカーブを曲がってから電停到着、そして出発して坂を下りるまで、比較的長い時間追う事ができます。途中、ほんの僅かではありますが、通天閣と絡めることも可能です。




南霞町改め、新今宮駅前電停はスルー。窓口にて定期券・回数券も発売していますが、この日は閉鎖されていました。そこまでやらなければいけないか?と言う気にはなります。そして堺筋をさらに北上。




旧恵美須町停留所に行く途中に、2020年2月に開設された「新」恵美須町電停があります。駅舎があるわけでもなく、コインパーキングみたいな看板があるだけ。猛威を振るった台風21号で旧駅舎が被災、さらには通天閣への最寄り駅とする為とされていますが、乗換客があったかどうかはともかく、堺筋線恵美須町駅からは若干遠くなり、日本橋筋商店街も遠くなってしまいました。






北上しながら旧恵美須町停留所。停留所と言うよりも「駅」と言った方が良いくらいの、行き止まりホームを備えた「ターミナル」でした。まだ線路が剥がされただけなのでいつ復帰してもおかしくない、と思うのは私だけではないはず。むしろ新駅は「仮設」に見えますが如何でしょうか。
堺市東区の自宅を出発してから約4時間40分。我孫子道停留所をスタートしてから、ラストの通天閣のカットまで約3時間40分。既に13時を過ぎております。ここから先は新世界を抜け、天王寺駅前停留所から上町線沿線を南下する事にしてますが、これだけでも良い運動になっています。
ただ、それを追加してしまうと、通常の野球の記事よりも長くなってしまうので一旦ここで終了です。そんなに山のように画像を並べるな、と言う話ですが、載せてみたい画像が結構あったりしますゆえ。
2020.04.25 / Top↑
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