あまりにも突然の為、在り来りなタイトルと内容しか思いつきません。
広島黒田が現役引退「個人的なことで申し訳ない」
日刊スポーツ 2016年10月18日

(2007年3月4日 広島市民球場にて)
NPB通算:321試合登板 124勝105敗1セーブ 防御率3.55
MLB通算:212試合登板 79勝79敗 防御率3.45

(2007年3月11日 広島県立びんご運動公園野球場にて)
そのシーズンにふた桁勝利をあげて引退したピッチャーと言えば、小林繁氏(1983年 阪神タイガース 13勝14敗)や江川卓(1987年 読売ジャイアンツ 13勝5敗)くらいしか思いつきません。特に小林繁氏の場合は31歳になる年、現在では考えられないような「引き際」でした。
しかし黒田博樹の場合はそれこそ「満身創痍」。2009年でしたかね、打球を右即頭部にぶつけて昏倒。結局その後遺症に悩まされ続けてきた。それでなくても、41歳まで酷使し続けた身体。どこも何もない、五体満足であるはずがない中、よくぞここまで投げてくれました、としか言いようがない。

(2007年3月11日 広島県立びんご運動公園野球場にて)
黒田博樹が渡米する際に残した「また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」。この言葉を鵜呑みにして「3年経ったらカープに帰ってくる」みたいな空気ってのもありました。けどそれは、ファンの幻想でしかなかった。黒田博樹はメジャーリーグで確固たる地位を築き上げた、と思うんですよ。
広島鈴木本部長「きたかという感じ」一問一答
日刊スポーツ 2016年10月18日
そして、鈴木清明球団本部長の「誘い」もあったと思うんですが、広島東洋カープに「再入団」。その際は「メジャーリーガーを獲得」とさせて頂きましたが、やはりその影響力は計り知れなかった。
若い選手、実績の乏しい選手(監督も然り)ばかりで、ともすれば迷走しがちだったカープに、新井貴浩とともに投打の「柱」が出来た。もちろんそれは、目に見える個人成績だけじゃない、普段からの野球に取り組む姿勢、試合に臨む為の心の持ち方、それらが全て実を結んだ結果が、今シーズンのセントラルリーグ優勝ではなかったか、と思うんですよ。ホント「最高の補強」だった。
昨年の沖縄キャンプ合流時に「残りの野球人生は長くないと思っています」と言う言葉を残し、シーズンに突入。40歳で11勝8敗は素晴らしい成績だったけど、その時点で、明確に決めてはなかったんだろうけど、行く行くは「引退」の文字を胸の内に秘めて、毎日を送っていたんだろうな。
前中日ドラゴンズ・山本昌広さんが、落合博満GM(まだ監督の頃だったか)に「引退の時期はお前が決めろ」と言われたそうですが、黒田博樹もそうだったと思います。惜しまれながら、と言う表現もありますが、そしてこの時期、志半ばでユニフォームを脱がざるを得ない(と言うか脱がされる)選手がいる中、思い悩みつつも、自ら決断した、決断出来た、事に、最大限の敬意を表します。
黒田の「花道を飾りたい」/広島ナインのコメント
日刊スポーツ 2016年10月18日
「花道」と言うにはあまりにも華々しすぎる。こんな「引き際」の選手ってのもこの先、そうそう出ないでしょう。と言うか「カープだから」出来たのかも知れません。「人事を尽くして天命を待つ」とは言いますが、「人事を尽くして天命を決断」。黒田博樹にはそんな表現が合うのかも。
もうすぐ、北海道日本ハムファイターズとの頂上決戦が始まります。あるかないか分かりませんが、「日本シリーズ初セーブ、そして胴上げ投手」で送り出すことが出来れば―――――。
そうだそうだと思われる方も、んなわけなかろーがヴォケナス!と思われる方も、とにかくクリック(笑)

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広島黒田が現役引退「個人的なことで申し訳ない」
日刊スポーツ 2016年10月18日

(2007年3月4日 広島市民球場にて)
NPB通算:321試合登板 124勝105敗1セーブ 防御率3.55
MLB通算:212試合登板 79勝79敗 防御率3.45

(2007年3月11日 広島県立びんご運動公園野球場にて)
そのシーズンにふた桁勝利をあげて引退したピッチャーと言えば、小林繁氏(1983年 阪神タイガース 13勝14敗)や江川卓(1987年 読売ジャイアンツ 13勝5敗)くらいしか思いつきません。特に小林繁氏の場合は31歳になる年、現在では考えられないような「引き際」でした。
しかし黒田博樹の場合はそれこそ「満身創痍」。2009年でしたかね、打球を右即頭部にぶつけて昏倒。結局その後遺症に悩まされ続けてきた。それでなくても、41歳まで酷使し続けた身体。どこも何もない、五体満足であるはずがない中、よくぞここまで投げてくれました、としか言いようがない。

(2007年3月11日 広島県立びんご運動公園野球場にて)
黒田博樹が渡米する際に残した「また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」。この言葉を鵜呑みにして「3年経ったらカープに帰ってくる」みたいな空気ってのもありました。けどそれは、ファンの幻想でしかなかった。黒田博樹はメジャーリーグで確固たる地位を築き上げた、と思うんですよ。
広島鈴木本部長「きたかという感じ」一問一答
日刊スポーツ 2016年10月18日
そして、鈴木清明球団本部長の「誘い」もあったと思うんですが、広島東洋カープに「再入団」。その際は「メジャーリーガーを獲得」とさせて頂きましたが、やはりその影響力は計り知れなかった。
若い選手、実績の乏しい選手(監督も然り)ばかりで、ともすれば迷走しがちだったカープに、新井貴浩とともに投打の「柱」が出来た。もちろんそれは、目に見える個人成績だけじゃない、普段からの野球に取り組む姿勢、試合に臨む為の心の持ち方、それらが全て実を結んだ結果が、今シーズンのセントラルリーグ優勝ではなかったか、と思うんですよ。ホント「最高の補強」だった。
昨年の沖縄キャンプ合流時に「残りの野球人生は長くないと思っています」と言う言葉を残し、シーズンに突入。40歳で11勝8敗は素晴らしい成績だったけど、その時点で、明確に決めてはなかったんだろうけど、行く行くは「引退」の文字を胸の内に秘めて、毎日を送っていたんだろうな。
前中日ドラゴンズ・山本昌広さんが、落合博満GM(まだ監督の頃だったか)に「引退の時期はお前が決めろ」と言われたそうですが、黒田博樹もそうだったと思います。惜しまれながら、と言う表現もありますが、そしてこの時期、志半ばでユニフォームを脱がざるを得ない(と言うか脱がされる)選手がいる中、思い悩みつつも、自ら決断した、決断出来た、事に、最大限の敬意を表します。
黒田の「花道を飾りたい」/広島ナインのコメント
日刊スポーツ 2016年10月18日
「花道」と言うにはあまりにも華々しすぎる。こんな「引き際」の選手ってのもこの先、そうそう出ないでしょう。と言うか「カープだから」出来たのかも知れません。「人事を尽くして天命を待つ」とは言いますが、「人事を尽くして天命を決断」。黒田博樹にはそんな表現が合うのかも。
もうすぐ、北海道日本ハムファイターズとの頂上決戦が始まります。あるかないか分かりませんが、「日本シリーズ初セーブ、そして胴上げ投手」で送り出すことが出来れば―――――。
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