やはり、移籍して1年とは言うものの、この人は外せないと思います。

一軍通算成績:なし
二軍通算成績:47試合出場 112打数21安打4本塁打15打点 打率0・188
(通算成績は当然、楽天イーグルス移籍後のモノです。けど記事内容はカープ在籍時に偏ってます。)

並外れた筋力と身体能力で、広島東洋カープで確固たる時代を築き上げた栗原健太も、結局は負傷には勝てなかった。晩年の惨憺たる成績とバットスイングを思い返すと、そう考えざるを得ません。

一軍最終出場は2013年5月5日、東京ドームでの対ジャイアンツ戦で7番ファースト。フル出場ながら4打席凡退、最後はサードゴロ。以降、一軍に昇格することもなく、昨年オフに自由契約。

復活を期した楽天イーグルスでも、全くお呼びがかからぬまま。尤も、上記の成績で呼ばれはずもない。それだけ、3回の手術を重ねた右肘と、崩れたバッティングフォームの代償は大きかった。

彼のピークっていつ頃かな?と振り返ってみると、やはり旧広島市民球場最晩年の2007年、2008年になるでしょうか。いずれの年も3割20本を達成。30本でない所がアレですが、30本打てる選手ってのも、本拠地球場の広さ関係なく、そうそう出てくるもんでもないですからね。

ホームランや長打ばかりに目が行きがちではありますが、特筆すべきは一軍通算打率。NPBの歴代記録に掲載されているのは4000打数以上なので、栗原健太の名前は出ませんが、通算で3695打席、打率0.293は、パワーだけでない事の証明、ではないでしょうか。

あくまでも印象の問題ですが、カープ在籍時は、ホームランを狙っていい場面では思い切り力み、ヒットが欲しい場面では「基本はセンター返し」。しっかり使い分けが出来ていたからこそ、通算での高打率を残せたんではないかと思います。その事を考慮すると、やはり天才だったのかな。

ただ、繰り返しになりますが、怪我には勝てなかった。あれだけの体躯でありながら、怪我の影響からは脱する事はなかった。来シーズンで35歳。円熟期を迎えてもいいはずの年齢なのに。

あくまでカープ末期の印象でしか書けませんが、正直バッティングフォームは酷かった。よく「脇を締めて、腕をたたんで」とは言いますが、フォロースルーに至るまでそのまんま。とても「腕を振り切った」フォームじゃなかった。ぶっちゃけ「肘から先」しか動かせてなかったようにも見えた。

本人は意識していたのかどうなのか、肘を伸ばし切る事への恐怖感がバッティングフォームを徐々に狂わせていった。2006年に患った「椎間板ヘルニア」の影響も少なからずあったんか、上半身がしっかり回転せんまま、バットを出してしまい、と言う悪循環の連続だったように思います。

あと、カープ最末期に思ったんですが、守備から活路は見い出せなかったかな。ゴールデングラブ賞を3度獲得したそのファーストミットさばきは晩年まで衰える事はなかった。彼が戦線離脱して以降、カープのファースト守備ってのは混迷の極み。選考基準のアレコレ取り沙汰されますが、ファーストのポジションでゴールデングラブ賞を獲得したのは栗原健太だけ。切っ掛けにならなかったかな。
楽天栗原「全ていい思い出」引退会見で涙あふれる
日刊スポーツ 2016年10月1日
<楽天>栗原引退 可能性信じ駆けた1年
河北新報 2016年10月4日
先にカープでは廣瀬純、倉義和と言う、苦難の時期を支えたベテラン2人がユニフォームを脱ぐ事になりました。そして栗原健太も、カープの優勝を見届け、現役を引退します。
イーグルス球団は、その野球に取り組む姿勢を買って、二軍打撃コーチへの就任を要請しています。追い求めた可能性を今度は後輩選手に託す事になります。カープでも、それらしい光景は目にしました。ドラフト3位指名からのし上がった、ここまでの数々の経験は、必ず生かされると思います。
今後の更なる活躍を期待します。お疲れ様でした・・・・。
そうだそうだと思われる方も、んなわけなかろーがヴォケナス!と思われる方も、とにかくクリック(笑)

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一軍通算成績:なし
二軍通算成績:47試合出場 112打数21安打4本塁打15打点 打率0・188
(通算成績は当然、楽天イーグルス移籍後のモノです。けど記事内容はカープ在籍時に偏ってます。)


並外れた筋力と身体能力で、広島東洋カープで確固たる時代を築き上げた栗原健太も、結局は負傷には勝てなかった。晩年の惨憺たる成績とバットスイングを思い返すと、そう考えざるを得ません。

一軍最終出場は2013年5月5日、東京ドームでの対ジャイアンツ戦で7番ファースト。フル出場ながら4打席凡退、最後はサードゴロ。以降、一軍に昇格することもなく、昨年オフに自由契約。


復活を期した楽天イーグルスでも、全くお呼びがかからぬまま。尤も、上記の成績で呼ばれはずもない。それだけ、3回の手術を重ねた右肘と、崩れたバッティングフォームの代償は大きかった。


彼のピークっていつ頃かな?と振り返ってみると、やはり旧広島市民球場最晩年の2007年、2008年になるでしょうか。いずれの年も3割20本を達成。30本でない所がアレですが、30本打てる選手ってのも、本拠地球場の広さ関係なく、そうそう出てくるもんでもないですからね。


ホームランや長打ばかりに目が行きがちではありますが、特筆すべきは一軍通算打率。NPBの歴代記録に掲載されているのは4000打数以上なので、栗原健太の名前は出ませんが、通算で3695打席、打率0.293は、パワーだけでない事の証明、ではないでしょうか。




あくまでも印象の問題ですが、カープ在籍時は、ホームランを狙っていい場面では思い切り力み、ヒットが欲しい場面では「基本はセンター返し」。しっかり使い分けが出来ていたからこそ、通算での高打率を残せたんではないかと思います。その事を考慮すると、やはり天才だったのかな。


ただ、繰り返しになりますが、怪我には勝てなかった。あれだけの体躯でありながら、怪我の影響からは脱する事はなかった。来シーズンで35歳。円熟期を迎えてもいいはずの年齢なのに。


あくまでカープ末期の印象でしか書けませんが、正直バッティングフォームは酷かった。よく「脇を締めて、腕をたたんで」とは言いますが、フォロースルーに至るまでそのまんま。とても「腕を振り切った」フォームじゃなかった。ぶっちゃけ「肘から先」しか動かせてなかったようにも見えた。


本人は意識していたのかどうなのか、肘を伸ばし切る事への恐怖感がバッティングフォームを徐々に狂わせていった。2006年に患った「椎間板ヘルニア」の影響も少なからずあったんか、上半身がしっかり回転せんまま、バットを出してしまい、と言う悪循環の連続だったように思います。


あと、カープ最末期に思ったんですが、守備から活路は見い出せなかったかな。ゴールデングラブ賞を3度獲得したそのファーストミットさばきは晩年まで衰える事はなかった。彼が戦線離脱して以降、カープのファースト守備ってのは混迷の極み。選考基準のアレコレ取り沙汰されますが、ファーストのポジションでゴールデングラブ賞を獲得したのは栗原健太だけ。切っ掛けにならなかったかな。
楽天栗原「全ていい思い出」引退会見で涙あふれる
日刊スポーツ 2016年10月1日
<楽天>栗原引退 可能性信じ駆けた1年
河北新報 2016年10月4日
先にカープでは廣瀬純、倉義和と言う、苦難の時期を支えたベテラン2人がユニフォームを脱ぐ事になりました。そして栗原健太も、カープの優勝を見届け、現役を引退します。
イーグルス球団は、その野球に取り組む姿勢を買って、二軍打撃コーチへの就任を要請しています。追い求めた可能性を今度は後輩選手に託す事になります。カープでも、それらしい光景は目にしました。ドラフト3位指名からのし上がった、ここまでの数々の経験は、必ず生かされると思います。
今後の更なる活躍を期待します。お疲れ様でした・・・・。
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2016.10.08 / Top↑
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