
一軍通算成績:52試合96イニング登板 3勝4敗1セーブ 防護率3.19
二軍通算成績:45試合70と1/3イニング登板 3勝6敗1セーブ 防護率3.83
(カープ在籍時のみとします。ご了承下さい。)
【広島】久本契約 落合氏の話聞いて決断
日刊スポーツ 2012年11月12日
2001年の都市対抗野球大会で優勝しながらも、休部になってしまった河合楽器野球部からの「特例措置」で中日ドラゴンズに入団、以降ドラゴンズは、彼が在籍中の11年間で4度のリーグ優勝、そして常時Aクラスと、個人の成績はどうあれカープファンの間では「Aクラス請負人」とまで言われてました。そして、彼が在籍した4年間で、カープは3度のAクラスとリーグ優勝1回。
偶然ではない、でしょう。


そしてドラゴンズから戦力外通告を受けたのは2012年10月。数球団からのオファーを受けた末にカープ移籍を決めたのは、奥さんが広島県出身だったのに加えて、ドラゴンズ前監督の落合博満氏の、上記リンク先の言葉が決定打となり「ひさもっさん」はカープの一員に「なってくれました」。

移籍当初はリリーフでの起用かな、などと思ってましたが、翌2013年シーズン、ふたを開けてみたら先発ローテーション、しかも開幕第2戦。カープのサウスポーがパッとせなんだ時期でもありましたが、誰しもがびっくりしたはず。もちろん、一番驚いたのは御本人かと思いますけどね。

そして2013年シーズンは8試合の先発を含めてキャリア2番目の43試合84イニング登板。防御率も3.00と、期待以上の数字。何故ドラゴンズが彼をリリースしたのか、とすら思いました。
広島久本、育成で再契約「ありがたい」
日刊スポーツ 2014年11月13日
それから4シーズン。2013年以降は一軍での登板数はひと桁、どころか左肘の負傷で育成選手契約へ。よくベテラン左腕を残したな、とは思いましたが、支配下登録復帰からわずか1シーズンでの戦力外通告。色々不可解、な面もあります。いったい何の為に「戻した」のかとすら。
先発でもリリーフでも、サウスポーが何かと足りてないカープ。隙間っぽいポジションでもありますが、その隙間を巧妙に埋めてくれた、とは思いますが、如何せんカープ移籍が遅かったかなぁ。選手生命を左右するかと思った負傷から、よく立ち直ったとは思いますが。




ぶっちゃけリリーフとして考えていたんでしょうけど、どのポジションであれ、カープは左腕投手に多くを、と言うかハイレベルな結果を求め過ぎて、悉くダメにしてしまってるような気もします。




あまり関係ないかも知れませんが、ピッチングフォーム(特にワインドアップ)は好きでしたね。ごく普通、ではありますがグラブを頭の上に掲げてから、ボールをリリースした後の「フィニッシュ」まで、力みのないフォームはそれこそ、カッコよさすら感じられました。どの程度球速が戻っているのかは分からずじまいでしたが、「左肘尺側手根屈筋起始部損傷」の後遺症は感じられませんでした。


今年の由宇練習場でのカープ二軍一次キャンプ。サブグラウンドでの久本祐一の傍らには、ウォーミングアップのキャッチボールの相手からずっと、常にルーキーの高橋樹也の姿がありました。


佐々岡真司投手コーチから言われたのかも知れません、さらには久本祐一自身から声をかけられたのかも知れませんが、いろいろと話しかける高橋樹也の姿が印象的でした。
戦力外の久本は現役続行希望
デイリースポーツ 2016年10月3日
来シーズン開幕前には38歳を迎えます。「順調に進んでいる」と言う事で現役続行。もちろん、球団との話し合いの中では「コーチ就任」も提案されたんでしょう。しかしながら今シーズン一軍二軍計24試合登板の中で、何らかの「手応え」を感じているんででしょうし、それこそ、まだやり残した事、やりたい事があるんだと思います。

とある日に撮影したグラブふたつ。どちらかは新品なのかも知れません。どうせやるなら、これらがボロボロになるまでやっていただきたい。燻ぶるモノがあるのなら、もう一度火の手を上げて頂きたい。
今後のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
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2016.10.07 / Top↑
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