―――――とは、昭和50年に広島東洋カープがセントラルリーグ初優勝を決めた時のコメント、でしたか。あちらこちらで後楽園球場での胴上げのシーンを観ましたが、それよりも何よりもこの短い言葉だけが強烈な印象として残っています。そらぁこの時は、球団創設以来の初優勝ですから。

それから41年。1991年以来のセントラルリーグ制覇。

8月24日にマジックナンバーが点灯して以来。恐ろしいくらい順調に減っていきました。カープが試合に負けた日ですら減りました。ここまで順調でいいのかな、と言うくらい順調な「消化」。


一口に25年っつうてもほんと長いですよね。その年に生まれた赤ん坊が、東京ドームのマウンドに上がってる。大学を卒業してるなら3年目。会社の最前線でバリバリ働いてる年齢。

その間、カープにはいろいろありましたよ。優勝出来ると信じて日本シリーズのチケットを印刷してしまったりとか、好きですとか言いながら出ていた選手とか。アメリカに行って帰ってきたピッチャーとか。「普通のことをやったまでです」とか優勝インタビューまで考えてた監督とかもいましたね。

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7日付の読売新聞大阪版夕刊最終社会面。優勝に向かってあたふたする広島の街の様子が記事になってました。微笑ましくもあり「何やっとんなら?」とも思ったり。同時に、カープの25年ぶりのリーグ優勝が、広島のみならず全国向かって大きなムーブメントになっている事を実感出来ました。


昨日9日、所用で出掛ける為に赴いた南海電車初芝駅。小さな売店の正面に置いてあるスポーツ新聞の1面に「広島」の文字がデカデカと載ってました。小さかったのはスポーツ報〇と〇刊スポーツ。「明日の朝刊はどないなるんやろ」とも思いました。デイリースポーツすら支配したんですから。

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(今朝のサンスポ)
個人的に一番怖かったのはジャイアンツの追い上げ。高橋由伸監督以下選手全員が勝ち方、追い上げ方を知っている、はずなのに、まるで求心力を失ったかのごとく、転げ落ちるように大型連敗の繰り返し。カープのマジックナンバー消化よりも、ぶっちゃけこちらの方が驚きといえば驚きでした。

よその球団も然り。

もっとも、紆余曲折あったにしろ、選手からいきなり監督に祭り上げられた高橋由伸監督、どこかで「今年は我慢してください」と断言してた阪神タイガース・金本知憲監督、現役生活を終えてさて監督専任、と言うところで首を斬られたドラゴンズ・谷繁元信監督、これまた「新人」のベイスターズ・ラミレス監督よりも、コーチをやってた2年目の緒方監督に「一日之長」があったとと言う事でしょうか。

私はまだ改宗して20年しか経ってませんが、やっぱり嬉しいもんは嬉しいですよ。

一時はタイガースの優勝が羨ましかったですよ。正直、タイガースファンをやめなきゃよかった、とすら思った事もありました。特に関西在住ですから、その盛り上がりってのは毎度の事ながらハンパない。「あぁ、リーグ優勝ってええもんなんやな」。ただ漠然とそう思うしかありませんでした。

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(今朝の日刊スポーツ)
そして今シーズンのカープ。とにかく強かった。しかしながら敢えてカープ一軍の試合にはあれこれ言及しませんでした。中継の録画を見る時間がろくすっぽ無かった事もありますが、それ以上に、これまで長らくウエスタンリーグで観てきた選手の活躍、まずこれだと思うんですよ。

ドラフト1位で入団しながら、あれこれ言われてた安部友裕がすっかり一軍の顔になり、ヒーローインタビューまで受けるようになりました。怪我やら何やらでえらく遠回りした下水流昂が、しっかりと成績を残しました。松山竜平などはたった1試合しかウエスタンリーグ公式戦に出てません。一世を風靡している鈴木誠也も、4月5日の出場選手登録以来、二軍には帰って来てません。

その他にもたくさんいますが、書ききれません。これらの選手を、もっと早く起用していたら、24年も優勝から遠ざかることはなかったはず。もちろん、それ以前にも起用すべき選手はたくさんいましたが。どこでどう狂ってしまったんですかね。ようやく「軌道修正」出来つつありますけど。

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(今朝のスポニチ)
みなここ数年、由宇練習場で毎日毎日汗をかいて、しんどい思いをしてきた選手ばかりですよ。これが本来、広島東洋カープのあるべき姿じゃないかと思うんです。そんな選手らが、一軍で活躍してチームが勝つ。ごく当たり前の事。それこそ「鍛え抜かれた精鋭の技と力」ですよ。

外国人選手を取っ替え引っ替えしたところで、当たり外れは絶対にある。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、とは言いますが、その下手な鉄砲を無駄に打ちまくっているうちに、シーズンなんか終わってしまうんですよ。ならば、しっかり地力をつけて、確実に成績を残せる選手を育てる。それがカープの方針だったはずなのに、ここ20年はそれこそ迷走を繰り返した。

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(今朝のスポーツ報知)
駐米スカウトとは関係ない所で外国人選手を連れてきたりもした。たった2年で社会人出身の即戦力(とも言われる)投手を自由契約にしたり。フリーエージェント宣言をした選手の説得もろくすっぽしなかった。また、フリーエージェント選手を獲得しかかったけど、具体的な話には至らなかった。カープに魅力がなかった、と言えばそれまでですが、明らかに時代に逆行した方針でもあった。

情けない話ですけどね。

しかしここ3年、ウエスタンリーグでは本当に強かった。リーグ優勝こそ尽くホークスに阻まれはしましたが、明らかに選手個々は力をつけてきました。確実に選手の底上げ、レベルアップはなしえたと思います。まだまだ足りませんが、漸く「これ」と言う方向性が見つかったと思います。この辺りは前任の内田順三さんの多大なる功績、ですよ。「育てながら勝つ」を実践してくれたんですから。

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(今朝のデイリースポーツ 実は最終面)
セントラルリーグ優勝に関して、どの選手がどう、とこれ以上言うつもりはありません。個人競技じゃないですから。グラウンドに立った選手みんなが勝ち取ったリーグ優勝なんですよ。選手みんなが、勝つために練習をして、汗水たらして勝ち取ったモノ。われわれファンは、その姿勢に対して素直に賛辞を送り、拍手をするだけ。それこそ「その意気愛して 見守るわれら」じゃないですかね。


2009年のセ・パ交流戦、対ホークス戦。忘れもせん森跳二プロ入り初勝利のコールドゲーム。雨天中断で、互いのチームの懐かし1-9をやってた。ネタが尽きたのか、ホークス応援団から「一緒に優勝!一緒に優勝!」ってコールが飛んできた。嬉しかったけど、当時のカープでは叶わなかった、と言うか烏滸がましかった、と言う方があってますかね。何もかもが違いすぎましたから。

その間、ホークスは強くなりました。「南海」の頃を微かにに知っている人間としては隔世の感がありました。そして、あの日のビジターパフォーマンスシートからのコールに、まずカープが7年経ってようやく応えました。ホークスは苦戦してますが、マジックナンバーが一度は点灯しました。個人的に、死ぬまでに一度は見たかった「カープ対ホークスの日本シリーズ」。今年は観れるのか?


―――――「きりのない夢」は明日どころではなく、まだまだ続きます、続けないかん、とも思ってます。そして、縁あって応援するようになった広島東洋カープ。これからも、応援し続けます。


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2016.09.11 / Top↑
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