本当に遠路遥々、オープン戦を観戦しに、広島県は福山市・ツネイシ硬式野球部の本拠地「ツネイシスタジアム」へ行ってきました。我ながら、よく行く気になったもんだ、と思ってますが(笑)。
で、表題の「ツネイシスタジアム」。開場当時の名前は「みろくの里神勝寺球場」。昭和54年から広島東洋カープ二軍が本拠地にしてましたが、由宇練習場の開場により、平成7年を最後にウエスタンリーグ公式戦は行われなくなり、現在ではツネイシの他、大学や高校の試合も行われてるとか。
で、前の記事にも記しましたが、ツネイシ硬式野球部のオープン戦ってのは、基本、週末や休日に行われる事が多いんですが、今回は「水曜日」と言う事で、ちょっと気合を入れて行ってきました。

おはようございます初芝駅。


青春18きっぷを駆使するので、三国ヶ丘駅乗り換え。夏休みなので学生さんは少ないです。


天王寺駅乗り換えを経て大阪駅。ここからは新快速電車です。4枚目の画像は、何かと「リミット」と言われる加古川。もうこの先に行くと帰れません。

姫路駅。高架駅になって久しいですが、個人的に思う、ここの駅の構造上のミスは、満員の12両編成新快速電車に対して、階段その他があまりにも少なすぎる事。ホーム間移動の伴う乗り換えはもう大変。

岡山駅。対面ですが乗り換え時間は僅か。この先の山陽本線も、原則としてJR西日本の、ほぼ各支社毎に乗り換えを強いられます。急ぐなら新幹線に乗れ、と言う事なんでしょうね。
ただ実際の所、山陽新幹線も「こだま号」は日中は1時間に1本。積極的に「乗って下さい」とはとても言えぬダイヤ編成。特に短距離利用者には不便の極み。ちょっと残念と言えば残念な話です。

漸く辿り着いた、感のある、山陽本線松永駅。昭和41年までは周辺は「広島県松永市」でした。駅構内は、エレベーターこそ設置されましたが、まだまだ「国鉄」の雰囲気が色濃く残っています。

で、ここからどうやってスタジアム、つまり「みろくの里」まで移動するか、と言うと「タクシー」。ぶっちゃけ、途中で一区間だけ新幹線に乗って、松永駅からバス、と言う手段もあるんですが、本数もかなり少なく、また合計金額を考えると、こちらの方が多少なりとも安上がり、なんです。

広島県下で数少ないテーマパーク「みろくの里」。ツネイシホールディングス傘下の会社が運営しています。遊園地でもあり、また園内には「神勝寺温泉」もあったり、また、宿泊・研修施設の「ツネイシしまなみビレッジ」があったり、時代劇撮影用のセット(原則非公開)もあったり。

その「みろくの里」の駐車場のさらに奥に「ツネイシスタジアム」があります。

敷地内に入ってすぐは三塁側。スタジアムの「向き」としては、センターラインが北西方向から南島方向に向いてます。色んな球場にいきましたが、この向きで造られている球場はあまりありません。

スタジアムの三塁側外には、ブルペンも設けられています。年季は入ってますが、さすが「元NPB仕様」の球場。ここで、1980年代の強いカープが築き上げられたのかと思うと、感慨深いものがあります。

さて、早速中に入ってみます。フィールド部分。内野は全面土、外野は天然芝になっています。外野フェンスの向こう側は「山」。何となく、広島東洋カープ由宇練習場を思い起こさせます。

両翼は93メートル、センターは121メートル。やや両翼が短いかなぁ、と感じる程度です。もっとも、レフト後方に駐車場があるので、これ以上の拡張は難しいかも知れませんが、高校野球や大学野球の球場、また企業チームが使用する球場としては十分な設備ではないかと考えます。

スタンドは足場を組んだようなベンチシート。何と「木造」。収容人員は1000人とか。

で、バックネット裏なんですが、スタンドはありませんが、旧放送室を改装したのか、中に入って観戦する事も出来るようです。ただ、バックネットがあまりにも強固なので、撮影その他には不向き。

ツネイシスタジアムの何が目を引くかって、スコアボードが電光掲示板な事。右画像、以前訪れた時は「どない表示するんかね」と思っていたんですが、この狭いスペースに、両チームのオーダーとランニングスコア、さらには試合中はボールカウントが表示されると言う、なかなか考えられた逸品。

場内放送こそありませんでしたが、選手交代はきちんと表示されていました。ただ残念なことに、試合途中でバグってしまい、試合終了までに復旧しませんでした。

ちょっと変わった構造のベンチ周辺。一塁側ベンチには、背後にクラブハウスらしき建物がありますが、三塁側はなし。故にJR四国の選手の荷物はスタンドに置かれていました。これが「アウェイの洗礼」なのか。

さらに珍しいのは、ベンチのグラウンド側に張られた金網。これはよそでは見たことがありません。

スタジアムの外周でちょっと気になった構造物。二本足の鉄塔らしきものが幾つかありましたが、照明塔の設置準備工事なのか、照明設備を撤去した跡なのか気になるところ。

当時とは構造物等、いろいろ変わってるかも知れませんが、かつでここで長嶋清幸や長内孝、金石昭人や小早川毅彦らのカープ選手が鍛えられていたのかと思うと、感慨深いものがあります。なかなかの山奥にあるがゆえ、おいそれと行ける所ではありませんが、これから先も、備後地区の野球の礎として、使っていただきたいと思います。また機会があれば、訪れたいと思います。
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で、表題の「ツネイシスタジアム」。開場当時の名前は「みろくの里神勝寺球場」。昭和54年から広島東洋カープ二軍が本拠地にしてましたが、由宇練習場の開場により、平成7年を最後にウエスタンリーグ公式戦は行われなくなり、現在ではツネイシの他、大学や高校の試合も行われてるとか。
で、前の記事にも記しましたが、ツネイシ硬式野球部のオープン戦ってのは、基本、週末や休日に行われる事が多いんですが、今回は「水曜日」と言う事で、ちょっと気合を入れて行ってきました。


おはようございます初芝駅。




青春18きっぷを駆使するので、三国ヶ丘駅乗り換え。夏休みなので学生さんは少ないです。




天王寺駅乗り換えを経て大阪駅。ここからは新快速電車です。4枚目の画像は、何かと「リミット」と言われる加古川。もうこの先に行くと帰れません。


姫路駅。高架駅になって久しいですが、個人的に思う、ここの駅の構造上のミスは、満員の12両編成新快速電車に対して、階段その他があまりにも少なすぎる事。ホーム間移動の伴う乗り換えはもう大変。


岡山駅。対面ですが乗り換え時間は僅か。この先の山陽本線も、原則としてJR西日本の、ほぼ各支社毎に乗り換えを強いられます。急ぐなら新幹線に乗れ、と言う事なんでしょうね。
ただ実際の所、山陽新幹線も「こだま号」は日中は1時間に1本。積極的に「乗って下さい」とはとても言えぬダイヤ編成。特に短距離利用者には不便の極み。ちょっと残念と言えば残念な話です。


漸く辿り着いた、感のある、山陽本線松永駅。昭和41年までは周辺は「広島県松永市」でした。駅構内は、エレベーターこそ設置されましたが、まだまだ「国鉄」の雰囲気が色濃く残っています。


で、ここからどうやってスタジアム、つまり「みろくの里」まで移動するか、と言うと「タクシー」。ぶっちゃけ、途中で一区間だけ新幹線に乗って、松永駅からバス、と言う手段もあるんですが、本数もかなり少なく、また合計金額を考えると、こちらの方が多少なりとも安上がり、なんです。


広島県下で数少ないテーマパーク「みろくの里」。ツネイシホールディングス傘下の会社が運営しています。遊園地でもあり、また園内には「神勝寺温泉」もあったり、また、宿泊・研修施設の「ツネイシしまなみビレッジ」があったり、時代劇撮影用のセット(原則非公開)もあったり。


その「みろくの里」の駐車場のさらに奥に「ツネイシスタジアム」があります。


敷地内に入ってすぐは三塁側。スタジアムの「向き」としては、センターラインが北西方向から南島方向に向いてます。色んな球場にいきましたが、この向きで造られている球場はあまりありません。


スタジアムの三塁側外には、ブルペンも設けられています。年季は入ってますが、さすが「元NPB仕様」の球場。ここで、1980年代の強いカープが築き上げられたのかと思うと、感慨深いものがあります。


さて、早速中に入ってみます。フィールド部分。内野は全面土、外野は天然芝になっています。外野フェンスの向こう側は「山」。何となく、広島東洋カープ由宇練習場を思い起こさせます。


両翼は93メートル、センターは121メートル。やや両翼が短いかなぁ、と感じる程度です。もっとも、レフト後方に駐車場があるので、これ以上の拡張は難しいかも知れませんが、高校野球や大学野球の球場、また企業チームが使用する球場としては十分な設備ではないかと考えます。


スタンドは足場を組んだようなベンチシート。何と「木造」。収容人員は1000人とか。


で、バックネット裏なんですが、スタンドはありませんが、旧放送室を改装したのか、中に入って観戦する事も出来るようです。ただ、バックネットがあまりにも強固なので、撮影その他には不向き。


ツネイシスタジアムの何が目を引くかって、スコアボードが電光掲示板な事。右画像、以前訪れた時は「どない表示するんかね」と思っていたんですが、この狭いスペースに、両チームのオーダーとランニングスコア、さらには試合中はボールカウントが表示されると言う、なかなか考えられた逸品。


場内放送こそありませんでしたが、選手交代はきちんと表示されていました。ただ残念なことに、試合途中でバグってしまい、試合終了までに復旧しませんでした。



ちょっと変わった構造のベンチ周辺。一塁側ベンチには、背後にクラブハウスらしき建物がありますが、三塁側はなし。故にJR四国の選手の荷物はスタンドに置かれていました。これが「アウェイの洗礼」なのか。

さらに珍しいのは、ベンチのグラウンド側に張られた金網。これはよそでは見たことがありません。


スタジアムの外周でちょっと気になった構造物。二本足の鉄塔らしきものが幾つかありましたが、照明塔の設置準備工事なのか、照明設備を撤去した跡なのか気になるところ。


当時とは構造物等、いろいろ変わってるかも知れませんが、かつでここで長嶋清幸や長内孝、金石昭人や小早川毅彦らのカープ選手が鍛えられていたのかと思うと、感慨深いものがあります。なかなかの山奥にあるがゆえ、おいそれと行ける所ではありませんが、これから先も、備後地区の野球の礎として、使っていただきたいと思います。また機会があれば、訪れたいと思います。
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2016.08.12 / Top↑
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