※この記事は、9割9分「思い出話」で成り立っています。
2005年に、福知山線脱線事故に影響で活動休止を余儀なくされた(と今でも思っています。)JR西日本硬式野球部。そしてその新たな歴史は、2013年度にふ再び綴られるようになりました。
2009年から、10月~11月の社会人野球日本選手権を楽しみにしていた私としては「JRグループのチームがひとつ増える、しかも本拠地が広島で」と結構喜んだもんです。根底は鉄ヲタですから。

初めてJR西日本野球部の実際の試合を観に行ったのは2014年の3月。よりによって広島東洋カープとのプロアマ交流試合。どっちがお目当て、というわけでもなく、実際に動いている選手を観たい、と言うだけの話、アマチュア野球に精通しているわけではもちろんないので、誰が誰、と言うのは全くわかりませんでした。もっとも、とっかかりとしてはそんなもんなんでしょうけどね。

今更ですが、その時にこっそり撮影させてもらった「メンバー表」。もちろん2年前の画像なので、オリックスバファローズに指名された杉本裕太郎外野手、千葉ロッテマリーンズに指名された高野圭佑投手は新入社員。この時、ビデオ係をされてたのは高野投手だったはず。背番号18だったので覚えてます。「頑張ってください」と声をかけさせてもらったんですが覚えてらっしゃいますか(笑)。
結果は1-1の引き分け。ぶっちゃけ「こらぁえらいチームが広島に出来たもんだ」とも思いましたよ。

その予感(?)が当たったのか何なのか、JR西日本野球部は、昨年の都市対抗野球大会に、結成80年目にして初出場。いてもたってもいられぬままに、東京ドームに出かけました。思えば東日本大震災で代替開催された2011年(京セラドーム大阪)以来。もっとも本来、都市対抗野球大会ってのは東京ドームで開催されるものなので、喜び勇んで出かけたものです。

しかしながら結果は、狭山市代表・Hondaい延長タイブレークの末のサヨナラ負け。野球を観戦し始めてこれだけ悔しいのは初めてでした。短い期間ながらも応援していたチームの敗戦。


そんな凄まじいしのぎの削り合いの中、JR西日本野球部「再出発」のメンバーでもある、関根裕之投手は、9回裏からの4回2/3を56球のまさに「熱投」。自責点ゼロ(延長タイブレークの失点は自責点にはなりません)ではありましたが、この大会で最後に投げたピッチャーになりました。


偶然でも何でもないんですが、対カープ戦でのピッチングフォームと、この試合でのピッチングフォームを見比べると、明らかにダイナミックさが違うんですよね。都市対抗野球大会と言う大舞台がそうさせるのかも知れませんし、それがまた都市対抗野球大会と言う舞台の「凄み」なのかも。
社会人野球日本選手権なり、都市対抗野球大会ってのは、社会人野球の最高峰の戦いです。その舞台に立てるのはほんのわずかの選手。勝ち負けももちろん大事ではありますが、その一投一打に全てを賭ける瞬間ってのは、どのチームのどの選手を見ててもかっこいいもんですよ。
そして、今年の10月末、関根裕之投手は現役引退を発表されました。どうやら肩を怪我されて、まともに投げられる状態じゃないとか。創価高校で甲子園大会に出場したのが2007年。その後も常に第一線で投げてきたんだから致し方のないこと。皆どこかしらに怪我をしてないわけがないんです。
Hondaの西郷泰之選手みたいに、社会人野球でも長く現役を続けておられる方もいますし、もう一つ上のレベルを目指す為に社会人野球に進む選手もいますが、大半はケガやその他の理由で引退・社業専念になる。それまでに如何に燃え上がれるか、そして燃え尽きるか、ではないかな。
野球部が再始動して3年。繰り返しになりますが、その3年間での最初のピークは2014年だったんだと思います。そしてその中に創立メンバーでもあった関根裕之投手がいたことは忘れません、お疲れ様でした、と言うよりも、JR西日本野球部を応援してきて良かったです、ありがとうございました。
そしてまだまだこれからも、JR西日本野球部を応援し続けます!
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2005年に、福知山線脱線事故に影響で活動休止を余儀なくされた(と今でも思っています。)JR西日本硬式野球部。そしてその新たな歴史は、2013年度にふ再び綴られるようになりました。
2009年から、10月~11月の社会人野球日本選手権を楽しみにしていた私としては「JRグループのチームがひとつ増える、しかも本拠地が広島で」と結構喜んだもんです。根底は鉄ヲタですから。


初めてJR西日本野球部の実際の試合を観に行ったのは2014年の3月。よりによって広島東洋カープとのプロアマ交流試合。どっちがお目当て、というわけでもなく、実際に動いている選手を観たい、と言うだけの話、アマチュア野球に精通しているわけではもちろんないので、誰が誰、と言うのは全くわかりませんでした。もっとも、とっかかりとしてはそんなもんなんでしょうけどね。

今更ですが、その時にこっそり撮影させてもらった「メンバー表」。もちろん2年前の画像なので、オリックスバファローズに指名された杉本裕太郎外野手、千葉ロッテマリーンズに指名された高野圭佑投手は新入社員。この時、ビデオ係をされてたのは高野投手だったはず。背番号18だったので覚えてます。「頑張ってください」と声をかけさせてもらったんですが覚えてらっしゃいますか(笑)。
結果は1-1の引き分け。ぶっちゃけ「こらぁえらいチームが広島に出来たもんだ」とも思いましたよ。


その予感(?)が当たったのか何なのか、JR西日本野球部は、昨年の都市対抗野球大会に、結成80年目にして初出場。いてもたってもいられぬままに、東京ドームに出かけました。思えば東日本大震災で代替開催された2011年(京セラドーム大阪)以来。もっとも本来、都市対抗野球大会ってのは東京ドームで開催されるものなので、喜び勇んで出かけたものです。


しかしながら結果は、狭山市代表・Hondaい延長タイブレークの末のサヨナラ負け。野球を観戦し始めてこれだけ悔しいのは初めてでした。短い期間ながらも応援していたチームの敗戦。




そんな凄まじいしのぎの削り合いの中、JR西日本野球部「再出発」のメンバーでもある、関根裕之投手は、9回裏からの4回2/3を56球のまさに「熱投」。自責点ゼロ(延長タイブレークの失点は自責点にはなりません)ではありましたが、この大会で最後に投げたピッチャーになりました。




偶然でも何でもないんですが、対カープ戦でのピッチングフォームと、この試合でのピッチングフォームを見比べると、明らかにダイナミックさが違うんですよね。都市対抗野球大会と言う大舞台がそうさせるのかも知れませんし、それがまた都市対抗野球大会と言う舞台の「凄み」なのかも。
社会人野球日本選手権なり、都市対抗野球大会ってのは、社会人野球の最高峰の戦いです。その舞台に立てるのはほんのわずかの選手。勝ち負けももちろん大事ではありますが、その一投一打に全てを賭ける瞬間ってのは、どのチームのどの選手を見ててもかっこいいもんですよ。
そして、今年の10月末、関根裕之投手は現役引退を発表されました。どうやら肩を怪我されて、まともに投げられる状態じゃないとか。創価高校で甲子園大会に出場したのが2007年。その後も常に第一線で投げてきたんだから致し方のないこと。皆どこかしらに怪我をしてないわけがないんです。
Hondaの西郷泰之選手みたいに、社会人野球でも長く現役を続けておられる方もいますし、もう一つ上のレベルを目指す為に社会人野球に進む選手もいますが、大半はケガやその他の理由で引退・社業専念になる。それまでに如何に燃え上がれるか、そして燃え尽きるか、ではないかな。
野球部が再始動して3年。繰り返しになりますが、その3年間での最初のピークは2014年だったんだと思います。そしてその中に創立メンバーでもあった関根裕之投手がいたことは忘れません、お疲れ様でした、と言うよりも、JR西日本野球部を応援してきて良かったです、ありがとうございました。
そしてまだまだこれからも、JR西日本野球部を応援し続けます!
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2015.11.08 / Top↑
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