20年経ちました。

人によっては早かったのかも知れないし、長かったかも知れない。被害云々もあるけども、どれもこれも同じ20年、当時生まれたお子さんは成人式を迎えます。

あまり立ち寄ることはなくなったけど、神戸の街は相変わらず賑わってます。どこからともなく人が集まり、夜になると散っていく。20年前、あちこちから火の手が上がり、黒煙が立ち込めていた街だとはとても思えない。ぶっちゃけ至極素晴らしいことだと思う。よくここまで立ち直ったと思います。


先日、神戸市内中心部、三ノ宮駅周辺からメリケンパークあたりをぶらぶらしてきました。

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JR三ノ宮・元町両駅前もすっかり明るさを取り戻し、人通りも戻り、20年前の爪跡ってのはほとんど見られなくなりました。しかしながら、お住まいの方には、どこかしら変わって見れるのかも知れません。事実、被害を受けた旧神戸阪急ビル東館は解体されましたしね。

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神戸市役所1号館24階にある展望ロビーにも行ってきました。神戸市役所自体も甚大な被害を受けました。あの日あの時、ここから見た光景はどんなだったんでしょうか。


けど、人の心ってのはどこまで立ち直ったかな、とは思う。もちろん、神戸市街中心部にお住まいだった方は、あの日のことは忘れられないだろうし忘れないでしょう。

前に勤めていた会社にも、阪神淡路大震災で、精神的に病んでしまった同僚、と言うか後輩がいました。あえて私らは震災の事には触れずにはいましたが、幾度となく自殺未遂を図って病院に担ぎ込まれてもいました。後に私よりも先に退職してしまったが、元気でいるのかな。

こう言う人が間近にいたせいもあるのか、本当に復興を前進させたいのであれば、過去を忘れることは決して悪いことじゃない、と思うのは間違いか、とも思います。極端な話、第二次世界大戦の惨状から、「75年間は草木も生えぬ」とまで言われた広島の街が、あそこまで大都会になったのは、人が立ち直ってきたのは、皆が無我夢中で汗水たらして働いてきた結果じゃないでしょうか。

亡くなった人の事を思えば悲しいに決まってます、やり場のない怒りがこみ上げてこないわけがないでしょう。けど、その日その日の積み重ねで、徐々に明日が見えるようになる為に、必死になって働いた時間があって「もはや戦後ではない」の言葉と共に、日本は高度経済成長。


話は大きくなり過ぎましたが、1月17日が近付くと「震災」をテーマにしたイベントが目白押しになります。どこからともなく出てきた歌手が「あの日を忘れない、前を向いて生きよう」と、まるで人生を悟ったような顔をして上から目線で歌ってるけど、正直、そんなもんこれっぽっちもいらないんですよ。

それこそ「お前に言われんでもわかっとる」の世界。

歌った本人やらイベント関係者はしたり顔で「これで集まった神戸の皆さんの心の中を洗い流す事が出来たと思います」って言ってるけど、そんなイベントを立ち上げて、実際に救われているのは、それで金や仕事が回って来る人たちだけ。むちゃくちゃな言い分かも知れませんが。

東日本大震災の被災地で、1月17日に竹灯籠に火を灯したり、3月11日に神戸で何やかんやとか、いつまでも痛みの共有やら慰めあいだけでは絶対に根底からの復興はありえない。

歌うだけの単発イベントなんかいらないんですよ。慰めのコンサートなんか必要ないんですよ。それこそ、常日頃から防災訓練を積み重ねるだけでも十分。歌って救われるんだったら地震も豪雨も来ないし、もっと極端な話、戦争なんか起きるわけがない。歌は免罪符ではけっしてない。

ここまで言ったら怒られるかも知れないけど、肉親を亡くした人が涙ながらにその日の惨状を訴えたりもしているけど、肝心なのは「そこから何を得たか」じゃないですかね。震災を伝えたい、と口にはするけど、個人の悲しみを伝えたところで、心の傷をどうたらこうたらにしか見えない。

さらに、これも思い切り怒られるかも知れませんが、無事でいた、全く関係ない地域の人間が「大変でしたねえ」と言って涙を流したところで、痛みを分かち合えるもんじゃない。そんなのはただの同情ですよ。「頑張ってください」と言った所でそれこそ「お前に言われんでも」ですよ。

20年間、泣き続けた方もいるかも知れない。この時期になると、まるで思い出したかのように、阪神大震災の被災者にスポットをあてた記事が、毎日のように新聞紙上で見られるけど、泣いてたって何も始まらないんですよ。「始められない」と言う人もいるでしょうけど、時間はただ過ぎていくだけ。

とは言え私にも、もう二度と口をきくことが出来なくなった友人が居ることを最近知りました。


昨年末12月30日に、NHK BS-1でこんな番組をやってました。

スポーツ大陸 大逆転スペシャル
「市民にささげた初優勝 -オリックス 大震災からの奇跡-」


そこに、当時のオリックスブルーウェーブ・宮内義彦オーナーが「こんなときに神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ」と、檄を飛ばした。

「がんばろうKOBE」こそあったけど、オリックスブルーウェーブはごく当たり前にグリーンスタジアム神戸で試合をし、1995年はパ・リーグ優勝を成し遂げた。本当に強かったですよ。

動かしたのは「がんばろうKOBE」と言う、ものすごくシンプルな言葉。これだけでいいんですよね。忘れない忘れないを連呼するよりも、ごく当たり前に野球をやって、神戸の人たちが前を向いて生活していこうと言う力が、ブルーウェーブのチーム全体を突き動かした、とすら思います。

「神戸市民を励ました」と、チームが上のようにも言われるけど、人によっては夢だの希望だのと言う美辞麗句を並べたがるとは思いますが、個人的にはそうは見えなかった。神戸の人達がブルーウェーブを強くしたんじゃないか、とすら思います。それこそ「ミエナイチカラ」ですよ。

致し方ない事だったかも知れませんが、開幕戦のグリーンスタジアム神戸のスタンドはどちらかと言えば黒かった。それこそ皆、外に着ていく物すらなかったんでしょう。それでも、あのスタンドが超満員。皆そこに「いつもと同じように」プロ野球があることを再確認しに来てる。

それが、9月15日~17日の場面になると、かなり明るくなっている。もちろん、残暑も残っていたであろう、9月の事ですから、まだまだ夏服が目立つ時期。町の復興はまだまだ追いついてませんでしたか、オリックスブルーウェーブのn試合がある、と言うだけでどれだけ進歩したか。

番組中、藤井康雄のヒーローインタビューで「喜んでいただけましたか」ってのがあった。おそらく試合中はそんな事は考えてないだろうと思います。最終的に試合に勝つことで「喜んで貰えれば」と言うシンプルな考えだったはず。

そしてそのミエナイチカラは、けっして人から煽られるものでもない。人の奥底から湧き出て来るもの。そう思わずにはいられない、20年目の1月17日。


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2015.01.17 / Top↑
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