とうとう第三部までになってしまいました。
北陸本線新疋田駅から歩くこと1時間で「山頂」。そこに滞在する事おおよそ3時間。そして再び30分かけて下山。下山したあとは国道8号線沿いにある「小河口」バス停でやや遅めの昼食と相成ったわけです。もちろんそこで「登山装備」は解除しましたが「耐寒装備」はそのまま。
バス停と書きましたが、新疋田駅~敦賀駅間には、疋田周辺の集落と敦賀駅を結ぶ市営のコミュニティバス「愛発(あいほつ)線」が運行されていますが、これがコミュニティバスのコミュニティバス所以たるところで、北陸本線電車とは何ら関係ない運行ダイヤゆえ、今回は全く使わず。
ゆえに新疋田駅~登山~敦賀駅を徒歩で全て回ったという次第。自宅から青春18きっぷで来ようと思ったら、どのルートであろうが新疋田駅到着が08:39。近くのバス停からバスが出るのが08:36と、微妙ではありますが利用出来ないと言う悲劇。まぁ適度なハイキングと考えれば、という次第。

下山直後に撮影した写真。左写真の右上の方に、ほとんど飛んでしまっていますが、撮影地でもあった鉄塔が写っています。よくもまぁこんな所まで登ったな、とは思いますが、体力的には疲れもなく、来た道を引き返すのも何なので、今度は敦賀駅を目指すことにしました。
しかも時間は13時過ぎ。頑張って歩けばこれまた新疋田駅~敦賀駅間の超有名撮影地、通称「ダンロップカーブ」で、今度は札幌行の下り「トワイライトエクスプレス」をゲット出来るかも。
と言う事で、山頂の雪が小雨に変わる中、敦賀駅に向けていざ強行軍。ちなみにこの名前、昔は近くの中古車屋さんか何かに「ダンロップ」の看板があったそうで、いつしか「ダンロップカーブ」と呼ばれるようになったとか。現在は目印になった看板はなくなっています。
しかしながら年に1回か2回しか履かない靴。もっともこんな撮影行のために買った靴なんですが、さすがに足先に数カ所水膨れの兆候らしきものあり、なかなか歩が進まない(笑)。水膨れの感触だけならいいんですが、歩いている途中にそれが破裂したような感触。ぶっちゃけ「やっちゃった」感。
さすがに力尽きましたね。みぞれ混じりの雨もどんどん強くなるばかりで、行程を色々撮影したかったんですが、カメラを取り出せない状況。そして迫ってくる「トワイライトエクスプレス」通過の時刻。
てんで、カメラを構えたのは「ダンロップカーブ」の少し手前にある、国道8号線が北陸本線を越える陸橋の上。あと5分も歩けば目的地到着、ではあったんですが、力尽きてしまいました(笑)。

とは言うものの、やはりお目当てさんが近付いてくるとテンションが上がるもんです。

霙とも雨とも取れないものが間断なく降りしきる中、EF81 103号機を先頭に登場。もう少し目線を下げれば、上空を走る電線は回避出来ると思いますが、そこまで頭が回ってないという悲劇。

片側一車線の国道8号線。左右はしっかり確認して渡ってください。北陸自動車道があるとは言え、交通量は多いです。上段写真を撮影して、左右確認をしてから渡っても、駅到着前なので列車のスピード自体そんなに早くないので十分に間に合います。特に積雪時等慌てないようにして下さい。

ちなみに下段写真中央左端に同業者の方が僅かに写りこんでいますが、そこから撮影するとこんな感じになります(左写真は2010年1月20日、右は2010年2月6日撮影)。ある程度黙認はされているようではありますが、くれぐれも線路に近づき過ぎぬよう。
ここまで来ると、もう敦賀駅はすぐそこ、と言う訳ではないんですが、歩くならばいっその事北陸本線沿いに歩いて「JR西日本金沢支社敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室」勝手に見学。

下りトワイライトエクスプレス撮影からとっとこ歩いて約20分で到着。メインの車庫の横には、敦賀運転センター車両管理室の国鉄時代の呼称でもある「敦賀第二交流電機機関区」の看板が残っていました。「第一機関区」は敦賀駅構内東方にありました。現在は手つかずの空き地になっています。

線路沿いの道路から「機関区」に通じる通路。その奥には「交流電化発祥之地」の碑がありました。北陸本線田村駅~敦賀駅が交流電化されたのは昭和32年10月1日のこと。その頃の「敦賀第一機関区」は、交流電気機関車が溢れかえっていました。

敷地外から撮影するには難儀な場所に留置されていましたが、数少なくなった除雪用機関車DD15 10と、事業用気動車キヤ143(車番不明)の姿が。さらに奥の方にはDE10 1119。福井地域鉄道部福井運転センターの所属ですが「敦」の区名札が差し込まれています。転属かな。


そしてもう1台。DE15 1518。複線区間での除雪用のラッセルヘッドが装着されています。北陸本線での運用を考慮されているのでしょう。これも数を減らしつつあります。

庫外で唸りを上げていたのはEF81 108号機。奥は106号機。寝台特急「日本海」が廃止になり、定期列車運用も消滅。ローズピンク一色に塗装されているEF81は、この2台だけになりました。

電気機関車がゴロゴロ出入りしていた時代と打って変わり、庫内ががらんどうんになった印象は否めません。使わないまま空き地になってしまた所も多々あります。最近になってようやく、521系電車やらで賑やかになっては来ましたが、まだまだうら寂しさは否めません。

新疋田駅下車から約6時間。敦賀駅に到着しました。駅前広場は大絶賛工事中。バス乗り場たタクシー乗り場は、向かって右側の仮駅前広場に移転されています。コンパクトになった駅舎の右側人そびえ立っているのは、2014年4月にオープンした「敦賀駅交流施設オルパーク」。

敦賀駅交流施設オルパークの内部。一階は敦賀駅の待合室やコンビニエンスストア、観光案内所が入っています。二階は多目的室など。バブル経済期によく見られたこの手の建物ではあります。

―――以上、北陸本線新疋田駅から敦賀駅まで、途中軽度の山登りを含めての6時間。鉄分満喫の日曜日でございました。次に来れるのはいつの日か。そもそも行く気になるのかどうか(笑)
何でや!野球関係ないやろ!と思われるかも知れません。が、以下どれでもクリックして頂ければ是幸いです。
北陸本線新疋田駅から歩くこと1時間で「山頂」。そこに滞在する事おおよそ3時間。そして再び30分かけて下山。下山したあとは国道8号線沿いにある「小河口」バス停でやや遅めの昼食と相成ったわけです。もちろんそこで「登山装備」は解除しましたが「耐寒装備」はそのまま。
バス停と書きましたが、新疋田駅~敦賀駅間には、疋田周辺の集落と敦賀駅を結ぶ市営のコミュニティバス「愛発(あいほつ)線」が運行されていますが、これがコミュニティバスのコミュニティバス所以たるところで、北陸本線電車とは何ら関係ない運行ダイヤゆえ、今回は全く使わず。
ゆえに新疋田駅~登山~敦賀駅を徒歩で全て回ったという次第。自宅から青春18きっぷで来ようと思ったら、どのルートであろうが新疋田駅到着が08:39。近くのバス停からバスが出るのが08:36と、微妙ではありますが利用出来ないと言う悲劇。まぁ適度なハイキングと考えれば、という次第。


下山直後に撮影した写真。左写真の右上の方に、ほとんど飛んでしまっていますが、撮影地でもあった鉄塔が写っています。よくもまぁこんな所まで登ったな、とは思いますが、体力的には疲れもなく、来た道を引き返すのも何なので、今度は敦賀駅を目指すことにしました。
しかも時間は13時過ぎ。頑張って歩けばこれまた新疋田駅~敦賀駅間の超有名撮影地、通称「ダンロップカーブ」で、今度は札幌行の下り「トワイライトエクスプレス」をゲット出来るかも。
と言う事で、山頂の雪が小雨に変わる中、敦賀駅に向けていざ強行軍。ちなみにこの名前、昔は近くの中古車屋さんか何かに「ダンロップ」の看板があったそうで、いつしか「ダンロップカーブ」と呼ばれるようになったとか。現在は目印になった看板はなくなっています。
しかしながら年に1回か2回しか履かない靴。もっともこんな撮影行のために買った靴なんですが、さすがに足先に数カ所水膨れの兆候らしきものあり、なかなか歩が進まない(笑)。水膨れの感触だけならいいんですが、歩いている途中にそれが破裂したような感触。ぶっちゃけ「やっちゃった」感。
さすがに力尽きましたね。みぞれ混じりの雨もどんどん強くなるばかりで、行程を色々撮影したかったんですが、カメラを取り出せない状況。そして迫ってくる「トワイライトエクスプレス」通過の時刻。
てんで、カメラを構えたのは「ダンロップカーブ」の少し手前にある、国道8号線が北陸本線を越える陸橋の上。あと5分も歩けば目的地到着、ではあったんですが、力尽きてしまいました(笑)。




とは言うものの、やはりお目当てさんが近付いてくるとテンションが上がるもんです。

霙とも雨とも取れないものが間断なく降りしきる中、EF81 103号機を先頭に登場。もう少し目線を下げれば、上空を走る電線は回避出来ると思いますが、そこまで頭が回ってないという悲劇。


片側一車線の国道8号線。左右はしっかり確認して渡ってください。北陸自動車道があるとは言え、交通量は多いです。上段写真を撮影して、左右確認をしてから渡っても、駅到着前なので列車のスピード自体そんなに早くないので十分に間に合います。特に積雪時等慌てないようにして下さい。


ちなみに下段写真中央左端に同業者の方が僅かに写りこんでいますが、そこから撮影するとこんな感じになります(左写真は2010年1月20日、右は2010年2月6日撮影)。ある程度黙認はされているようではありますが、くれぐれも線路に近づき過ぎぬよう。
ここまで来ると、もう敦賀駅はすぐそこ、と言う訳ではないんですが、歩くならばいっその事北陸本線沿いに歩いて「JR西日本金沢支社敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室」勝手に見学。

下りトワイライトエクスプレス撮影からとっとこ歩いて約20分で到着。メインの車庫の横には、敦賀運転センター車両管理室の国鉄時代の呼称でもある「敦賀第二交流電機機関区」の看板が残っていました。「第一機関区」は敦賀駅構内東方にありました。現在は手つかずの空き地になっています。


線路沿いの道路から「機関区」に通じる通路。その奥には「交流電化発祥之地」の碑がありました。北陸本線田村駅~敦賀駅が交流電化されたのは昭和32年10月1日のこと。その頃の「敦賀第一機関区」は、交流電気機関車が溢れかえっていました。


敷地外から撮影するには難儀な場所に留置されていましたが、数少なくなった除雪用機関車DD15 10と、事業用気動車キヤ143(車番不明)の姿が。さらに奥の方にはDE10 1119。福井地域鉄道部福井運転センターの所属ですが「敦」の区名札が差し込まれています。転属かな。




そしてもう1台。DE15 1518。複線区間での除雪用のラッセルヘッドが装着されています。北陸本線での運用を考慮されているのでしょう。これも数を減らしつつあります。

庫外で唸りを上げていたのはEF81 108号機。奥は106号機。寝台特急「日本海」が廃止になり、定期列車運用も消滅。ローズピンク一色に塗装されているEF81は、この2台だけになりました。


電気機関車がゴロゴロ出入りしていた時代と打って変わり、庫内ががらんどうんになった印象は否めません。使わないまま空き地になってしまた所も多々あります。最近になってようやく、521系電車やらで賑やかになっては来ましたが、まだまだうら寂しさは否めません。

新疋田駅下車から約6時間。敦賀駅に到着しました。駅前広場は大絶賛工事中。バス乗り場たタクシー乗り場は、向かって右側の仮駅前広場に移転されています。コンパクトになった駅舎の右側人そびえ立っているのは、2014年4月にオープンした「敦賀駅交流施設オルパーク」。


敦賀駅交流施設オルパークの内部。一階は敦賀駅の待合室やコンビニエンスストア、観光案内所が入っています。二階は多目的室など。バブル経済期によく見られたこの手の建物ではあります。


―――以上、北陸本線新疋田駅から敦賀駅まで、途中軽度の山登りを含めての6時間。鉄分満喫の日曜日でございました。次に来れるのはいつの日か。そもそも行く気になるのかどうか(笑)
何でや!野球関係ないやろ!と思われるかも知れません。が、以下どれでもクリックして頂ければ是幸いです。


2014.12.16 / Top↑
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