ドラフト指名選手も、どんどん仮契約等が進んでいき、同時に背番号が決定してます。それに伴って、現在在籍している選手の背番号も、順次「更新」されていってます。
會澤に伝統の「27」正捕手奪取じゃ デイリースポーツ
広島・会沢翼捕手(26)が、正捕手奪取に強い意欲をのぞかせた。前日14日に来季の背番号が「64」から「27」に変更されることがわかった。「背番号に見合う選手になりたい。来年は必ずレギュラーをつかむ」と球団の期待を実感し、応えてみせる意気込みだ。
日本球界で「27」は、森(巨人)、古田(ヤクルト)、伊東(西武)、谷繁(中日)ら捕手の番号として知られている。広島では“ミスター赤ヘル”山本元監督が入団時につけていたものとして有名だ。伝説の選手に匹敵する結果を残してほしい-。そんな思いが込められている。
今季は65試合に出場。10本塁打で球団史上4人目となる捕手での2桁本塁打を記録した。秋季キャンプでは打撃力をさらに磨く。新井打撃コーチに師事し、タイミングのとり方を修正。この日のフリー打撃では柵越えを連発した。
「1年だけと言われないようにしたい」。来季は正捕手としてチームを引っ張る。
前任の「27」上村和裕も、66番からの変更の際、期待はされていたと思うんですが、一軍出場の機会がめっきり減ってしまったように思うのは気のせいでしょうか。會澤翼いは関係ないですが(笑)。

(2007年2月12日 宮崎。日南春季キャンプにて)
若い背番号が、永久欠番やら「本人(もしくは球団)預かり」と言う形で、なかなか現役選手に行き渡らない現状のカープ。それゆえに大きい背番号の選手が、一軍ベンチを賑わすことも多いです。
木村昇吾が高校野球で言う、ショートのレギュラー番号「6」にこだわりを持ち、66を背負い続けている、みたいな話を聞きましたが、會澤翼もまた64に愛着があるとか。同期同級生の前田健太は、34の仮番号を経て、晴れて2年目のシーズンに18を背負いましたが、會澤翼は64のまま。

(2009年3月27日 雁の巣球場 ウエスタンリーグ 対ホークス戦)
球団から期待をされてなかった、わけはないですが、都合のいい番号がなかなか空かなかったんだろうな。22が空いた時は「来るかな」とは思いましたが、高橋建さんのあとを引き継ぐがごとく、左腕の中村恭平の背中へ。これはこれで、球団のこだわりが見えますが。

(2010年7月9日 あじさいスタジアム北神戸 ウエスタンリーグ 対バファローズ戦)
60番台って、ドラフト下位指名入団の選手、と言うイメージがつきまといます。どこの球団でもそれは当たり前のことだとは思いますが、昔のジャイアンツでは50番トリオ(駒田徳広・槙原寛己・吉村禎章)などと言うのもあり、大きくてもけっして日の目を見ない番号じゃないんですよね。

(2011年3月18・19日 神戸サブ球場 ウエスタンリーグ 対バファローズ戦)
選手が長い間、その番号を背負っていると、観てる方も徐々に慣れ親しんでくるもんでして。しかしながら、伝え聞くことによると、會澤翼自体もこの64には愛着を感じているとか。高校生ドラフト3巡目指名とは言え、けっして小さくない番号。その番号を背負ったまま、ここまで来たんですからね。

(2012年9月20日 阪神鳴尾浜球場 ウエスタンリーグ 対タイガース戦)
過去のカープの背番号27と言えば、記憶にあるのは(と言うか刷り込まれた)、昭和50年の初優勝投手もであった金城基泰投手が背負ってた番号。それ以降はキャッチャー入団の原伸次氏が長らく背負い、その後は井上祐二。それ以降は木村一喜、上村和裕とキャッチャーが続きます。

(2013年4月23日 阪神甲子園球場 ウエスタンリーグ 対タイガース戦)
元ヤクルトスワローズ・大矢明彦氏の影響か、その後の古田敦也氏の影響か、27はどこのチームでも比較的、キャッチャーが背負うことが多くなっています。野村克也氏の19でもなく、田淵幸一氏の22でもなく、大矢明彦氏てのはやはり何かあるんでしょうね。その後の経歴とか。

(2014年4月30日 阪神鳴尾浜球場 ウエスタンリーグ 対タイガース戦)
こうやっていつまでも、出てくる名前は昭和50年代の選手ばかり、になってしまってます(除:古田敦也)が、どの背番号でもそうですが、そろそろ昭和の選手の名前は本気で過去のものにしないといけない。王貞治氏の55本も過去帳入りした現在、目標とされる背番号は51ばかり(笑)。
27番にもそろそろ、新しい顔になる選手が必要かと思われます。2014年現在、キャッチャーの27番と言えば、ジャイアンツ實松一成、ドラゴンズ谷繁元信、ライオンズ炭谷銀仁朗、ホークス細川亨、ファイターズ中嶋聡と、移籍選手が大半を占めています。
そろそろここで會澤翼が、新しい「27番の顔役」になっていただきたい。それだけの能力はある選手だと思います。、こおんぜ番号で一軍をそれこそシメテいただきたい。そう考えます。
そうだそうだと思われる方も、んなわけなかろーがヴォケナス!と思われる方も、とにかくクリック(笑)
會澤に伝統の「27」正捕手奪取じゃ デイリースポーツ
広島・会沢翼捕手(26)が、正捕手奪取に強い意欲をのぞかせた。前日14日に来季の背番号が「64」から「27」に変更されることがわかった。「背番号に見合う選手になりたい。来年は必ずレギュラーをつかむ」と球団の期待を実感し、応えてみせる意気込みだ。
日本球界で「27」は、森(巨人)、古田(ヤクルト)、伊東(西武)、谷繁(中日)ら捕手の番号として知られている。広島では“ミスター赤ヘル”山本元監督が入団時につけていたものとして有名だ。伝説の選手に匹敵する結果を残してほしい-。そんな思いが込められている。
今季は65試合に出場。10本塁打で球団史上4人目となる捕手での2桁本塁打を記録した。秋季キャンプでは打撃力をさらに磨く。新井打撃コーチに師事し、タイミングのとり方を修正。この日のフリー打撃では柵越えを連発した。
「1年だけと言われないようにしたい」。来季は正捕手としてチームを引っ張る。
前任の「27」上村和裕も、66番からの変更の際、期待はされていたと思うんですが、一軍出場の機会がめっきり減ってしまったように思うのは気のせいでしょうか。會澤翼いは関係ないですが(笑)。


(2007年2月12日 宮崎。日南春季キャンプにて)
若い背番号が、永久欠番やら「本人(もしくは球団)預かり」と言う形で、なかなか現役選手に行き渡らない現状のカープ。それゆえに大きい背番号の選手が、一軍ベンチを賑わすことも多いです。
木村昇吾が高校野球で言う、ショートのレギュラー番号「6」にこだわりを持ち、66を背負い続けている、みたいな話を聞きましたが、會澤翼もまた64に愛着があるとか。同期同級生の前田健太は、34の仮番号を経て、晴れて2年目のシーズンに18を背負いましたが、會澤翼は64のまま。


(2009年3月27日 雁の巣球場 ウエスタンリーグ 対ホークス戦)
球団から期待をされてなかった、わけはないですが、都合のいい番号がなかなか空かなかったんだろうな。22が空いた時は「来るかな」とは思いましたが、高橋建さんのあとを引き継ぐがごとく、左腕の中村恭平の背中へ。これはこれで、球団のこだわりが見えますが。


(2010年7月9日 あじさいスタジアム北神戸 ウエスタンリーグ 対バファローズ戦)
60番台って、ドラフト下位指名入団の選手、と言うイメージがつきまといます。どこの球団でもそれは当たり前のことだとは思いますが、昔のジャイアンツでは50番トリオ(駒田徳広・槙原寛己・吉村禎章)などと言うのもあり、大きくてもけっして日の目を見ない番号じゃないんですよね。


(2011年3月18・19日 神戸サブ球場 ウエスタンリーグ 対バファローズ戦)
選手が長い間、その番号を背負っていると、観てる方も徐々に慣れ親しんでくるもんでして。しかしながら、伝え聞くことによると、會澤翼自体もこの64には愛着を感じているとか。高校生ドラフト3巡目指名とは言え、けっして小さくない番号。その番号を背負ったまま、ここまで来たんですからね。


(2012年9月20日 阪神鳴尾浜球場 ウエスタンリーグ 対タイガース戦)
過去のカープの背番号27と言えば、記憶にあるのは(と言うか刷り込まれた)、昭和50年の初優勝投手もであった金城基泰投手が背負ってた番号。それ以降はキャッチャー入団の原伸次氏が長らく背負い、その後は井上祐二。それ以降は木村一喜、上村和裕とキャッチャーが続きます。



(2013年4月23日 阪神甲子園球場 ウエスタンリーグ 対タイガース戦)
元ヤクルトスワローズ・大矢明彦氏の影響か、その後の古田敦也氏の影響か、27はどこのチームでも比較的、キャッチャーが背負うことが多くなっています。野村克也氏の19でもなく、田淵幸一氏の22でもなく、大矢明彦氏てのはやはり何かあるんでしょうね。その後の経歴とか。


(2014年4月30日 阪神鳴尾浜球場 ウエスタンリーグ 対タイガース戦)
こうやっていつまでも、出てくる名前は昭和50年代の選手ばかり、になってしまってます(除:古田敦也)が、どの背番号でもそうですが、そろそろ昭和の選手の名前は本気で過去のものにしないといけない。王貞治氏の55本も過去帳入りした現在、目標とされる背番号は51ばかり(笑)。
27番にもそろそろ、新しい顔になる選手が必要かと思われます。2014年現在、キャッチャーの27番と言えば、ジャイアンツ實松一成、ドラゴンズ谷繁元信、ライオンズ炭谷銀仁朗、ホークス細川亨、ファイターズ中嶋聡と、移籍選手が大半を占めています。
そろそろここで會澤翼が、新しい「27番の顔役」になっていただきたい。それだけの能力はある選手だと思います。、こおんぜ番号で一軍をそれこそシメテいただきたい。そう考えます。
そうだそうだと思われる方も、んなわけなかろーがヴォケナス!と思われる方も、とにかくクリック(笑)


2014.11.17 / Top↑
ELTON
27=捕手
このイメージを定着させたのは大矢氏と言うより、やはりV9捕手森氏の影響大なのだろうと思います。
昭和の時代は現在よりもずっと「Gこそ球界の盟主」の観念が球界全体を覆っていましたし、実際その通りでしたからね。
先週から開催されている日米野球、もしも会澤にあの1ヶ月の故障離脱が無かったら、G小林に代って間違い無く選ばれていた筈。
滅多に無い機会でもあり、本人の経験値を上げる意味でも是非とも参戦して欲しい所でした、あー残念。
下位指名選手の場合は本文にもある通り、大抵は大きな番号を背負う事になる訳ですが、先日カープ復帰が伝えられた新井の場合、8年前のドラフトでは6位と云うその年の最下位指名だったにも関らず、その彼に与えられた背番号は何とレギュラークラスの「25」でした。
下位指名選手には異例とも言える若い背番号。
しかし新井は終日野球漬けのプロ環境の中で早々1年目からその頭角を現し、自らの実力で「25」に相応しい選手へと一気に駆け昇って行きました。
以後16年間、常に「25」と共に歩んで来たプロ野球人生。
「27=捕手」でも分る通り、背番号は選手の名刺とも言えるものです。
入団記者会見では「何番でもよかった。」と語っていた新井ですが、プロ入り後「25」しか着けた事の無い彼が、この番号に愛着が無い訳がありません。
新井以前、カープの「25」と言えば、私なら「木下富雄」でした。
しかし現在、新井移籍後に石井、高橋と受け継がれている「25」ですが、それでも尚、カープの「25」で真っ先に思い浮かぶのは、私の中では今は「新井」なんですね。
先の記事では苦行僧さんも「高橋から25を剥奪したら抗議するかも」と書かれていた様に、唯でさえ相当数のカープファンの反発が懸念される今回の復帰新井。
少しでもその反発を抑えたい球団側の苦慮の結果が「28の選択」だったのは解ります。
しかし、それでも尚、新井には「25」を渡してやって欲しかった、と言うのが私の偽らざる気持ちです。
確かに彼のFA移籍は多くのファンの期待を裏切るものでしたが、その在籍期間に彼が球団に遺した貢献と確かな実績は十分それに値するものとの判断からです。
現在「25」を漬けている高橋は、期待の若手ではあるものの現状は唯それだけ、当然球団に何の貢献をしている訳でも無く、全てはこれからの選手。
現背番号に愛着はあるでしょうけれど‘拘り’は無い筈で、例えば「25」が「28」になったとしても彼がそれを自分の代名刺とする実績を積み重ねる作業は同一線上。
カープの「25」により相応しいのは、どう見ても新井です。
どうか背番号の再考を、今なら未だ間に合います。
このイメージを定着させたのは大矢氏と言うより、やはりV9捕手森氏の影響大なのだろうと思います。
昭和の時代は現在よりもずっと「Gこそ球界の盟主」の観念が球界全体を覆っていましたし、実際その通りでしたからね。
先週から開催されている日米野球、もしも会澤にあの1ヶ月の故障離脱が無かったら、G小林に代って間違い無く選ばれていた筈。
滅多に無い機会でもあり、本人の経験値を上げる意味でも是非とも参戦して欲しい所でした、あー残念。
下位指名選手の場合は本文にもある通り、大抵は大きな番号を背負う事になる訳ですが、先日カープ復帰が伝えられた新井の場合、8年前のドラフトでは6位と云うその年の最下位指名だったにも関らず、その彼に与えられた背番号は何とレギュラークラスの「25」でした。
下位指名選手には異例とも言える若い背番号。
しかし新井は終日野球漬けのプロ環境の中で早々1年目からその頭角を現し、自らの実力で「25」に相応しい選手へと一気に駆け昇って行きました。
以後16年間、常に「25」と共に歩んで来たプロ野球人生。
「27=捕手」でも分る通り、背番号は選手の名刺とも言えるものです。
入団記者会見では「何番でもよかった。」と語っていた新井ですが、プロ入り後「25」しか着けた事の無い彼が、この番号に愛着が無い訳がありません。
新井以前、カープの「25」と言えば、私なら「木下富雄」でした。
しかし現在、新井移籍後に石井、高橋と受け継がれている「25」ですが、それでも尚、カープの「25」で真っ先に思い浮かぶのは、私の中では今は「新井」なんですね。
先の記事では苦行僧さんも「高橋から25を剥奪したら抗議するかも」と書かれていた様に、唯でさえ相当数のカープファンの反発が懸念される今回の復帰新井。
少しでもその反発を抑えたい球団側の苦慮の結果が「28の選択」だったのは解ります。
しかし、それでも尚、新井には「25」を渡してやって欲しかった、と言うのが私の偽らざる気持ちです。
確かに彼のFA移籍は多くのファンの期待を裏切るものでしたが、その在籍期間に彼が球団に遺した貢献と確かな実績は十分それに値するものとの判断からです。
現在「25」を漬けている高橋は、期待の若手ではあるものの現状は唯それだけ、当然球団に何の貢献をしている訳でも無く、全てはこれからの選手。
現背番号に愛着はあるでしょうけれど‘拘り’は無い筈で、例えば「25」が「28」になったとしても彼がそれを自分の代名刺とする実績を積み重ねる作業は同一線上。
カープの「25」により相応しいのは、どう見ても新井です。
どうか背番号の再考を、今なら未だ間に合います。
2014/11/18 Tue 19:01 URL [ Edit ]
| Home |