JR可部線が運転再開=住民生活の足、復旧 時事ドットコム

広島市北部の土砂災害で、線路への土砂流入により運転を見合わせていたJR可部線の可部-緑井間の運転が1日、再開した。住民の生活の足が12日ぶりに復旧した。

R西日本広島支社によると、可部-緑井間には被害の甚大だった安佐南区の八木、緑井両地区があり、線路内への土砂流入と冠水で、災害が発生した8月20日の始発から運転を見合わせていた。

31日までに水路の整備や土砂を取り除く作業が終わり、試運転を実施。線路の状況や踏切の動作を確認したが異常はなかった。

通勤で毎日利用する安佐南区八木の会社員、田崎篤さん(32)は「便利さが戻った。復旧してうれしい」とほっとした様子。運休の間は代行バスで通勤していたが、混雑して乗れないことも多かったという。可部駅で下車する高校1年の女子生徒(15)は「学校へ行くのが楽になる。もう少しかかると思っていたので、早く再開して良かった」と笑顔で話した。

(画像は2003年10月11日 安芸長束駅)



12日ぶりとは言いますが、よくぞ新学期に間に合わせてくれました、と言う感じです。報道でよく紹介されていた、梅林駅周辺なんか、どこに線路があるやら分からないような状態でしたし。

しかも可部線って、もともとがローカル私鉄だっただけに、一部区間では「今でもローカル私鉄じゃろ」と思うような所を走ってたりする。三滝駅手前は山を削ったようなところに家が建ち、そこを電車が走ってる。上記の安芸長束駅から大町駅手前までは、住宅の裏手のようなところすら。

そして、緑井駅から上八木駅までの間は、今回の災害の現場となった山裾を走る。この区間でも、線路敷ギリギリまで民家が立ち並んでいるところもあり、その民家が押し流されてきたら。それこそ可部線も一蓮托生。運命を共にせざるを得ない。自然の驚異の前には人間は無力ですよ。

可部線は実は「黒字」と言う話を聞いたことがあります。各路線では営業係数、簡単に言えば100円の営業収入を得るのに、どれだけの営業費用をが必要か、という数字なんですが、確か可部線は98.●くらいの数字。ギリギリではありますが黒字は黒字(この辺り、広島らしいと言えばらしい)。

もちろんその裏には、2003年12月1日に非電化区間を廃止した、と言う事実があるんですが、やはり広島支社としては、いくらかでも黒字の路線であれば早急に復旧させよう、と言う事になったんだと思います。これが山間部のローカル線なら「即廃止」につながりかねません。

とにもかくにも、鉄道の復旧と言うのは、人の動きを加速するものだと思っています。

代行バスが走っていたようですが、すぐそばを走っている国道54号線可部街道は片側一車線。災害復旧工事用車両と鉄道代行バス、そして通常の路線バス(これもまた本数が多い)ともなると、交通渋滞を引き起こすのはごく簡単。ならばまず鉄道を復旧させて、人の流れはそちらへ。

現場から出るのも容易になりましたが、受け入れるのも用意になったかと思います。可部線沿線の安佐南区役所(最寄駅:古市橋駅)、安佐北区役所(同:可部駅)への人の往来も頻繁になることと思います。人が動くようになればモノも動く。それが復旧への足がかりとなるはず。

19年前の阪神大震災の時は、被害の中心が山陽新幹線およびJR神戸線(東海道本線)と、東西物流の中枢が被災、東西を結ぶ貨物列車は、遠く山陰本線を経由して、と言う事に相成りました。

幸か不幸か、可部線には貨物列車は走っていないので、物流に多大な影響は及ぼしませんが、それでもまず「人の動きの大動脈」が確保出来たのは、ひとまず喜ばしい事と思います。

日中はたった2両の電車が行ったり来たりするだけのローカル線。それでも沿線で暮らしておられる方には重要な足。その足がまずは確保出来ただけでも、復興が加速するものと思います。

ぼとぼち、避難勧告が解除されている地区も出ています。しかし未だ避難指示も解除されていない地域もあります。とは言うものの、元の生活に戻る、戻す為に、可部線の役割は大きいと思います。

最後に、これもまた、今回の広島土砂災害とはほとんど関係ありませんが、この画像で締め。

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2014.09.02 / Top↑
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