7月30日 広島東洋カープ9-2中日ドラゴンズ
日程の都合でしょう。8月6日前後に、カープが広島にいないせいか、なぜか7月末のこの日に「ピースナイター」と相成ったようです。どうせなら12球団合同で、8月6日にやれば、とも思いますが。
エノラ・ゲイ搭乗最後の生存者 T・カーク氏が死去 スポニチ
AP通信によると、1945年に広島に原爆を投下した米爆撃機B29エノラ・ゲイの搭乗員12人の最後の生存者、セオドア・バン・カーク氏が28日、米南部ジョージア州アトランタ近郊の高齢者施設で老衰のため死去した。93歳だった。
広島、長崎への原爆投下から来年で70年となり、米側の原爆計画に携わった関係者の多くも他界。人類史上初の核攻撃に直接携わり、大量破壊兵器がもたらした惨状を上空から目撃した歴史の証人は、これでいなくなった。
長崎に原爆を投下した「ボックスカー」の搭乗員も既に全員が死去している。
21年2月、米東部ペンシルベニア州のオランダ系移民の家族に生まれた。41年、航空士官候補生として陸軍入隊。エノラ・ゲイの故ティベッツ機長の爆撃機に搭乗し欧州などでの作戦に参加後、原爆投下部隊に加わり、エノラ・ゲイでは航空士を務めた。46年に除隊、化学大手デュポンに長年勤めた。
2012年には回顧録を出版した。「日米双方の犠牲を最小限に抑え、戦争を終結させた」と原爆投下の意義を指摘。後悔はしないとする一方、核兵器は二度と使われてはならないと強調した。
この方がお亡くなりになったで、原爆投下の事をやいやい言う資格ってのは、戦争を全く知らない世代の我々にはないです。氏も「米軍上層部の指令」を忠実に遂行しただけであって。
当時の状況を考えれば、やむを得ない判断だったし、当時の氏の考えも否定されるものではない。軍ってのはそう言う存在なんだし。ただ、それを未だに引き摺っている国の人もいるのは事実。
ここまで言ったら怒られるかも知れませんが、人間みな亡くなってしまえば無に帰る、土に還るだけであって、無になってまで罪を背負う必要性も感じられないし、糾弾する筋合いもない。
2007年に亡くなられた、エノラ・ゲイの機長だったポール・ティベッツ氏は、原爆投下への抗議活動を恐れてか、自身の葬儀を行わず、墓をも持たず、散骨と言う形でその生涯を終えたとか。
原爆投下を戦争終結のための手段、として向き合いつつも、心の何処かで引っかかりを感じていたのかも知れない。罪の意識を背負って生きていたのかも知れない。
漫画の話になってしまいますが、とある漫画で、軍人として(任務場とは言え)罪もない女性や子供を斬殺、罪の意識を背負ったまま、離れ小島で朽ち果てる決意をした剣道家の話がありました。
そこまではいかないにしても、また背負う背負わないは別にして、そして極端な話、戦争の是非は別にして、心の底からプロ野球を楽しめる喜び、平々凡々、平穏無事な生活がいかに大事か、と言う事を肝に銘じておれば、わざわざ「ピースナイター」と銘打たなくてもいいんですよね。
二言目には「何かええことないかいな」と言う人もいますが、日常生活を無事に送れている事がどれだけ平和で幸せなことか。それこそ戦争じゃなく、急な病気や不慮の事故で命を落とす人もたくさんいます。そんな中、好きな事を好きなだけやって職業にしている、それを応援出来る喜び。
Love&Peaceを、まるで錦の御旗みたいに振りかざす、亡くなったミュージシャンの奥さんもいますが、そう言う活動をしていても起こる戦争は起こる。事実戦争、まではいかないにしても、それに限りなく近い「紛争」は、連日報道されているように、今も現実に起こっています。
そういう事が怒ってないところで、ただた歌を歌ってだ訴えかけたところで「私らは戦争なんか起こしませんよねー」と言っているだけのように見えなくもない。歌を歌って平和になるんなら、戦争なんか始まらない。そう言う意味で私は「イマジン」はイマイチ好きになれんのですけど。
喜怒哀楽ありながらも、つまらない思いをしながらも、まずは五体満足で生きている事、誰かに生かしてもらっている事に感謝。平和って、平穏無事な日々の積み重ね。
これさえ日頃から感じておれば、ピースナイターなんかせんでいいとすら思います。
そうだそうだと思われる方も、んなわけなかろーがヴォケナス!と思われる方も、とにかくクリック(笑)
日程の都合でしょう。8月6日前後に、カープが広島にいないせいか、なぜか7月末のこの日に「ピースナイター」と相成ったようです。どうせなら12球団合同で、8月6日にやれば、とも思いますが。
エノラ・ゲイ搭乗最後の生存者 T・カーク氏が死去 スポニチ
AP通信によると、1945年に広島に原爆を投下した米爆撃機B29エノラ・ゲイの搭乗員12人の最後の生存者、セオドア・バン・カーク氏が28日、米南部ジョージア州アトランタ近郊の高齢者施設で老衰のため死去した。93歳だった。
広島、長崎への原爆投下から来年で70年となり、米側の原爆計画に携わった関係者の多くも他界。人類史上初の核攻撃に直接携わり、大量破壊兵器がもたらした惨状を上空から目撃した歴史の証人は、これでいなくなった。
長崎に原爆を投下した「ボックスカー」の搭乗員も既に全員が死去している。
21年2月、米東部ペンシルベニア州のオランダ系移民の家族に生まれた。41年、航空士官候補生として陸軍入隊。エノラ・ゲイの故ティベッツ機長の爆撃機に搭乗し欧州などでの作戦に参加後、原爆投下部隊に加わり、エノラ・ゲイでは航空士を務めた。46年に除隊、化学大手デュポンに長年勤めた。
2012年には回顧録を出版した。「日米双方の犠牲を最小限に抑え、戦争を終結させた」と原爆投下の意義を指摘。後悔はしないとする一方、核兵器は二度と使われてはならないと強調した。
この方がお亡くなりになったで、原爆投下の事をやいやい言う資格ってのは、戦争を全く知らない世代の我々にはないです。氏も「米軍上層部の指令」を忠実に遂行しただけであって。
当時の状況を考えれば、やむを得ない判断だったし、当時の氏の考えも否定されるものではない。軍ってのはそう言う存在なんだし。ただ、それを未だに引き摺っている国の人もいるのは事実。
ここまで言ったら怒られるかも知れませんが、人間みな亡くなってしまえば無に帰る、土に還るだけであって、無になってまで罪を背負う必要性も感じられないし、糾弾する筋合いもない。
2007年に亡くなられた、エノラ・ゲイの機長だったポール・ティベッツ氏は、原爆投下への抗議活動を恐れてか、自身の葬儀を行わず、墓をも持たず、散骨と言う形でその生涯を終えたとか。
原爆投下を戦争終結のための手段、として向き合いつつも、心の何処かで引っかかりを感じていたのかも知れない。罪の意識を背負って生きていたのかも知れない。
漫画の話になってしまいますが、とある漫画で、軍人として(任務場とは言え)罪もない女性や子供を斬殺、罪の意識を背負ったまま、離れ小島で朽ち果てる決意をした剣道家の話がありました。
そこまではいかないにしても、また背負う背負わないは別にして、そして極端な話、戦争の是非は別にして、心の底からプロ野球を楽しめる喜び、平々凡々、平穏無事な生活がいかに大事か、と言う事を肝に銘じておれば、わざわざ「ピースナイター」と銘打たなくてもいいんですよね。
二言目には「何かええことないかいな」と言う人もいますが、日常生活を無事に送れている事がどれだけ平和で幸せなことか。それこそ戦争じゃなく、急な病気や不慮の事故で命を落とす人もたくさんいます。そんな中、好きな事を好きなだけやって職業にしている、それを応援出来る喜び。
Love&Peaceを、まるで錦の御旗みたいに振りかざす、亡くなったミュージシャンの奥さんもいますが、そう言う活動をしていても起こる戦争は起こる。事実戦争、まではいかないにしても、それに限りなく近い「紛争」は、連日報道されているように、今も現実に起こっています。
そういう事が怒ってないところで、ただた歌を歌ってだ訴えかけたところで「私らは戦争なんか起こしませんよねー」と言っているだけのように見えなくもない。歌を歌って平和になるんなら、戦争なんか始まらない。そう言う意味で私は「イマジン」はイマイチ好きになれんのですけど。
喜怒哀楽ありながらも、つまらない思いをしながらも、まずは五体満足で生きている事、誰かに生かしてもらっている事に感謝。平和って、平穏無事な日々の積み重ね。
これさえ日頃から感じておれば、ピースナイターなんかせんでいいとすら思います。
そうだそうだと思われる方も、んなわけなかろーがヴォケナス!と思われる方も、とにかくクリック(笑)


2014.07.31 / Top↑
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