冬季オリンピックが終了しました。
この三週間弱、ニュースは「関東のドカ雪」か「ぬくい冬季オリンピック」か、みたいな状態。
しかし相変わらず「感動をありがとう」と叫ぶ人は多いです。こんな事を誰しもがあからさまに言うようになったのはここ10年か20年くらいのものだとは思いますが。何となしに気持ち悪いです。
さらには、見てる方が「感動をありがとう」だけならまだしも、選手側が「感動を与えたいです!」とか、(そんなつもりはないんだろうけど)どことなく上から目線でコメントをする。何となく薄ら寒い。競技する方と観戦する方、いつからこんな感動のキャッチボールが生まれたんだろう。
しかも最近は、競技以外でも観る側を「何とか感動させよう」として、演出として家族を引き合いに出すマスコミが増えた。やれ試合会場に家族が来てるだの、どこへ行こうがテレビカメラが付き纏う。
よくある「金メダル裏話」みたいなの。子供の頃からの競技人生を延々とテレビで流して「さぁ泣け」と言わんばかりの過剰演出。
周囲の人の下支えがあっての、オリンピックの出場なり、結果だとは思うし、それがアマチュアスポーツの原点みたいなもんなんだろうけど、これだけオリンピックに「利権」が絡んでいる事がメディアで次々に表沙汰になってることを考えると、ごくごくつまらない演出にしか見えません。
ついには、昼間のワイドショーでスポーツとは関係なさそうなレポーターがいたり、元代表選手の経歴を覚えてないキャスターもどきがいたり、全局総出状態で人手がろくすっぽ足りてないんだろうけど、バンクーバーオリンピックの金メダリストを一般客と間違える番組スタッフがいたり。
テレビ局の行き着く所って最終的には視聴率だし、新聞にとっては発行部数なんだろうけど、あまりにも安っぽいごく当たり前の話を持ち出されても「あ、そうですか」程度のモノにしかならない。
むしろそれがプレッシャーになってしまってるような気もします。家族だけならまだしも、テレビの向こう側からも、無数の声援が飛んでくる。それを分かっているのかいないのか「応援してください」と言ってしまう。それがさらなるプレッシャーにつながってしまう堂々巡り。
で、それを見てる方は「感動をもらいました」とかもう意味がわからない。「しました」じゃなく「もらいました」ってのがキモ。あんた方の感情の中には「感動」はないのかと問いたい問い詰めたい小一時間問いつめたい。これが一番よく分からない、と言うか未だに理解出来ない。
その人が何かしらのアクションを起こすことによって、感じるものは人それぞれだと思うし、思いはいろいろあると思う。そらぁ活躍したら賞賛されるだろうけども、もしかしたらどこかで「コイツの代わりに俺だったら、私だったら」と思ってる人が少なからずいてもおかしくない。
「感動」と言うのは辞書で調べると「ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。」とある。例文として「深い―を覚える」「名曲に―する」とある、他人様からももらうもんじゃない。心の奥底から湧いてくるものだ。ましてや第二者、第三者とやり取りをするもんじゃない。
っと意味が分からないのは「競技することで何かを感じてもらえれば」とか平気で言う人。
「心揺さぶられる感情」は人からもらうもんじゃない。人間が最初から持っているべき感情ではないのかな。人から何かされてようやく、ってのはあまりにもその人が無感情なんだと思う。
純粋に、140m近くジャンプする人を見て「スゲースゲー」と思う、それだけでも感動なんだから、自分の心の奥底から湧き出たもんなんだから、それをわざわざ「もらった」などと言う必要はない。
フィギュアスケートの浅田真央選手が、フリープログラムを終えて、号泣しながら戻ってきた。その心中までは察する事は出来ませんが、このソチオリンピックを「ある程度の集大成」と位置づけていた。そして、メダルには届かなかったものの、思う存分滑ってこのオリンピックのすべての競技を終えた。
それは同時に、あらゆる方面からのプレッシャーからの開放につながる。本当に引退するのんかどうかまでは分かんし、まだ曖昧な発言に終始してますが、けど、集大成と決めたオリンピックでの競技終了。すべての緊張から解放されての涙なんじゃないか、とも思います。
企業が付いていわゆるスポンサーになって、選手自身が広告塔みたいになってしまうのはある程度致し方ないことだとは思うけど、基本はアマチュアなんだから、いらぬことを考えず、ただただ自分が好きでやってるんだから、それだけにこだわって競技に打ち込む環境を周りの人間作ってあげればいいものを、なぜか利害関係が生まれてしまう。もっとも、そんな人はどこにでもいますが。
利害関係が絡んでるといえば「スマイ●ジャパン」。
選手の希望で付けたらしいけど、あまりにも結果が悪かった。まるで新入団記者会見で「○○と呼んで下さい」と言ってるようなもの。で結果がついてこなくてさっぱり。もしかしたらこの名前でひと儲け企んでた人も居てたように思います、と考えてしまうほど、この名前はあまりにも唐突。
オリンピックに出たことは素晴らしいことでもあるし、努力の結晶だとは思います。競技人口がまだまだ少ない競技(女子で約3000人とか)でもあり、これを機会にそれこそ「ひと山」と思ったのかも知れませんが、あまりにも結果が悪すぎた、と言うよりもついて来なさ過ぎた。
オリンピック初出場ででちょっと浮つき過ぎたような気もする。いくら「出場することに意義がある」とも言われたオリンピックではあるし、目立つ事を目的にこんな名前にしたんだろうけど、そして謙虚になれ、とも今更思わないし「私たちを見て」みたいな思いもあったのかも知れませんが。
どのスポーツでもそうですが、一旦日本代表チームに何らかの愛称を付けてしまうと、あっさり引っ込めるわけにも行かなくなってくるし、選手には「元○○ジャパン」と言う肩書きが付いてまわることにもなる。愛称を付ける時期、タイミングなどなど、もっと考えればよかったんじゃないかなぁ。ますは出場、そして周りが納得出来るだけの結果を残してからでも遅くはなかったはず。
野球でもサッカーでも、監督の名前をとって「○○ジャパン」とする事が多かったし「親しみを込めて」の意味もあるんだろうけど、今回のオリンピックに関しては先走り感が否めなかった。アイスホッケー、フィギュアスケート、ジャンプ、全てを引っ括めての日本代表なんだから、特別な名前を名乗る必要性は薄かったようにも思う、これがアイスホッケーのワールドカップとかだったら話は別ですが。
繰り返しになりまうsが、どんなスポーツでも、目の前の勝負に徹すればいい。プロであろうがアマチュアであろうが「試合」ってものは、人より上に立つ事を要求され、相手よりも優位に立つことを要求される。その結果に向かって必死に戦っている姿を見て、あれこれ第三者は考えを持つのであって。
試合中は絶対に「誰かの為」とか考えないほうがいい。自分が勝つ事によって、何かしらの利益が生まれたり影響があったりするんだとは思うけど、勝負は自分の為。その日の試合は自分が出場するんだから、雑念を払って、ただただ邁進して頂きたい。
それこそ昔の稲川淳二みたいに、全力で戦ってボロボロに負けても、せいぜい大きく肩で息をしながら「喜んでいただけましたか」くらいでいい。選ばれた人、文字通り「選手」なんだから。
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この三週間弱、ニュースは「関東のドカ雪」か「ぬくい冬季オリンピック」か、みたいな状態。
しかし相変わらず「感動をありがとう」と叫ぶ人は多いです。こんな事を誰しもがあからさまに言うようになったのはここ10年か20年くらいのものだとは思いますが。何となしに気持ち悪いです。
さらには、見てる方が「感動をありがとう」だけならまだしも、選手側が「感動を与えたいです!」とか、(そんなつもりはないんだろうけど)どことなく上から目線でコメントをする。何となく薄ら寒い。競技する方と観戦する方、いつからこんな感動のキャッチボールが生まれたんだろう。
しかも最近は、競技以外でも観る側を「何とか感動させよう」として、演出として家族を引き合いに出すマスコミが増えた。やれ試合会場に家族が来てるだの、どこへ行こうがテレビカメラが付き纏う。
よくある「金メダル裏話」みたいなの。子供の頃からの競技人生を延々とテレビで流して「さぁ泣け」と言わんばかりの過剰演出。
周囲の人の下支えがあっての、オリンピックの出場なり、結果だとは思うし、それがアマチュアスポーツの原点みたいなもんなんだろうけど、これだけオリンピックに「利権」が絡んでいる事がメディアで次々に表沙汰になってることを考えると、ごくごくつまらない演出にしか見えません。
ついには、昼間のワイドショーでスポーツとは関係なさそうなレポーターがいたり、元代表選手の経歴を覚えてないキャスターもどきがいたり、全局総出状態で人手がろくすっぽ足りてないんだろうけど、バンクーバーオリンピックの金メダリストを一般客と間違える番組スタッフがいたり。
テレビ局の行き着く所って最終的には視聴率だし、新聞にとっては発行部数なんだろうけど、あまりにも安っぽいごく当たり前の話を持ち出されても「あ、そうですか」程度のモノにしかならない。
むしろそれがプレッシャーになってしまってるような気もします。家族だけならまだしも、テレビの向こう側からも、無数の声援が飛んでくる。それを分かっているのかいないのか「応援してください」と言ってしまう。それがさらなるプレッシャーにつながってしまう堂々巡り。
で、それを見てる方は「感動をもらいました」とかもう意味がわからない。「しました」じゃなく「もらいました」ってのがキモ。あんた方の感情の中には「感動」はないのかと問いたい問い詰めたい小一時間問いつめたい。これが一番よく分からない、と言うか未だに理解出来ない。
その人が何かしらのアクションを起こすことによって、感じるものは人それぞれだと思うし、思いはいろいろあると思う。そらぁ活躍したら賞賛されるだろうけども、もしかしたらどこかで「コイツの代わりに俺だったら、私だったら」と思ってる人が少なからずいてもおかしくない。
「感動」と言うのは辞書で調べると「ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。」とある。例文として「深い―を覚える」「名曲に―する」とある、他人様からももらうもんじゃない。心の奥底から湧いてくるものだ。ましてや第二者、第三者とやり取りをするもんじゃない。
っと意味が分からないのは「競技することで何かを感じてもらえれば」とか平気で言う人。
「心揺さぶられる感情」は人からもらうもんじゃない。人間が最初から持っているべき感情ではないのかな。人から何かされてようやく、ってのはあまりにもその人が無感情なんだと思う。
純粋に、140m近くジャンプする人を見て「スゲースゲー」と思う、それだけでも感動なんだから、自分の心の奥底から湧き出たもんなんだから、それをわざわざ「もらった」などと言う必要はない。
フィギュアスケートの浅田真央選手が、フリープログラムを終えて、号泣しながら戻ってきた。その心中までは察する事は出来ませんが、このソチオリンピックを「ある程度の集大成」と位置づけていた。そして、メダルには届かなかったものの、思う存分滑ってこのオリンピックのすべての競技を終えた。
それは同時に、あらゆる方面からのプレッシャーからの開放につながる。本当に引退するのんかどうかまでは分かんし、まだ曖昧な発言に終始してますが、けど、集大成と決めたオリンピックでの競技終了。すべての緊張から解放されての涙なんじゃないか、とも思います。
企業が付いていわゆるスポンサーになって、選手自身が広告塔みたいになってしまうのはある程度致し方ないことだとは思うけど、基本はアマチュアなんだから、いらぬことを考えず、ただただ自分が好きでやってるんだから、それだけにこだわって競技に打ち込む環境を周りの人間作ってあげればいいものを、なぜか利害関係が生まれてしまう。もっとも、そんな人はどこにでもいますが。
利害関係が絡んでるといえば「スマイ●ジャパン」。
選手の希望で付けたらしいけど、あまりにも結果が悪かった。まるで新入団記者会見で「○○と呼んで下さい」と言ってるようなもの。で結果がついてこなくてさっぱり。もしかしたらこの名前でひと儲け企んでた人も居てたように思います、と考えてしまうほど、この名前はあまりにも唐突。
オリンピックに出たことは素晴らしいことでもあるし、努力の結晶だとは思います。競技人口がまだまだ少ない競技(女子で約3000人とか)でもあり、これを機会にそれこそ「ひと山」と思ったのかも知れませんが、あまりにも結果が悪すぎた、と言うよりもついて来なさ過ぎた。
オリンピック初出場ででちょっと浮つき過ぎたような気もする。いくら「出場することに意義がある」とも言われたオリンピックではあるし、目立つ事を目的にこんな名前にしたんだろうけど、そして謙虚になれ、とも今更思わないし「私たちを見て」みたいな思いもあったのかも知れませんが。
どのスポーツでもそうですが、一旦日本代表チームに何らかの愛称を付けてしまうと、あっさり引っ込めるわけにも行かなくなってくるし、選手には「元○○ジャパン」と言う肩書きが付いてまわることにもなる。愛称を付ける時期、タイミングなどなど、もっと考えればよかったんじゃないかなぁ。ますは出場、そして周りが納得出来るだけの結果を残してからでも遅くはなかったはず。
野球でもサッカーでも、監督の名前をとって「○○ジャパン」とする事が多かったし「親しみを込めて」の意味もあるんだろうけど、今回のオリンピックに関しては先走り感が否めなかった。アイスホッケー、フィギュアスケート、ジャンプ、全てを引っ括めての日本代表なんだから、特別な名前を名乗る必要性は薄かったようにも思う、これがアイスホッケーのワールドカップとかだったら話は別ですが。
繰り返しになりまうsが、どんなスポーツでも、目の前の勝負に徹すればいい。プロであろうがアマチュアであろうが「試合」ってものは、人より上に立つ事を要求され、相手よりも優位に立つことを要求される。その結果に向かって必死に戦っている姿を見て、あれこれ第三者は考えを持つのであって。
試合中は絶対に「誰かの為」とか考えないほうがいい。自分が勝つ事によって、何かしらの利益が生まれたり影響があったりするんだとは思うけど、勝負は自分の為。その日の試合は自分が出場するんだから、雑念を払って、ただただ邁進して頂きたい。
それこそ昔の稲川淳二みたいに、全力で戦ってボロボロに負けても、せいぜい大きく肩で息をしながら「喜んでいただけましたか」くらいでいい。選ばれた人、文字通り「選手」なんだから。
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