川上さんの信条「飯ば食わるるうちは…」 日本経済新聞

川上哲治さんのお別れ会での息子さんの挨拶がよかった。体の不調も野球の不調も、とにかく食べて治すというのが信条だった川上さんは入院中もよく食べたそうだ。10月28日に亡くなる少し前まで、すきやきや出前のうなぎを平らげていたという。

苦しいときにはまず食べる、という信条は熊本のお母さんの「哲、飯ば食わるるうちは絶対死なんばい」という教えからきたのだそうだ。食欲があるうちは大丈夫、何も心配は要らないというわけだ。しかし、当時は食欲はあっても食うものがない時代でもあった。栄養不足で、ちょっとした病気で老いも若きも死んだ。「飯ば食わるるうちは……」と言ってはみても、行うは難(かた)しだった。

全国どこの家の子どもも、よほど裕福でない限り「おまんまを食えるだけでも幸せだよ」といわれて育った。そんな昔話をすると、今の人には煙たがられるが、エビの種類が違っていたとか、インチキビーフを食わされたとかで騒いでいられること自体、昔を思えばぜいたくなのだ。

日本人が、白いご飯を好きなだけ食べられるようになったのはそう遠い昔ではない。今はコメを食えるのは当たり前で、味がいいとか悪いとか注文をつけている。こんなおごった時代がくるなど、川上さんの世代は考えもしなかっただろう。

1951年、川上さんがオールスターの賞品としてもらったのが自転車、ぶどう酒、ようかんだった。オールスターの“前身”である「東西対抗戦」の賞品は子ブタだった。肉や甘い物が貴重な時代を私たちはすごしてきた。今、子ブタをもらって喜ぶ人はいない。250円で立派な弁当が食える。それは有り難いのだが卵1個、おにぎり1個に飢えていた私などはこの値段で食べていいのか、と後ろめたくなる。

93年という川上さんの人生のなかだけで、こんなに世の中が変わった。流れの速さに本当は誰もついていけておらず、物の値打ちがわからなくなっているのではないか。「飯ば食わるるうちは……」。ときどき思い返してみたい言葉だ。



川上哲治氏がなくなった、という話、ではありますが、実際の所ピンと来ませんでした。

現役時代も知るはずもないし、ジャイアンツのV9、と言われてもまだ物心つくかつかないかの頃。印象としたら「侍ジャイアンツ」の印象しかなく、プロ野球を見るようになった頃にはすでに老解説者。

ゆえに、監督時代の逸話とか、バッターとしてどれだけ凄かったか、みたいな話を見たり聞いたりしても「はぁ、そうですか」くらいの印象しかありませねんでしたが、この言葉はちょっと「きました」。

私事になりますが、うちの母は今年で72歳になりました。

しかしながら、40歳から始めたテニスを、年に1日か2日程度のペースですが続けています。もっとも、ママさんテニスで40歳から週二回ペース、しかも基礎トレーニングからやった人なだけに、いわゆる「レッスンプロ」の人にか感謝してもしきれんとか。

今でも自宅から堺市立東図書館まで歩いて(常人の徒歩で約40分)本を返しに行くような人だし、堺市八尾区所に行くとなったら、堺東まで自転車をこいでいくような人(ちなみに大阪中央環状線の、仁徳天皇陵付近の坂が難所)ゆえに、年に一度のテニス如き「何とやら」と言う老婆であります(笑)。

そんなうちのオカンでありますが、とにかくよく食べる。

ぶっちゃけ川上哲治氏の子供世代、くらいになるかと思いますが、とにかく食うことに執着心みたいなのがある。未だに、流石に量は少なくなったものの、今でも私と同じものを食ってます。

とかく年齢が行ってしまうと、消化にいいものとか、煮物系の和食に走りがちだとは思うんですが、この点だけはうちのオカンはすごいなぁ、などと思ってます、特にうちの母方のばあちゃんが、戦中戦後の食いもののない時代を過ごしてきただけに、余計に「食」に対する執着心があるのかな、などとも。

記事中にも「飯ば食わるるうちは絶対死なんばい」とありますが、ホントその通りだな、と。

しっかり食えば動けます。動ければ何でも出来ます。某プロレスラーではありませんが「元気があれば何でも出来る」もこれにつながるのかな、などとも思います。あながち間違いじゃないんだ(笑)。

それはともかく

ホント今年後半、芝海老がどうの車海老がどうの、と言う話で持ちきりになったような気がしますが、ぶっちゃけ調理してしまえば分からんのじゃないんかね、とすら思います。そこまでこだわって、ホテルのレストランでメシ食ってる人っているのかな、とも。料理人がそれでは困るんですけどね。

もっと言えば、それまで「車海老」と言って出されてたブラックタイガーエビを「美味しい美味しい」って食ってたんだから、それはそれで幸せだったんじゃないかな、と。それを食わないと死んでしまう、みたいなもんじゃなし。ぶっちゃけ食えるだけでも幸せ、と思わんと。

思ったものを、好きなだけ食べれる条件下にある事が、どれだけ幸せなことか。ゼニさえ積めば、それなりのモノが食えるんですからね。自分のクチに合う合わないにかかわらず。

250円の弁当を「うまい」と思えるのも幸せなことだし、1000円の弁当を「まずい」と思えるのもこれまた贅沢なことだと思います。むしろ、文句を言いながらでも、思ったものを食べれる幸せ。

食べる前の「いただきます」って、そんな感謝の意味も入ってるんだろうな、とも思います。


―――――何のこっちゃ。


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2013.12.23 / Top↑
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