JR可部線延伸を許可申請
中国新聞

JR西日本は27日、いったん廃止した広島市安佐北区のJR可部線可部―河戸間を電化して復活させる計画について、国土交通省に事業許可の申請をした。JR各社の発足後に廃止区間が復活するのは全国初。当初予定より1年遅れの2016年春開業を目指す。

JR西日本や市によると、延伸区間は約1.6キロ。広島県営住宅跡地がある旧河戸駅の西方面に終点、安佐北区役所に近い中間点にそれぞれ新駅を設け、横川(西区)―可部間で運行する1日99本の列車を延伸区間まで走らせる。線路や駅舎などの整備費27億円は市と国が負担する。

JR西日本の担当者が27日、中国運輸局をに事業許可申請書を提出した。一連の許認可手続きが終わり次第、JRは線路を敷き直す工事に入る。運輸局によると鉄道事業の許認可手続きは通常、申請から工事開始まで6~10カ月かかるという。

JR西日本は「事前調整に時間を要してしまったが、今後は市や国と連携し、16年春の開業を目指したい」とコメントした。

【写真説明】2003年10月11日、今井田駅にて



可部駅から三段峡駅までの「非電化区間」の廃止以前から、旧河戸駅までの電化延伸の話が出ては消え、出ては消えしていましたが、ようやく本格的に工事開始直前までたどり着きました。

長らく続いた住民運動の甲斐あった、というところではありますが、実際にこの「延伸計画」を読み返すとこれがなかなか巧妙な仕掛け、と言うか何と言うか。

まず、線路や駅舎の整備は広島市と国が負担、と言う事、また別の報道にもありましたが、整備された線路用地は「広島市からJR西日本に無償貸与される」と言う事。言い換えれば、線路や駅舎は広島市や国が持ってるけど、運行はJR西日本と言う、第二種鉄道事業にあたるのかな。

広島市、つまりは「地元が頑張って延伸しろと言ったんだから、乗らなんだら電車は走らさんよ」と言う、JR西日本の意思表示にも見えますが、何にしろ大きく進展したのは言うまでもありません。

で、ものすごく今更ではありますが、2010年12月20日に、可部駅から旧河戸駅までの沿線を歩いた時の様子を画像のみでお送りします。もちろんその当時とは様相が変わってると思いますが。



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可部駅3番線ホーム三段峡方面行、三段峡方面から広島行の列車はこのホームから発着してました。廃線から7年経過していますが、駅西側にバスターミナルが出来た程度で、雰囲気は変わらず。

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バスターミナルに続く駅構内踏切から見た加計・三段峡方面。架線は中央やや左に見える電柱で終わっています。錆び付いてはいますが、線路は一応「ここまでは」全て繋がっています。

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バスターミナルに設けられていた周辺案内図には、廃線跡が点線で示されていました。おそらく地元では「廃線跡」ではなく「休止路線」みたいな扱いになっていたのか、それとも復活への懇願か。

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さて、廃線跡を横目に見ながら歩きます。駅を出て最初の踏切。警報器等も放置されていましたが、残っておればこれも再整備kとになると思われます。最近いろいろ新しくなってますからね。

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しかしながら線路は、駅を出て最初のカーブの途中で途切れています。その先にも線路は続いていますが、引き込み線にありがちな、簡単な車止めが設置されています。

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国号54号線をくぐるあたりの真下に、第四種踏切を埋めた跡があります。こう言うのも復活させるのか、それとも廃止してしまうのか。これだけ長期間放置されていると、立派に生活道路と化しているようにも思われますがどうでしょう。

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可部駅方面を見る。踏切云々もそうですが、線路敷とあぜ道の間にも柵を設けないといけません。特に1日100本の列車を走らせようとするとなおさらのこと。

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やはりこのあたり、廃線跡を含めて生活道路化していたのか、電化延伸時には通路ごと廃止の看板が、安佐北区役所名義で建てられていました。この看板もいずれは撤去、でしょう。

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その先には、車が通れそうな踏切を埋めた跡がありました。こう言うのんの扱いを巡って、広島市とJR西日本が紛糾してたものと思われます。「線路をはがしてくれない、じゃあ埋めれ」みたいな。

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その踏切跡から可部駅方面を見る。埋められた踏切跡と重ねてみると、路線復活は願うし線路は置いといて欲しいけど、みたいな広島市の苦悩が見て取れます。

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その次の踏切跡「みたいなもの」。これも昔は警報器も遮断機もない「第四種踏切」だったのか。それとも向こうとこっち、何かと便利だからつないでしまえ、だったのか。これも撤去なのかな。

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国道54号線可部バイパス横の歩道に昇ってみました。この先は旧河戸駅までしばらく直線。陰陽連絡鉄道としての使命は失ってしまいましたが、新たに「生活路線」として生まれ変わります。

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ついに悲願達成。

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やや広めの踏切跡では、そこが踏切跡とは分からないくらいにしっかり舗装されていました。オレンジ色に塗装された「塀」が、ある種用地境界みたいな役割を果たしているように見えます。

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しかしながら、経年劣化と言うか何と言うか、舗装面にも線路に沿ってヒビが入っています。

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旧河戸駅への最後の踏切。この線路脇を歩くと駅に近付く事が出来ます。

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その踏切跡には、国鉄時代から設置されている看板がまだ残っていました。むしろこう言うモノはある種の「産業遺産」として残して頂きたいんですがどうでしょう。

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旧河戸駅。駅名標こそ外されてしまっていますが、列車が発着していた頃とそう雰囲気は変わっていません。ホーム上の待合室も封鎖こそされているものの、そのままになっています。

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「駅前」に回ってみました。このお店、まだ非電化区間が現役の頃には営業してたと思うんですが。ちなみにいま検索しても、残念ながら出てきません。美味しいお店だったそうですが。

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その脇を抜けていくと、そのままホームに辿り着きます。

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建物自体はボロボロでしたが、屋根はしっかり瓦葺き。旧国鉄の遺物でもあるトイレ。

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ホーム上から可部駅方面を見る。架線柱がどちら側に建てられるのかは分かりませんが、場合によっては旧ホームが掘削される可能性もなきにしもあらず。この光景も今のうち、でしょうか。

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駅を出て最初の踏切も、きれいに埋められています。

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駅名標こそ外されていますが、沿線の県道に掲げられていたと思われる駅名表示がこんなところにありました。いっその事ここはこのまま「旧河戸駅」として残して頂きたいんですが。

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かつてはホームの向かい側に建てられていたこの看板も、そのままホーム上に「移転」されていました。しかしこの看板ももうすぐ役目を終え、過去帳入りとなります。

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金網でガッチリ封鎖されてはいるものの、ホーム上の待合室は現役時代そのまま残されています。

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その待合室の窓に貼られていた「がんばれかべせん」のステッカー。残念ながら黄色と白のディーゼルカーは半永久的来なくなってしまいましたが、その代わりに非電化時代よりも格段に多い「電車」がここを通過することになりました。これも「発展的解消」と言うのでしょうか。出来ることなら延伸開業の際の一番電車には、このイラストのヘッドマークを付けて欲しいんですがどうでしょう。

廃線になる理由としては、利用客の減少、運行会社の経営破綻、災害復旧不可能、第二次世界大戦中の不要不急線、鉄材供出などなど、いろいろあると思いますが、廃止から10年以上経過して、また同じ線路が「復活」するおんは異例中の異例の話と思われます。

先にも書いたように、線路や敷地は広島市管理のままで運行はJR西日本です。

現状の可部駅発着の列車を延伸、という形になりそうですが。設備所有者と運行会社が異なる「第二種鉄道事業」ゆえ、JR側が「採算が取れんからうちでは電車は走らさん」と言われる可能性も無きにしも非ず、の状態。延伸したからそれでおしまい、ではないです、存続しないと意味がありません。

そうならん為にも乗らないと。新駅を含め、たかがふた駅、されどふた駅。


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2013.11.29 / Top↑
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