とは言うものの、私がこれで飯食ってれば、の話ですが(笑)。
野球選手、第二の人生が厳しいなら… 日本経済新聞
野球選手の「第二の人生」を考えるための若手を対象としたアンケート調査がある。それによると「引退後が不安」とする声が7割に上った(日本野球機構、2012年)。
勝つ人がいれば負ける人もいるのがこの世界。入った選手が全員大成することはあり得ないのだし、弱音を吐いてどうする、と叱るのは簡単だが不安になるのはわかる。
野球選手には遅かれ早かれ、第二の人生を歩み出すときがくる。ずっと2軍暮らしだったらむしろ踏ん切りがつく。難しいのはそこそこ活躍した選手かもしれない。業界にしがみついていくか、きっぱり転身するか。
私自身、ユニホームを脱いだときは手に職があるわけでもなし、途方にくれた。近鉄のコーチを1年でお払い箱になり、拾ってくれたのがサンケイスポーツ。ここは選手上がりだからといって、特別扱いしてくれなかった。記者と同じように神宮や後楽園で取材し、大手町の会社に戻って、原稿用紙に向かい呻吟(しんぎん)する。
「赤えんぴつ」というコラムなのだが、私の原稿自体が、プロの記者による修正の筆で真っ赤っかになった。「漢字が思い出せない」と言うと「トヨさんね、一度も覚えたことがないものは『思い出せない』じゃなくて『知らない』と言うんです」。そんな具合で四苦八苦。OKが出たときには日付がかわっていた。
「何でも書こうとするのは素人。的を一点に絞りなさい」と教わったのが、のちにテレビに出てコメントするようになったときにも生きた。
“授業料”はきっちり払わされた。夜の遅い新聞社が集まる大手町界隈(かいわい)には屋台が出ていた。そこでまたデスク連の文章講座を受け「オレが直したからトヨさんの原稿、商品になってるんだよ」といわれ、お勘定はいつも私。現役時代の飲み代からするとタダみたいなもので助かったが。
多少プロで活躍したところで、第二の人生が厳しいものになるのは間違いない。だったら現役でいられる、今この時間をせいぜい大事に――。それしか私も後輩たちにかける言葉がない。
毎年毎年、こっそりと発表される「プロ野球選手の第二の人生への意識調査」みたいなもの。
だいたい70%前後は「将来に不安」と言う結果を出し、「高校野球の指導者」「飲食店開業」「大学・社会人野球の指導者」が「将来なりたいもの」として取り上げられます。将来の夢がプロ野球選手だった人に将来の夢、もなかろうけど、プロ野球選手なんかよう出来て15年20年。
もちろんそれ以下でユニフォームを脱がされる、脱がされる人の方が圧倒的に多い。それが増えに増えて、行き着いたところは「12球団合同トライアウト」なわけではありますが、戦力外通告を受けた選手がみな、そこをもう一度目指すことはまずありえない。
スパッと見切りをつけて、さっさと故郷に帰って「次」を歩みだす選手ありーの、過去の実績やら何やらを加味して、早々にアプローチを受ける選手ありーの。
よく、戦力外通告を受けた選手の「第二の人生」で話題に上るのが、元ジャイアンツの條辺剛の経営するうどん屋さんの話ではあるけども、ああいうのんって決して馬鹿にはできない。
誰にでも、ってわけじゃないけど、いずれ「第二の人生」は訪れるし、「転職しようかな」と考える時期が来ないわけでもない。そのきっかけが「自主退職」か「戦力外通告」かだけの差。まぁ受けるショックは計り知れないものがありますけどね。
最近「復帰宣言」をした元野球選手のタレントさんは、現役時代からありとあらゆるビジネスに手を出し、ほとんど失敗した、みたいなネタをよく笑いながら話してるのを見ますが、笑ってはいるけどそれだけ「プロ野球選手以降」をしっかり考えていた、ということでしょう。
最近のプロ野球選手って「現役時代から副業」みたいな話はあまり聞かない。
もっとも、入団してすぐに「次」を考えているような選手はプロ野球に入ってこないだろうし、皆それなりに計画を立てて金は使うだろうし、ちょっと有名にでもなれば、名の知れたプロダクションが寄ってきて、金銭管理もしっかりしてくれるだろうし。
もっともそれくらいの選手になれば、現役生活を退いても、解説者なり、監督・コーチの道が開けているから心配はなかろうけど、そんな選手ばっかりでもなかろうし。
佐藤和弘(パンチ佐藤)なんかよっぽどうまくいった例ではなかろうか。一軍にいた選手ですから「選ばれた選手」なんだろうけども、プロ野球選手としての数字は決して芳しいものではない。それでも、いつの間にかプロ野球選手としてのキャリアよりもタレントとしてのキャリアの方が長くなった。
あの手の人物がプロ野球に入ってくることはそうそうないだろうし、ましてやプロ野球入団前から「その後」を考える選手なんかいてない。
豊田泰光氏も、サンケイスポーツ解説者時代の苦労話を書いておられますが、ユニフォームを脱いだとは言え、プロ野球に関わって生活できるのは、やかり現役時代にしっかりと成績を残したから。
ただ、引退後は近鉄バファローズの打撃コーチ1年以外はまったくユニフォームを着られてないのは、それなりの原因があるんだとは思います。素人にそこまでは想像出来ませんが、いずれにしても、選手としてユニフォームを脱がれてから40年以上、プロ野球に関われるのは現役時代の数字があってこそ。
何でもかんでも、と言うつもりはありませんが、プロ野球選手と言う職業を通じて作る事が出来る「コネクション」もあります、何にしろ、まずは「プロ野球選手を全う」するのが先。
もちろん「プロ野球選手と言う立場」を利用しようとする馬鹿な輩が寄ってこない、とも限りませんが、そういうのを見分ける為にも、プロ野球選手として、以外にもいち社会人として培わなければいかんものもあると思います。この辺のバランスが難しいでしょうけどね。
厳しくならない第二の人生、にするためにも、目の前の野球でまずは活躍を。
それこそ、カープ・大野豊投手が引退の挨拶で、締めくくりに使った言葉
我が選んだ人生に食いっぱぐれはなし!となりますように。
怒られるなこれは確実に。
以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
野球選手、第二の人生が厳しいなら… 日本経済新聞
野球選手の「第二の人生」を考えるための若手を対象としたアンケート調査がある。それによると「引退後が不安」とする声が7割に上った(日本野球機構、2012年)。
勝つ人がいれば負ける人もいるのがこの世界。入った選手が全員大成することはあり得ないのだし、弱音を吐いてどうする、と叱るのは簡単だが不安になるのはわかる。
野球選手には遅かれ早かれ、第二の人生を歩み出すときがくる。ずっと2軍暮らしだったらむしろ踏ん切りがつく。難しいのはそこそこ活躍した選手かもしれない。業界にしがみついていくか、きっぱり転身するか。
私自身、ユニホームを脱いだときは手に職があるわけでもなし、途方にくれた。近鉄のコーチを1年でお払い箱になり、拾ってくれたのがサンケイスポーツ。ここは選手上がりだからといって、特別扱いしてくれなかった。記者と同じように神宮や後楽園で取材し、大手町の会社に戻って、原稿用紙に向かい呻吟(しんぎん)する。
「赤えんぴつ」というコラムなのだが、私の原稿自体が、プロの記者による修正の筆で真っ赤っかになった。「漢字が思い出せない」と言うと「トヨさんね、一度も覚えたことがないものは『思い出せない』じゃなくて『知らない』と言うんです」。そんな具合で四苦八苦。OKが出たときには日付がかわっていた。
「何でも書こうとするのは素人。的を一点に絞りなさい」と教わったのが、のちにテレビに出てコメントするようになったときにも生きた。
“授業料”はきっちり払わされた。夜の遅い新聞社が集まる大手町界隈(かいわい)には屋台が出ていた。そこでまたデスク連の文章講座を受け「オレが直したからトヨさんの原稿、商品になってるんだよ」といわれ、お勘定はいつも私。現役時代の飲み代からするとタダみたいなもので助かったが。
多少プロで活躍したところで、第二の人生が厳しいものになるのは間違いない。だったら現役でいられる、今この時間をせいぜい大事に――。それしか私も後輩たちにかける言葉がない。
毎年毎年、こっそりと発表される「プロ野球選手の第二の人生への意識調査」みたいなもの。
だいたい70%前後は「将来に不安」と言う結果を出し、「高校野球の指導者」「飲食店開業」「大学・社会人野球の指導者」が「将来なりたいもの」として取り上げられます。将来の夢がプロ野球選手だった人に将来の夢、もなかろうけど、プロ野球選手なんかよう出来て15年20年。
もちろんそれ以下でユニフォームを脱がされる、脱がされる人の方が圧倒的に多い。それが増えに増えて、行き着いたところは「12球団合同トライアウト」なわけではありますが、戦力外通告を受けた選手がみな、そこをもう一度目指すことはまずありえない。
スパッと見切りをつけて、さっさと故郷に帰って「次」を歩みだす選手ありーの、過去の実績やら何やらを加味して、早々にアプローチを受ける選手ありーの。
よく、戦力外通告を受けた選手の「第二の人生」で話題に上るのが、元ジャイアンツの條辺剛の経営するうどん屋さんの話ではあるけども、ああいうのんって決して馬鹿にはできない。
誰にでも、ってわけじゃないけど、いずれ「第二の人生」は訪れるし、「転職しようかな」と考える時期が来ないわけでもない。そのきっかけが「自主退職」か「戦力外通告」かだけの差。まぁ受けるショックは計り知れないものがありますけどね。
最近「復帰宣言」をした元野球選手のタレントさんは、現役時代からありとあらゆるビジネスに手を出し、ほとんど失敗した、みたいなネタをよく笑いながら話してるのを見ますが、笑ってはいるけどそれだけ「プロ野球選手以降」をしっかり考えていた、ということでしょう。
最近のプロ野球選手って「現役時代から副業」みたいな話はあまり聞かない。
もっとも、入団してすぐに「次」を考えているような選手はプロ野球に入ってこないだろうし、皆それなりに計画を立てて金は使うだろうし、ちょっと有名にでもなれば、名の知れたプロダクションが寄ってきて、金銭管理もしっかりしてくれるだろうし。
もっともそれくらいの選手になれば、現役生活を退いても、解説者なり、監督・コーチの道が開けているから心配はなかろうけど、そんな選手ばっかりでもなかろうし。
佐藤和弘(パンチ佐藤)なんかよっぽどうまくいった例ではなかろうか。一軍にいた選手ですから「選ばれた選手」なんだろうけども、プロ野球選手としての数字は決して芳しいものではない。それでも、いつの間にかプロ野球選手としてのキャリアよりもタレントとしてのキャリアの方が長くなった。
あの手の人物がプロ野球に入ってくることはそうそうないだろうし、ましてやプロ野球入団前から「その後」を考える選手なんかいてない。
豊田泰光氏も、サンケイスポーツ解説者時代の苦労話を書いておられますが、ユニフォームを脱いだとは言え、プロ野球に関わって生活できるのは、やかり現役時代にしっかりと成績を残したから。
ただ、引退後は近鉄バファローズの打撃コーチ1年以外はまったくユニフォームを着られてないのは、それなりの原因があるんだとは思います。素人にそこまでは想像出来ませんが、いずれにしても、選手としてユニフォームを脱がれてから40年以上、プロ野球に関われるのは現役時代の数字があってこそ。
何でもかんでも、と言うつもりはありませんが、プロ野球選手と言う職業を通じて作る事が出来る「コネクション」もあります、何にしろ、まずは「プロ野球選手を全う」するのが先。
もちろん「プロ野球選手と言う立場」を利用しようとする馬鹿な輩が寄ってこない、とも限りませんが、そういうのを見分ける為にも、プロ野球選手として、以外にもいち社会人として培わなければいかんものもあると思います。この辺のバランスが難しいでしょうけどね。
厳しくならない第二の人生、にするためにも、目の前の野球でまずは活躍を。
それこそ、カープ・大野豊投手が引退の挨拶で、締めくくりに使った言葉
我が選んだ人生に食いっぱぐれはなし!となりますように。
怒られるなこれは確実に。
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2013.11.17 / Top↑
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