「男子家を出ずれば七人の敵あり」とはよく言います。
前にも書いたように覚えていますが、最近はその「敵」を自宅に招待して食事をしたりする様子を、自身のブログに載せるプロ野球選手もいてますが、あまりよろしい傾向ではないなぁと。
プロ野球選手が一人前になるには、どの程度の「敵」が必要なんでしょうか。
血気なくなった球場 日本経済新聞
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメキシコ対カナダ戦で乱闘が起きた。大差でリードしていたカナダがバント安打を決めた。これを「卑劣な行為」ととらえたメキシコが報復に出たものらしい。
大量得点差でのバントや盗塁はご法度という不文律が、両軍選手の所属するメジャーにはある。得失点の差が関係してくるWBCルールを考えると、カナダが非難されるいわれはなかったが、とにかくあちらの人々は血気盛んだ。両軍総出の“出入り”があるかも、という緊迫感をメジャーの選手は漂わせている。実際にあってはならないが、一触即発のにおいだけは日本のプロ野球にもあっていい。
昨年末、こんな記事を見た。「DeNA・高田GM 対戦相手と談笑禁止令」
それによると、昨季、DeNAの投手、加賀美希昇が高校の先輩である巨人・高橋由伸にマウンド上で会釈するようなしぐさを見せ、その後本塁打を打たれた。あきれた高田繁GMが、グラウンド内ではけじめをつけるよう指示したということだ。
確かに礼儀をはき違えてか、先輩とみればところ構わずあいさつする選手がいるようだ。血気などどこへやら、和気あいあいという野球では人に見せられない。興行の根本にかかわってくる。
私たちの時代はなれ合いを厳しく戒められた。どうしても先輩にあいさつしたければ、周りに気づかれぬよう目で軽く“会釈”した。グラウンド外でも気をつけた。同じ茨城県出身の田宮謙次郎さん(阪神など)とはよく食事に行ったが、店では他のお客から隔離してもらった。プロとして当然のけじめだった。
もっとも、選手だけの問題で球場に血気がなくなったのではないかもしれない。今は規律正しい団体応援が繰り広げられているスタンドも、昔は不穏な空気に満ちていた。
福岡の平和台球場などはファンの乱入が日常茶飯だった。あのころはみんなが血気に満ちていたのであって、このご時世、選手だけをけしかけたところでどうしようもないのかもしれない。
プロ野球選手間の、ユニフォーム姿での挨拶禁止令、みたいなのが出たのが一昨年の3月。大相撲の八百長問題をうけて「紛らわしい行動は慎め」的な、戒めの意味で発表されたはずでしたが。
実際どうなんだろうね。

上の二枚は先日、マツダスタジアムで行われた対ホークス戦の試合前の様子。
左は石井琢朗内野守備走塁コーチが、ホークスの秋山幸二監督のところへ挨拶に行ったところ。右はホークスのバッティング練習中の藤井康雄打撃コーチの所になんか話をしに行った栗原健太。
人によって取りようはバラバラだとは思います。そして、無駄に笑顔なゆえ、何を話ししているのかまでは分かりませんが。いくらオープン戦とは言え「よし、今から仕事だ」と言う緊張感に欠けるように思えるのは気のせいでしょうか。試合の勝ち負けは関係ないけども、自身の結果如何によっては、一軍に飲んこれない可能性もある。それは直接「生活」にもかかってくる。
昨年限りで引退した井生崇光(現・カープスコアラー)を例える言葉として、解説者の達川光男氏は「生活感」と言う言葉を多用した。「ウケた」と思ったのか何なのか、ほかの選手にも使うようになってしまったけど、何が「生活感」って、それだけグラウドに立つことに対して必死になってたんだ。
「グラウンドにはゼニが落ちている。人が2倍練習してたら3倍やれ。3倍してたら4倍やれ。ゼニが欲しけりゃ練習せえ」と言うたのは、かの鶴岡一人元南海ホークス監督。昔の人の言った言葉だから、とは言うけど、これを実践出来ている「プロ野球選手」は今どれくらいいるか。
例え「同業者」とは言うものの、向こう側のダッグアウトにいる「人たち」は、自分がのし上がるためには犠牲になってもらわんといかん存在。上の写真2枚、どんな挨拶をしに行ってるのかは知らんけど、それこそ「死んでもらいます」くらいのことを言うてたら褒めてやってもいいんですけどね。
あと、よくテレビ中継の中で「○○高校の先輩後輩です。」などの表現をすることがある。それとか「同郷」とか。いくら日本プロ野球機構が躍起になっても、マスゴミが試合と関係ないところで、選手と関係ないところでそういう話を持ち込む。これもどうにかならないものかな、と。
確かに先輩後輩の関係は大事、かも知れませんが、それは実力最優先のグラウンド内では一切関係ない。「家に帰るまでが修学旅行です」とは言うけども、プロ野球選手は、試合のある日は家を一歩出たらプロ野球選手であるべき」だし、違うユニフォームを着てる人間は「倒すべき相手」だ。
そうなったら「試合開始5分前のメンバー表交換」なんか正直、愚の骨頂ですよ。あそこでよく、両チームの監督と審判らが握手してたりするけど、いっその事これも禁止すべきなんじゃないか。

見てて一番面白そうなのは、握手するふりをして相手が手を出してきたらスカすとか、握手するふりをして張り手を一発かますとか。至極プロレス的ではありますが、それくらい殺伐としててもいい。
一時期小学校の徒競走(とは言わんか)で、順位をつけないとか、手をつないでゴールするとか、妙な平和主義平等主義的な運動会があったみたいですが、プロフェッショナルの世界ではそれが通用するはずがない。例え、プロ野球と言う同一職業に就いている身であっても、ですよ。
「オープン戦」「公式戦」は、最後の漢字一文字が表しているように「戦(いくさ)」です。それは相手チームだけじゃない。隣に座っているチームメイトに対して仕掛けているもの、でもあります。
グラウンドでは、笑っとる場合じゃない。無駄口を敲いてる場合じゃない。そこは「仕事場」だ。
以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
前にも書いたように覚えていますが、最近はその「敵」を自宅に招待して食事をしたりする様子を、自身のブログに載せるプロ野球選手もいてますが、あまりよろしい傾向ではないなぁと。
プロ野球選手が一人前になるには、どの程度の「敵」が必要なんでしょうか。
血気なくなった球場 日本経済新聞
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のメキシコ対カナダ戦で乱闘が起きた。大差でリードしていたカナダがバント安打を決めた。これを「卑劣な行為」ととらえたメキシコが報復に出たものらしい。
大量得点差でのバントや盗塁はご法度という不文律が、両軍選手の所属するメジャーにはある。得失点の差が関係してくるWBCルールを考えると、カナダが非難されるいわれはなかったが、とにかくあちらの人々は血気盛んだ。両軍総出の“出入り”があるかも、という緊迫感をメジャーの選手は漂わせている。実際にあってはならないが、一触即発のにおいだけは日本のプロ野球にもあっていい。
昨年末、こんな記事を見た。「DeNA・高田GM 対戦相手と談笑禁止令」
それによると、昨季、DeNAの投手、加賀美希昇が高校の先輩である巨人・高橋由伸にマウンド上で会釈するようなしぐさを見せ、その後本塁打を打たれた。あきれた高田繁GMが、グラウンド内ではけじめをつけるよう指示したということだ。
確かに礼儀をはき違えてか、先輩とみればところ構わずあいさつする選手がいるようだ。血気などどこへやら、和気あいあいという野球では人に見せられない。興行の根本にかかわってくる。
私たちの時代はなれ合いを厳しく戒められた。どうしても先輩にあいさつしたければ、周りに気づかれぬよう目で軽く“会釈”した。グラウンド外でも気をつけた。同じ茨城県出身の田宮謙次郎さん(阪神など)とはよく食事に行ったが、店では他のお客から隔離してもらった。プロとして当然のけじめだった。
もっとも、選手だけの問題で球場に血気がなくなったのではないかもしれない。今は規律正しい団体応援が繰り広げられているスタンドも、昔は不穏な空気に満ちていた。
福岡の平和台球場などはファンの乱入が日常茶飯だった。あのころはみんなが血気に満ちていたのであって、このご時世、選手だけをけしかけたところでどうしようもないのかもしれない。
プロ野球選手間の、ユニフォーム姿での挨拶禁止令、みたいなのが出たのが一昨年の3月。大相撲の八百長問題をうけて「紛らわしい行動は慎め」的な、戒めの意味で発表されたはずでしたが。
実際どうなんだろうね。


上の二枚は先日、マツダスタジアムで行われた対ホークス戦の試合前の様子。
左は石井琢朗内野守備走塁コーチが、ホークスの秋山幸二監督のところへ挨拶に行ったところ。右はホークスのバッティング練習中の藤井康雄打撃コーチの所になんか話をしに行った栗原健太。
人によって取りようはバラバラだとは思います。そして、無駄に笑顔なゆえ、何を話ししているのかまでは分かりませんが。いくらオープン戦とは言え「よし、今から仕事だ」と言う緊張感に欠けるように思えるのは気のせいでしょうか。試合の勝ち負けは関係ないけども、自身の結果如何によっては、一軍に飲んこれない可能性もある。それは直接「生活」にもかかってくる。
昨年限りで引退した井生崇光(現・カープスコアラー)を例える言葉として、解説者の達川光男氏は「生活感」と言う言葉を多用した。「ウケた」と思ったのか何なのか、ほかの選手にも使うようになってしまったけど、何が「生活感」って、それだけグラウドに立つことに対して必死になってたんだ。
「グラウンドにはゼニが落ちている。人が2倍練習してたら3倍やれ。3倍してたら4倍やれ。ゼニが欲しけりゃ練習せえ」と言うたのは、かの鶴岡一人元南海ホークス監督。昔の人の言った言葉だから、とは言うけど、これを実践出来ている「プロ野球選手」は今どれくらいいるか。
例え「同業者」とは言うものの、向こう側のダッグアウトにいる「人たち」は、自分がのし上がるためには犠牲になってもらわんといかん存在。上の写真2枚、どんな挨拶をしに行ってるのかは知らんけど、それこそ「死んでもらいます」くらいのことを言うてたら褒めてやってもいいんですけどね。
あと、よくテレビ中継の中で「○○高校の先輩後輩です。」などの表現をすることがある。それとか「同郷」とか。いくら日本プロ野球機構が躍起になっても、マスゴミが試合と関係ないところで、選手と関係ないところでそういう話を持ち込む。これもどうにかならないものかな、と。
確かに先輩後輩の関係は大事、かも知れませんが、それは実力最優先のグラウンド内では一切関係ない。「家に帰るまでが修学旅行です」とは言うけども、プロ野球選手は、試合のある日は家を一歩出たらプロ野球選手であるべき」だし、違うユニフォームを着てる人間は「倒すべき相手」だ。
そうなったら「試合開始5分前のメンバー表交換」なんか正直、愚の骨頂ですよ。あそこでよく、両チームの監督と審判らが握手してたりするけど、いっその事これも禁止すべきなんじゃないか。


見てて一番面白そうなのは、握手するふりをして相手が手を出してきたらスカすとか、握手するふりをして張り手を一発かますとか。至極プロレス的ではありますが、それくらい殺伐としててもいい。
一時期小学校の徒競走(とは言わんか)で、順位をつけないとか、手をつないでゴールするとか、妙な平和主義平等主義的な運動会があったみたいですが、プロフェッショナルの世界ではそれが通用するはずがない。例え、プロ野球と言う同一職業に就いている身であっても、ですよ。
「オープン戦」「公式戦」は、最後の漢字一文字が表しているように「戦(いくさ)」です。それは相手チームだけじゃない。隣に座っているチームメイトに対して仕掛けているもの、でもあります。
グラウンドでは、笑っとる場合じゃない。無駄口を敲いてる場合じゃない。そこは「仕事場」だ。
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2013.03.16 / Top↑
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