「続」とはしましたが、この記事とはほっとんど繋がりはありません。
イイタイトルが思いつかなかっただけですので(笑)
1ケタ背番号への執着心 日本経済新聞
プロ野球選手にとっての背番号はもう一つの顔であり、名刺のようなものでもある。1=王貞治、3=長嶋茂雄といった具合に、番号すなわち人間そのもの、というくらいになれば、押しも押されもせぬスターということになる。
昔は背中に名前を出さなかったので、数字で認知してもらうほかなかった。名前を出して覚えてもらう今のやり方は少し選手に甘いかもしれない。
背番号の話になったのは週刊ベースボールで「背番号特集」が組まれ、私もつけていた「7」にまつわる話が出ていたからだ。7は私の生涯のナンバー。他人といえども行方が気になる。
その7の選手とは阪神の俊介(藤川俊介)。西岡剛の加入によって7から40に、そして68になった。1ケタ台の番号の選手が2ケタになっていくのをみるのはつらい。
入団してすぐ1ケタ台の背番号をもらうのは期待の表れだが、重圧にもなる。私も7を“本籍”の地番のように思うまでには時間がかかった。
最初は先輩たちに「7番さん」とさん付けで呼ばれた。つまりはお客さん扱い。「おい7番、今晩行こうや」と誘われるようになったとき初めて、背番号が自分のものになった気がした。それからは車のナンバーにも7を入れるなど、欠かせぬ伴侶としてきた。
国鉄に移ったときには町田行彦さんというセの本塁打王にもなった先輩に譲ってもらった。「おまえが来るというから覚悟はしていたが」と、ぶつぶつ言いながらも譲ってくれた町田さんには本当に申し訳なかったけれど、7は私の人生そのものだった。
だから工藤公康(西武など)の「47」など、背番号に執着する気持ちがよくわかる。それくらいの意地がないと選手としてはたいしたことがない、ともいえる。
俊介も実績が伴わなかったから仕方がないとはいえ、7をつけてまだ3年だった。多少は抵抗したのだろうか。球団との間に「7を取り上げるなら、トレードに出してください」というほどのやりとりがあったのなら、まだ見込みがあるが……。
今シーズンから、広島東洋カープの堂林翔太が背番号7を背負うことになりました。
誰がい言いだしたかは分かりませんが、折角背番号「13」が板について来た頃に、野村謙二郎「選手」の後継者にしたいのか何なのか、誰が意図したのかは知りませんが、何か唐突な発表。
堂林翔太本人に、「13」へのこだわりがどれくらいあったのか。入団当初は「アレックス・ロドリゲスのような選手になって欲しい」との思いを込めて託した「13」のはずなのに、ぶっちゃけナニモノになるかも分からんままに、背番号の変更。
高卒で入団して3年経過。たった3年でいわゆる「若番」に変更することへの違和感は計り知れない。正直「おちゃらけてる」としか思えないんだ。非常にこじつけっぽい所もあると思いますが。
いっぺん、選手自身に聞いてみたいんですが、いま自分が背負ってる背番号に、どれだけの愛着を持っているのか。ころころ変えられる選手も結構いてますけどね。理由は定かではないですが。
よくあるのが、入団当時は期待して、いい番号を与えてはみたけれど、結局「不発」でどんどん背番号が大きくなっていったり、中途半端な背番号人あっていく例。近年で言えば、入団当初は「16」だったのに、晩年は「54」になってしまった宮崎充登、「19」を剥奪されてしまった上野弘文、など。
落合博満監督が就任して以降の中日ドラゴンズは「支配下の選手の中で一番下という意味での背番号70」を、いわば崖っぷちの選手に背負わせた。それ以外の選手の背番号も結構変えてた。
実際そうですよね。支配下登録選手は70人なんだし。
しかしなから最近は、それが崩れ出してる、と言うか「背番号がどんどん若くなっていくことイコール施主のステップアップ」ではなくなってきてる。どう考えても鈴木一郎の影響だとは思いますけどね。
彼がオリックス・ブルーウェーブにいた頃は、一貫して「51」を背負い続けた。一部では福本豊氏の「7」を、と言う話もあったみたいですが、それでも頑なに51を背負い続けた。リスペクトする前田智徳への畏敬の念とあこがれの詰まった51を手放したくなかったんだろうな。
それにしてもカープ。ようやく「7」が埋まったけど、まだまだひと桁番号に「空き」がある。
「3」とか「8」とか「9」とか。永久欠番やんけ、と言われそうでもありますが、そんなモノを設けるから、「00」とかよく分からない番号をつける選手が出てくる。中東直己のは悪いけど。松永浩美の「02」なんか、漫画の世界「ドカベン プロ野球編」で山田太郎が背負ってましたけどね。
個人的にぎりぎり許せるのは「ゼロ」ですけどね。
いっその事、永久欠番なんかなくしてしまえばいいんですよ。なくしてしまったら、変な番号で支配下選手登録をせんで済む。チームに多大な功績を残した選手、それはそれでいい。プロ野球界で成績を残した選手、それはそれで偉大なことだとは思うけど、その人のつけていた背番号が、永久欠番になってしまうことで、その番号の「歴史」が途絶えてしまうことにならないか。
そして選手も、最初に背負った背番号、もらった背番号にプライドを持って欲しいんだ。
そら、レギュラークラスになったら若い番号の選手が多くなる。それはそれでいいことだとは思うけど、その中でやたらめったら大きい番号なら、目立ってええやん、とも思うし。
しかし、本文の中に出てくる藤川俊介の「68」。残念といえば残念ですよ。最近はドラフト1位指名の選手や、メジャーリーグから出戻りの選手に「三顧之礼」ってんで若い番号を用意することが多々あるけど、アレもいただけない。球団が用意した「40」すら拒否した藤川俊介は応援したいですよ。
少し前なら杉山直久の一件か。三浦大輔獲得に向けて、先に背番号「18」を杉山直久から取り上げた、までは良かったけど、当の三浦大輔は見向きもせず。茶番以外のナニモンでもないですわな。
たかが背番号、されど背番号。よく新入団会見で「背番号○○と言えば△△、と言われるようになりたい」とうそぶく選手がいるけどみたいな選手がもっと出てこないかな。
以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
イイタイトルが思いつかなかっただけですので(笑)
1ケタ背番号への執着心 日本経済新聞
プロ野球選手にとっての背番号はもう一つの顔であり、名刺のようなものでもある。1=王貞治、3=長嶋茂雄といった具合に、番号すなわち人間そのもの、というくらいになれば、押しも押されもせぬスターということになる。
昔は背中に名前を出さなかったので、数字で認知してもらうほかなかった。名前を出して覚えてもらう今のやり方は少し選手に甘いかもしれない。
背番号の話になったのは週刊ベースボールで「背番号特集」が組まれ、私もつけていた「7」にまつわる話が出ていたからだ。7は私の生涯のナンバー。他人といえども行方が気になる。
その7の選手とは阪神の俊介(藤川俊介)。西岡剛の加入によって7から40に、そして68になった。1ケタ台の番号の選手が2ケタになっていくのをみるのはつらい。
入団してすぐ1ケタ台の背番号をもらうのは期待の表れだが、重圧にもなる。私も7を“本籍”の地番のように思うまでには時間がかかった。
最初は先輩たちに「7番さん」とさん付けで呼ばれた。つまりはお客さん扱い。「おい7番、今晩行こうや」と誘われるようになったとき初めて、背番号が自分のものになった気がした。それからは車のナンバーにも7を入れるなど、欠かせぬ伴侶としてきた。
国鉄に移ったときには町田行彦さんというセの本塁打王にもなった先輩に譲ってもらった。「おまえが来るというから覚悟はしていたが」と、ぶつぶつ言いながらも譲ってくれた町田さんには本当に申し訳なかったけれど、7は私の人生そのものだった。
だから工藤公康(西武など)の「47」など、背番号に執着する気持ちがよくわかる。それくらいの意地がないと選手としてはたいしたことがない、ともいえる。
俊介も実績が伴わなかったから仕方がないとはいえ、7をつけてまだ3年だった。多少は抵抗したのだろうか。球団との間に「7を取り上げるなら、トレードに出してください」というほどのやりとりがあったのなら、まだ見込みがあるが……。
今シーズンから、広島東洋カープの堂林翔太が背番号7を背負うことになりました。
誰がい言いだしたかは分かりませんが、折角背番号「13」が板について来た頃に、野村謙二郎「選手」の後継者にしたいのか何なのか、誰が意図したのかは知りませんが、何か唐突な発表。
堂林翔太本人に、「13」へのこだわりがどれくらいあったのか。入団当初は「アレックス・ロドリゲスのような選手になって欲しい」との思いを込めて託した「13」のはずなのに、ぶっちゃけナニモノになるかも分からんままに、背番号の変更。
高卒で入団して3年経過。たった3年でいわゆる「若番」に変更することへの違和感は計り知れない。正直「おちゃらけてる」としか思えないんだ。非常にこじつけっぽい所もあると思いますが。
いっぺん、選手自身に聞いてみたいんですが、いま自分が背負ってる背番号に、どれだけの愛着を持っているのか。ころころ変えられる選手も結構いてますけどね。理由は定かではないですが。
よくあるのが、入団当時は期待して、いい番号を与えてはみたけれど、結局「不発」でどんどん背番号が大きくなっていったり、中途半端な背番号人あっていく例。近年で言えば、入団当初は「16」だったのに、晩年は「54」になってしまった宮崎充登、「19」を剥奪されてしまった上野弘文、など。
落合博満監督が就任して以降の中日ドラゴンズは「支配下の選手の中で一番下という意味での背番号70」を、いわば崖っぷちの選手に背負わせた。それ以外の選手の背番号も結構変えてた。
実際そうですよね。支配下登録選手は70人なんだし。
しかしなから最近は、それが崩れ出してる、と言うか「背番号がどんどん若くなっていくことイコール施主のステップアップ」ではなくなってきてる。どう考えても鈴木一郎の影響だとは思いますけどね。
彼がオリックス・ブルーウェーブにいた頃は、一貫して「51」を背負い続けた。一部では福本豊氏の「7」を、と言う話もあったみたいですが、それでも頑なに51を背負い続けた。リスペクトする前田智徳への畏敬の念とあこがれの詰まった51を手放したくなかったんだろうな。
それにしてもカープ。ようやく「7」が埋まったけど、まだまだひと桁番号に「空き」がある。
「3」とか「8」とか「9」とか。永久欠番やんけ、と言われそうでもありますが、そんなモノを設けるから、「00」とかよく分からない番号をつける選手が出てくる。中東直己のは悪いけど。松永浩美の「02」なんか、漫画の世界「ドカベン プロ野球編」で山田太郎が背負ってましたけどね。
個人的にぎりぎり許せるのは「ゼロ」ですけどね。
いっその事、永久欠番なんかなくしてしまえばいいんですよ。なくしてしまったら、変な番号で支配下選手登録をせんで済む。チームに多大な功績を残した選手、それはそれでいい。プロ野球界で成績を残した選手、それはそれで偉大なことだとは思うけど、その人のつけていた背番号が、永久欠番になってしまうことで、その番号の「歴史」が途絶えてしまうことにならないか。
そして選手も、最初に背負った背番号、もらった背番号にプライドを持って欲しいんだ。
そら、レギュラークラスになったら若い番号の選手が多くなる。それはそれでいいことだとは思うけど、その中でやたらめったら大きい番号なら、目立ってええやん、とも思うし。
しかし、本文の中に出てくる藤川俊介の「68」。残念といえば残念ですよ。最近はドラフト1位指名の選手や、メジャーリーグから出戻りの選手に「三顧之礼」ってんで若い番号を用意することが多々あるけど、アレもいただけない。球団が用意した「40」すら拒否した藤川俊介は応援したいですよ。
少し前なら杉山直久の一件か。三浦大輔獲得に向けて、先に背番号「18」を杉山直久から取り上げた、までは良かったけど、当の三浦大輔は見向きもせず。茶番以外のナニモンでもないですわな。
たかが背番号、されど背番号。よく新入団会見で「背番号○○と言えば△△、と言われるようになりたい」とうそぶく選手がいるけどみたいな選手がもっと出てこないかな。
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2013.02.23 / Top↑
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