久しぶりに「このカテゴリ」での記事、であります。



ソフトバンクが時代超えたベストナイン デイリースポーツ

ソフトバンクは22日、「ホークス球団創立75周年記念事業」を実施することを発表した。記念グッズや観戦チケットなどが企画される。

75年間の歴代選手を対象としたベストナイン「LEGEND HAWKS」も企画されている。時代を超えた過去の名選手の中から、識者の推薦や公式サイトでのファン投票でベストナインを選出する。対象は2012年までの選手で、詳細は後日公式サイトで発表される。

加えて、今季ユニホームの右袖には、75周年アニバーサリーマークを使用する。マークはチームカラーのレボリューションイエローで「75th」の文字がかたどられ、マークからボールが飛び出したデザインとなっている。



75年も続いている「ホークス」とは言うものの、正式に「ホークス」が付いたのは1947年のことであって、けっして「75年前から」ちゅうわけではない、という揚げ足取りは別にして。

何で「80年」でやらんのかな(笑)。まぁそれはそれとして。

私自身が「南海ホークス」の存在を知ったのは、堺市に引っ越して来た5歳の時、であります。以前にも触れたとは思いますが、コロタン文庫(だったと思います)の「プロ野球全(オール)百科」と言う本で、選手の名前やら事細かな住所(!)まで読みあさってたのを覚えてます。

近年の選手名鑑であれば、せいぜい前年度の成績や、通算成績、家族構成くらいまでかとは思いますが、住所やら乗ってる車まで、と言うのはかなり画期的かと思います。今はもうないんでしょうね。

南海ホークスゆえ「南海電車沿線」に住んでる選手も多かったです。あとは泉北高速鉄道沿線とか。そんなのを見て「へぇ、プロ野球選手でも普通に住んでるんだ」などとよく分からない感心をしたものです。残念ながら、私が当時住んでた町内・学校区内にはいてませんでした。

で、そんな、たかだか40年足らずの記憶を元に、個人的な「ホークスベストナイン」をば。もちろん、パシフィックリーグですから、指名打者も入ってこようとは思いますが。

つーても、基準は色々あろうかとは思います。ホークス生え抜きじゃないといかんのかとか、外国人選手は入れちゃいかんのかとか。さすがに南海ホークスのその前の「近畿グレートリング」の選手までは知らんし、分からんのでよう入れません。「記憶にある」程度でご容赦願いたいですが。



1(中)広瀬叔功
佐々木誠か、広瀬叔功か、で迷いました。しかしながら最終的には広瀬叔功。子供の頃に覚えた「印象」てのは大きいです。それよりも佐々木誠の印象って、何でか知らんけど「3番・センター」なんですよね。守備位置を考えたら同格の印象も持ってますが「1番」ともなると広瀬氏かな、と。

ちなみに、「3番・佐々木」に至るまでの打順は「バナザード・湯上谷」と言う、南海末期~ダイエー初期のメンバーが出てきます。この跡には岸川勝也がいたり、後述の門田博光がいたり、と。

2(遊)定岡智秋
ええ、先に書いた「プロ野球全百科」の影響です。あの「定岡正二」のアニキと言うだけで覚えていますが、それ以上に、すごく「かっこよかった」覚えがあるんですよね。

ただ一つ問題なのは、定岡智秋自身が「2番」に入ったことがないこと。この頃のスタメンと言えば、「1番・藤原満、2番・新井宏昌もしくは河埜敬幸」てな感じで、定岡智秋は下位打線を打つことが多かったんですな。あと、関係ないけど、セカンドに桜井輝秀とか。あぁ、懐かしや南海ホークス。

3(指)門田博光
クリーンアップ。指名打者はやっぱり門田博光。と言うよりも、子供心に「守備についてるシーンがどうしても想像出来ない」ので(笑)。アキレス腱を切るまではそこそこ走れた選手だったそうですが。何にしろ、ホークスの歴史では絶対に外せない方です。

4(捕)野村克也
残念な話ではありますが、大阪・難波の大阪球場跡(けっして「なんばパークス」ではない)にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」には、あの馬鹿な奥さんのおかげで「野村克也」の名前が一切出てないそうで。こんな所にまで影響を及ぼす(しまってる)のもどうかとは思いますが。

それでも「4番・キャッチャー・監督」の3重責を担った功績は大。言わば「弟子」でもあった古田敦也も、さすがにこれだ無理だったようで。それだけ「ノムラカツヤ」は偉大だったと言う事でしょう。

5(右)秋山幸二
西武ライオンズ背番号24か、ダイエーホークス背番号1か、プロ野球選手としてどの辺りがピークだったか、と頭を抱えるところではあります。どっちとも言えるしどっちとも言えないし。タイトルで言えばライオンズ、存在感で言えばホークスかなぁ、と。

ただすごいなぁと思うのは、ライオンズでもホークスでも、しっかりと成績を残していた事。移籍後は成績を落とした、てな選手が数多くおる中、稀有な存在かと。それ以上に、ホークスの一軍監督にまでなったことを考えると、故・根本陸夫氏の「眼力」21正規の今でも生きているのかな、とも思います。

6(二)小久保裕紀
後述の久保寺雄二選手を入れたいがための「セカンド・小久保裕紀」であります。よく「プロ野球ベストナイン」で、長嶋茂雄・王貞治・落合博満を並び立てるために、みたいなアレ。

7(左)松中信彦
もう最近は満足に守れないような状況のような気もします。しかしながら、指名打者に門田博光と言うとてつもなく大きな存在がいる以上「レフトの守備に就いてもらいます」(笑)。

確実に「ダイエー以降のホークス生え抜き」では最強の打者かと思います。

8(一)柏原純一
成績での全盛期は、後年のトレード先でもある日本ハムファイターズ、だとは思いますが、これも子供の頃の印象だけ、であります、とは言え、片平晋作、藤本博と、誰にしようかと思ったのも事実。それ以上に「ホークスのファーストは?」と問われて、ぱっと出てくる選手がおらんのも事実。

9(三)久保寺雄二
どうしても入れたい、入れておきたい、入れておかなければいけない選手。であります。期待されてた9年目シーズン直前の1985年1月に26歳の若さで急逝。そのままご存命であれば、おそらく、と言うよりも確実に初期ダイエーホークスでバリバリのレギュラー選手だったと思います。

しかも、守備位置をあれこれ変えながらも、ようやく掴みかけたレギュラーの座。彼の背番号は7。球団に掛け合って「じゃあ成績を残してみろ」と球団に言われ、成績を残しての背番号7。

「歴代ベストナイン」と言う意味合いとは大きくかけ離れてしまうかとは思います。成績はベスとじゃないかも知れませんが、ここで名前を残すのもいいんじゃないか、と思います。

(投)杉浦忠
現役時代は全く知りません(笑)。思い切り反則かもしれまs年賀、杉浦さんを外すと、こまい頃からのホークスファンの方に怒られそうで(笑)。

それ以上に「38勝4敗」と言う数字。登板69試合、先発35試合、完投19試合。今となっては超人的な数字。ではあります。若さゆえ、の数字かも知れませんが、それだけ投げる為の、そしてソサだけの数字を上げる為のヒント、みたいなのを今のピッチャーに教えてやって欲しかった。

投手分業制が定着してもうかなりなります。けど、何百人といるプロ野球選手、一人や二人くらいは「太く短く」みたいな、強烈な印象を残すプロ野球選手が出てきてもいい。記録もそうですが、記憶に残る選手、もそう多くない昨今、杉浦投手は故・稲尾和久氏と共に「神」なんでしょうね。

残念ながらお二人共今は神様ならぬ「仏様」になられてしまいましたが。



――――以上、至極ダメダメな雰囲気の「ホークスベストナイン」でした。最終結果やいかに。

それよりなにより、中モズ球場を返せ(笑)。




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2013.01.22 / Top↑
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