※以下、引用記事とはあんまり関係ない文章が続きます。ゆえに、タイトルともほとんど関係ない内容になっています。あらかじめ御了承下さい。まぁ毎度のことではありますが(笑)。
メジャーから復帰組の使命 日本経済新聞
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の前哨戦として、日本代表がキューバと戦ったが、まだシーズン前という相手に迫力がなく、肩すかしに終わった。これならまだ大リーグ選抜でも呼んできた方がいい。そういえば、以前は2年ごとに行われていた秋の日米野球が2006年を最後に開催されなくなった。
今年もマリナーズとアスレチックスが春先に来たけれども、シーズンの余熱を残す秋の方がまだ彼らも体が動くだろうし、日本側も勉強になる。日本人メジャーなど夢のまた夢というその昔、日米野球は唯一、彼我のレベルを比べる機会だった。
1956年に来日したドジャースはナ・リーグ覇者で、MVPのドン・ニューカム投手を擁していた。私はニューカムから本塁打を放った。大リーグの使用球は重く、飛ばなかった。それでも芯に当たれば柵越えすることがわかったのが収穫だった。
相手打者のバットを借りてみた。その重いこと。
35オンスといっていたから990グラムくらい。それを振り回せるくらいでないと大リーガーにはなれなかったわけだ。長く持つと振れないので、短く持って打ってみた。短く持つと遠心力が使えないが、きちんとミートすれば飛んだ。あれも貴重な発見だった。
日米交流が再開された、球界における文明開化の時代。我々は手探りし、目を凝らし、本場に学ぼうとしていた。あのころと違い、日本人大リーガーがごろごろいる今は力量差も埋まったし、コンプレックスもなくなったと思っていたら、なんのなんの。
阪神が大リーグで通用しなかった西岡剛に大枚をはたいた。内野手に関して日本はまだそんなレベルなのだと白状するようなもので、面白い話ではない。西岡の失敗の背景には渡米直前まで使われていた飛ぶボール、基本ができなくても守れてしまう人工芝の問題などがあろう。その辺を総括したうえで戻ってくるのでないと、西岡個人も土の甲子園で苦労するし、日本球界に何の教訓も残らない。
何でかわからないけど、本当に「メジャーリーグ」を目指す人が多くなった。何ででしょうね。んで、必ず口にするのが「メジャーに挑戦します」という言葉。これがどうしても気に入らない。
なぜ同じスポーツをやっているのに、「挑戦したい」とかいう言うんだろう。そして、大概の場合は打ちひしがれて帰ってくる。中には複数年契約なのに、契約を破棄して逃げ帰ってくるような(そう見えても仕方ない)選手もいてる。正直残念だし情けないし「お前の覚悟ってその程度か」とすら思う。
素直に「お金です」て言えよ。
とは言え、岡島秀樹みたいに「野球はお仕事。単なる就職先であって、メジャー挑戦も海外転勤という感じで捉えている」と、徹底的にドライに対応するのもどうかとは思いますが、これはこれでいいかなと思います、楽しみでやってきた事で飯を食えてるんだし。
まぁそれはそれとして。
佐々木主浩、城島健司が残念だったね。○年契約と、わざわざ「与えてくれてる」んだから、その中で目一杯戦ってくるのが当たり前じゃないか。いわゆる「戦力外通告(ノンテンダーフリーエージェント、というそうですが)」とかならまだしも、言わば勝手に帰っちゃった、みたいなもんだし。
西岡剛に至っては、タイガース入団記者会見で「チームで思う存分、暴れたい」とか言うてる。わざわざ自分から契約解除を申し出た挙げ句、日本に帰ってきて「思う存分」。馬鹿か。
こんな選手に2年で4億円以上の金を出そうとしてるんだから阪神タイガースもたいがい。今年の株主総会で何て言われたのかもうお忘れらしい。しかも、藤川俊介の背番号を剥奪してまで、だ。
まだ前例は多くないとは言え、こんなことが続くようなら、MLB側も新しく日本人選手の獲得に積極的に乗り出さないような気もする。せっかく投資したのに、それに見合った活躍をせんままに逃げ出すんだもんな。ポスティンとかフリーエージェントとかあるけど、相手にされなくなるよ。
散々実績を積み上げ、ポスティングシステムでの渡米の権利を勝ち取った青木宣親ですら「入団テスト」をせんといかんような状態になってるのに、日本人選手、特に野手に対する評価はどんどん厳しくなっていく一方。ライオンズ中島裕之がアメリカに渡れなかったのもこのせいかな、などと。
よく、野茂英雄が「メジャー挑戦のパイオニア」とか言われるけど、彼の場合最初は「マイナー契約」だった。「やっと自分の考える野球ができる場所が見つかりました。」と言い残してアメリカに渡った新庄剛志の、MLB初年度の年俸は、メジャーリーガー最低保証年俸だった。
しかしこうやって、多少メジャーリーグでダメになっても、買ってくれる球団があるから、アメリカに渡る選手もダメになっていくんだろうな。多少失敗しても「アメリカ帰り」と言うだけで両手を上げて大歓迎してくれる。気分は悪かろうはずはないけど、そのとばっちりを受ける選手が必ずいる。
城島健司入団で「2」を剥奪された柴田講平、佐々木主浩復帰で「22」を剥奪された吉見祐治、岩村明憲入団で「1」を取り上げられた塩川達也。いいんだか悪いんだかわかりません。
その事を考えたら、長年「15」を空き番号にしてるカープ球団は愚直と言うか何と言うか。
つか、カープもこんなネタないかね。
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メジャーから復帰組の使命 日本経済新聞
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の前哨戦として、日本代表がキューバと戦ったが、まだシーズン前という相手に迫力がなく、肩すかしに終わった。これならまだ大リーグ選抜でも呼んできた方がいい。そういえば、以前は2年ごとに行われていた秋の日米野球が2006年を最後に開催されなくなった。
今年もマリナーズとアスレチックスが春先に来たけれども、シーズンの余熱を残す秋の方がまだ彼らも体が動くだろうし、日本側も勉強になる。日本人メジャーなど夢のまた夢というその昔、日米野球は唯一、彼我のレベルを比べる機会だった。
1956年に来日したドジャースはナ・リーグ覇者で、MVPのドン・ニューカム投手を擁していた。私はニューカムから本塁打を放った。大リーグの使用球は重く、飛ばなかった。それでも芯に当たれば柵越えすることがわかったのが収穫だった。
相手打者のバットを借りてみた。その重いこと。
35オンスといっていたから990グラムくらい。それを振り回せるくらいでないと大リーガーにはなれなかったわけだ。長く持つと振れないので、短く持って打ってみた。短く持つと遠心力が使えないが、きちんとミートすれば飛んだ。あれも貴重な発見だった。
日米交流が再開された、球界における文明開化の時代。我々は手探りし、目を凝らし、本場に学ぼうとしていた。あのころと違い、日本人大リーガーがごろごろいる今は力量差も埋まったし、コンプレックスもなくなったと思っていたら、なんのなんの。
阪神が大リーグで通用しなかった西岡剛に大枚をはたいた。内野手に関して日本はまだそんなレベルなのだと白状するようなもので、面白い話ではない。西岡の失敗の背景には渡米直前まで使われていた飛ぶボール、基本ができなくても守れてしまう人工芝の問題などがあろう。その辺を総括したうえで戻ってくるのでないと、西岡個人も土の甲子園で苦労するし、日本球界に何の教訓も残らない。
何でかわからないけど、本当に「メジャーリーグ」を目指す人が多くなった。何ででしょうね。んで、必ず口にするのが「メジャーに挑戦します」という言葉。これがどうしても気に入らない。
なぜ同じスポーツをやっているのに、「挑戦したい」とかいう言うんだろう。そして、大概の場合は打ちひしがれて帰ってくる。中には複数年契約なのに、契約を破棄して逃げ帰ってくるような(そう見えても仕方ない)選手もいてる。正直残念だし情けないし「お前の覚悟ってその程度か」とすら思う。
素直に「お金です」て言えよ。
とは言え、岡島秀樹みたいに「野球はお仕事。単なる就職先であって、メジャー挑戦も海外転勤という感じで捉えている」と、徹底的にドライに対応するのもどうかとは思いますが、これはこれでいいかなと思います、楽しみでやってきた事で飯を食えてるんだし。
まぁそれはそれとして。
佐々木主浩、城島健司が残念だったね。○年契約と、わざわざ「与えてくれてる」んだから、その中で目一杯戦ってくるのが当たり前じゃないか。いわゆる「戦力外通告(ノンテンダーフリーエージェント、というそうですが)」とかならまだしも、言わば勝手に帰っちゃった、みたいなもんだし。
西岡剛に至っては、タイガース入団記者会見で「チームで思う存分、暴れたい」とか言うてる。わざわざ自分から契約解除を申し出た挙げ句、日本に帰ってきて「思う存分」。馬鹿か。
こんな選手に2年で4億円以上の金を出そうとしてるんだから阪神タイガースもたいがい。今年の株主総会で何て言われたのかもうお忘れらしい。しかも、藤川俊介の背番号を剥奪してまで、だ。
まだ前例は多くないとは言え、こんなことが続くようなら、MLB側も新しく日本人選手の獲得に積極的に乗り出さないような気もする。せっかく投資したのに、それに見合った活躍をせんままに逃げ出すんだもんな。ポスティンとかフリーエージェントとかあるけど、相手にされなくなるよ。
散々実績を積み上げ、ポスティングシステムでの渡米の権利を勝ち取った青木宣親ですら「入団テスト」をせんといかんような状態になってるのに、日本人選手、特に野手に対する評価はどんどん厳しくなっていく一方。ライオンズ中島裕之がアメリカに渡れなかったのもこのせいかな、などと。
よく、野茂英雄が「メジャー挑戦のパイオニア」とか言われるけど、彼の場合最初は「マイナー契約」だった。「やっと自分の考える野球ができる場所が見つかりました。」と言い残してアメリカに渡った新庄剛志の、MLB初年度の年俸は、メジャーリーガー最低保証年俸だった。
しかしこうやって、多少メジャーリーグでダメになっても、買ってくれる球団があるから、アメリカに渡る選手もダメになっていくんだろうな。多少失敗しても「アメリカ帰り」と言うだけで両手を上げて大歓迎してくれる。気分は悪かろうはずはないけど、そのとばっちりを受ける選手が必ずいる。
城島健司入団で「2」を剥奪された柴田講平、佐々木主浩復帰で「22」を剥奪された吉見祐治、岩村明憲入団で「1」を取り上げられた塩川達也。いいんだか悪いんだかわかりません。
その事を考えたら、長年「15」を空き番号にしてるカープ球団は愚直と言うか何と言うか。
つか、カープもこんなネタないかね。
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2012.11.26 / Top↑
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