なーにが総集編だ、とは自分でも思ってます。いいタイトルが思いつかんかったもので。
菅野、巨人1位指名に「報われた」
スポーツ報知
「プロ野球ドラフト会議 supported by TOSHIBA」が25日、都内のホテルで行われ、巨人が原辰徳監督(54)のおいで、東海大の菅野智之投手(23)を球団史上初めて2年連続で1位指名し、単独入札に成功した。会議後に早速2人が対面。MAX157キロ右腕は「背番号19」のユニホームに袖を通した。
夢にまで見た光景が現実になった。菅野10+ 件の目の前には、原監督が真っ白なユニホームを持って立っていた。ドラフト当日ながら、背番号「19」が入ったユニホームが用意され、袖を通した。「背番号は即決しました。非常に似合っているね」と指揮官が笑顔で言えば、菅野も「改めて実感が湧いてきました」と気を引き締めた。2人は無数のフラッシュを浴びながらグータッチ。“巨人・菅野”として、第一歩を踏み出した。
熱い思いはすぐに行動となって表れた。都内のホテルでドラフト会議を終えると、原監督は原10+ 件沢球団代表、長谷川スカウトと神奈川・平塚市の東海大学・湘南校舎に車を走らせた。
約1時間半かけて到着すると、すぐに菅野と5位で指名した坂口と対面。原沢代表は「1年間お待たせしました」とあいさつすると、指揮官は菅野、坂口の順に抱擁を交わし、背中を強くたたいて「頑張れ」と激励した。
以下省略
何かと「もめ事らしきもの」が2件(うち1件は二年越し)もあったドラフト会議もそうそう無い事かと思います。2件とも、何となく歯がゆさを残してます。たった一人の高校生の「メジャーに行きたい」発言が、これだけの波を起こすとは思いませんでしたが。
とは言うものの、まだまだ片付けんといかん問題もあります。
ジャイアンツに指名された菅野智之問題。これもたいがい問題だと思いますよ。どこもまるで当たり前のように「おじさんの球団」に入打することを当たり前のように捉えてるし、報道してますが。
そもそも「希望入団枠制度」「逆指名制度」「自由獲得枠制度」これらを導入した時点で、ドラフト会議って一旦崩壊してしまったように思います。「好きな球団があります。そこでプロ野球選手として活躍したいです。」入りたい球団があるのはいいことではあるけど、そんな「わがまま」が許されるのんって、プロ野球選手くらいじゃないか、、とこの制度が導入された当時は思いましたよ。
どっかの偉い人が「職業選択の自由」などと言う言葉を持ち出して擁護してたようにも思いますが、これも聞いててイラッとしたもんですよ。プロ野球は、プロ野球と言う「職業」じゃないのか。
読売ジャイアンツは、読売ジャイアンツと言う『職業』なのか?
もっともこの「希望入団枠」を、わざわざドラフト会議の場で発表する事自体がおかしかったのであって、入団が決まったのであれば、各球団が勝手に発表すればよかった。誰が何処へ行くか分からない、緊張感のある中で、全てがまとめられた話をわざわざ発表することもなかったろうに。
それこそ、原稿を読み上げるだけの国会答弁、みたいなもんでしたね。
それはさて置き
結局菅野智之は「1年間逃げ切った」と言うか何というか。ファイターズの交渉権が今年の3月31日で切れてしまっておるので、決して逃げ切ったわけではないですが、それから半年間、どんな気分で月日をやり過ごしてきたかな、などとも思ったり。表現は酷いかと思いますが、そうにしか見えない。
ドラフト指名を拒否して「留学」や「社会人野球」を選択した選手としては、過去に江川卓、近年では福留孝介、元木大介、小池秀郎、最も最近では長野久義がいてます。まだほかにもいてますが。
ただ、ここに挙げた選手が皆、日本国内で大活躍したか、と言うと決してそうじゃない。
江川卓の選手生命は、当時考えられた以上に短かったし、小池秀郎は(当時)松下電器入社後に怪我をして、花が咲くのに時間が掛かってしまった。元木大介に至っては、ハワイに行って何してたんかは知らんけど、大幅な方針転換を余儀なくされた。福留孝介に関しては大成功、長野久義に関しては、今の所「成功」かと思います。もう数年、やってみんとわからんところもあるとは思いますが。
さらには、小宮山悟、河原純一みたいにプロ野球にに一旦プロ野球に身を投じながら退団、そして浪人生活を送りながらも復帰した例、もありますが、それでもやはりブランクは埋めれなかった。
まぁ40歳近くなればそうも感じないかも知れませんが、22~23歳の1年間ってのは、人生に対して大きく左右します。しかも、これから体力も何もかも伸びる時期に、1年間試合にも出ずに、ただただ「個人練習」だけでは、それこそ「大学レベル」を維持していくだけでは、どこに入団することになるとは言え、かなり厳しい目に晒されるかも知れません。
ちょっとでも何かあれば「1年間遊んでたんじゃねーか」とすら言われます。いくら背後に「ジャイアンツの原辰徳」がいても、成績が残せなければ「何やってんだよ」と言われます。
母校から離れた所で練習していたら話は変わるかも知れませんが、菅野智之の場合、大学に席を置いたまま練習してました。あれだけ「即戦力」と騒がれながら来シーズン、成績を残せなければ、下手したら母校の東海大学の指導方針に言及するマスゴミが現れても不思議じゃないかも知れません。
とは言え彼の場合、入団することが最大の目的、だったように思うので、それはそれでいいかも知れませんが、ただ、その「おじさん」は、終身名誉監督でも何でもないわけでして、成績が悪ければ「はいオサラバよ」的な立場。もっとも、いずれは球団幹部に据え置かれそうではありますが。
それよりも何よりも思ったのは、彼に背番号19を与えたことで、上原浩治のジャイアンツ復帰はなくなったな、と。ジャイアンツ自体がそんな器じゃないとは思いますけどね(笑)。
いい加減カープも「見切ろう」よ(違)。
以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
菅野、巨人1位指名に「報われた」
スポーツ報知
「プロ野球ドラフト会議 supported by TOSHIBA」が25日、都内のホテルで行われ、巨人が原辰徳監督(54)のおいで、東海大の菅野智之投手(23)を球団史上初めて2年連続で1位指名し、単独入札に成功した。会議後に早速2人が対面。MAX157キロ右腕は「背番号19」のユニホームに袖を通した。
夢にまで見た光景が現実になった。菅野10+ 件の目の前には、原監督が真っ白なユニホームを持って立っていた。ドラフト当日ながら、背番号「19」が入ったユニホームが用意され、袖を通した。「背番号は即決しました。非常に似合っているね」と指揮官が笑顔で言えば、菅野も「改めて実感が湧いてきました」と気を引き締めた。2人は無数のフラッシュを浴びながらグータッチ。“巨人・菅野”として、第一歩を踏み出した。
熱い思いはすぐに行動となって表れた。都内のホテルでドラフト会議を終えると、原監督は原10+ 件沢球団代表、長谷川スカウトと神奈川・平塚市の東海大学・湘南校舎に車を走らせた。
約1時間半かけて到着すると、すぐに菅野と5位で指名した坂口と対面。原沢代表は「1年間お待たせしました」とあいさつすると、指揮官は菅野、坂口の順に抱擁を交わし、背中を強くたたいて「頑張れ」と激励した。
以下省略
何かと「もめ事らしきもの」が2件(うち1件は二年越し)もあったドラフト会議もそうそう無い事かと思います。2件とも、何となく歯がゆさを残してます。たった一人の高校生の「メジャーに行きたい」発言が、これだけの波を起こすとは思いませんでしたが。
とは言うものの、まだまだ片付けんといかん問題もあります。
ジャイアンツに指名された菅野智之問題。これもたいがい問題だと思いますよ。どこもまるで当たり前のように「おじさんの球団」に入打することを当たり前のように捉えてるし、報道してますが。
そもそも「希望入団枠制度」「逆指名制度」「自由獲得枠制度」これらを導入した時点で、ドラフト会議って一旦崩壊してしまったように思います。「好きな球団があります。そこでプロ野球選手として活躍したいです。」入りたい球団があるのはいいことではあるけど、そんな「わがまま」が許されるのんって、プロ野球選手くらいじゃないか、、とこの制度が導入された当時は思いましたよ。
どっかの偉い人が「職業選択の自由」などと言う言葉を持ち出して擁護してたようにも思いますが、これも聞いててイラッとしたもんですよ。プロ野球は、プロ野球と言う「職業」じゃないのか。
読売ジャイアンツは、読売ジャイアンツと言う『職業』なのか?
もっともこの「希望入団枠」を、わざわざドラフト会議の場で発表する事自体がおかしかったのであって、入団が決まったのであれば、各球団が勝手に発表すればよかった。誰が何処へ行くか分からない、緊張感のある中で、全てがまとめられた話をわざわざ発表することもなかったろうに。
それこそ、原稿を読み上げるだけの国会答弁、みたいなもんでしたね。
それはさて置き
結局菅野智之は「1年間逃げ切った」と言うか何というか。ファイターズの交渉権が今年の3月31日で切れてしまっておるので、決して逃げ切ったわけではないですが、それから半年間、どんな気分で月日をやり過ごしてきたかな、などとも思ったり。表現は酷いかと思いますが、そうにしか見えない。
ドラフト指名を拒否して「留学」や「社会人野球」を選択した選手としては、過去に江川卓、近年では福留孝介、元木大介、小池秀郎、最も最近では長野久義がいてます。まだほかにもいてますが。
ただ、ここに挙げた選手が皆、日本国内で大活躍したか、と言うと決してそうじゃない。
江川卓の選手生命は、当時考えられた以上に短かったし、小池秀郎は(当時)松下電器入社後に怪我をして、花が咲くのに時間が掛かってしまった。元木大介に至っては、ハワイに行って何してたんかは知らんけど、大幅な方針転換を余儀なくされた。福留孝介に関しては大成功、長野久義に関しては、今の所「成功」かと思います。もう数年、やってみんとわからんところもあるとは思いますが。
さらには、小宮山悟、河原純一みたいにプロ野球にに一旦プロ野球に身を投じながら退団、そして浪人生活を送りながらも復帰した例、もありますが、それでもやはりブランクは埋めれなかった。
まぁ40歳近くなればそうも感じないかも知れませんが、22~23歳の1年間ってのは、人生に対して大きく左右します。しかも、これから体力も何もかも伸びる時期に、1年間試合にも出ずに、ただただ「個人練習」だけでは、それこそ「大学レベル」を維持していくだけでは、どこに入団することになるとは言え、かなり厳しい目に晒されるかも知れません。
ちょっとでも何かあれば「1年間遊んでたんじゃねーか」とすら言われます。いくら背後に「ジャイアンツの原辰徳」がいても、成績が残せなければ「何やってんだよ」と言われます。
母校から離れた所で練習していたら話は変わるかも知れませんが、菅野智之の場合、大学に席を置いたまま練習してました。あれだけ「即戦力」と騒がれながら来シーズン、成績を残せなければ、下手したら母校の東海大学の指導方針に言及するマスゴミが現れても不思議じゃないかも知れません。
とは言え彼の場合、入団することが最大の目的、だったように思うので、それはそれでいいかも知れませんが、ただ、その「おじさん」は、終身名誉監督でも何でもないわけでして、成績が悪ければ「はいオサラバよ」的な立場。もっとも、いずれは球団幹部に据え置かれそうではありますが。
それよりも何よりも思ったのは、彼に背番号19を与えたことで、上原浩治のジャイアンツ復帰はなくなったな、と。ジャイアンツ自体がそんな器じゃないとは思いますけどね(笑)。
いい加減カープも「見切ろう」よ(違)。
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2012.10.29 / Top↑
ねねるね
サッカー等は自由に好きな球団に入団できますよ。ドラフト制度自体はアメリカ的な発想の制度なのです(アメフト、バスケもドラフト制)。
問題はFA権利との整合性にあるでしょう。
逆指名した選手は将来のFA権は放棄する、等の縛りは必要でしょう。
逆指名とFA権、両方ってのは都合が良すぎる。
問題はFA権利との整合性にあるでしょう。
逆指名した選手は将来のFA権は放棄する、等の縛りは必要でしょう。
逆指名とFA権、両方ってのは都合が良すぎる。
2012/10/29 Mon 10:26 URL [ Edit ]
苦行僧
コメントありがとうございます。
ただサッカーの場合、自チームのユースからの昇格、もあるみたい(サッカー詳しくないです。すいません)なので、プロ野球とは一概に比較は難しいかと思います。
逆指名→フリーエージェント宣言、は規制したほうがいいかと思います。
ただサッカーの場合、自チームのユースからの昇格、もあるみたい(サッカー詳しくないです。すいません)なので、プロ野球とは一概に比較は難しいかと思います。
逆指名→フリーエージェント宣言、は規制したほうがいいかと思います。
2012/10/29 Mon 21:44 URL [ Edit ]
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