ようやくというか、今更と言うか、引退。



金本 涙の引退…阪神社長“引退勧告”に抵抗も最後は決断
スポニチ

アニキが泣いた――。阪神の金本知憲外野手(44)が12日、兵庫県西宮市内のホテルで記者会見し、今季限りでの現役引退を発表した。1492試合連続フルイニング出場の世界記録など、数々の金字塔を打ち立ててきた「鉄人」。しかし、近年は右肩痛に苦しみ、今月2日に球団に初めて進退を委ねられ、自ら身を引く決断を下した。古巣相手の29日の広島戦(甲子園)が引退試合となる見通しだ。

鉄人が今季限りでバットを置くことを決断した。この日午前に球団に引退の意思を通達。午後1時すぎから球団事務所で南信男球団社長と会談し、了承を得た。午後4時から行われた記者会見。最初は笑顔を見せていた金本だが、家族について話が及ぶと感極まった。

「子供には(引退を)言いました。大泣きしていました。でもいつかは辞める時が来るわけだからと。あとは母親に一番最初に伝えました」

母にかけられた言葉を聞かれると「体のケアだけは…。それだけですね」。言葉にならない。さらにファンへの感謝の言葉へと続く。「落ちぶれてからはバッシングも多かったですが、それでも一生懸命応援に…」。上を向いて落ちないようにしていた涙があふれた。

引退を考え始めた時期について、金本は「10日前ぐらいで、本当の決断はおととい(10日)」と明かした。10日前とは今月2日。3度の好機でことごとく凡退した広島戦(甲子園)の翌日のことだ。甲子園球場のクラブハウス内で南社長と話し合いの場を持った。

南社長は「進退について考えてみたらどうか?」と金本に委ねたが、内容は事実上の「引退勧告」だった。会談以降の10日間、代打で4打数3安打の結果を残しながらも、自問自答する日々。そして、引退の決断を下した。

10年、右肩の棘(きょく)上筋をほぼ断裂。このケガが致命傷となった。「この3年間はみじめというか、プロ入りして最初の3年と最後の3年はこんな苦しい人生があるのかと」。言葉に実感を込めた。

実際は4人兄弟の末っ子だが「アニキ」と呼ばれ、ファンにも愛された。功労者に球団側は最後の花道を用意。29日の古巣・広島戦(甲子園)を引退試合とする予定だ。数々の記録に名を残した虎の背番号6が、ついにユニホームを脱ぐ。



まずはお疲れ様、かとは思いますが、純粋に言えないのは承知の通り。これとはまた別記事になりますが「半分イヤイヤでタイガースに来たのですが…」とは言うてたけど、理由はどうあれ結局は「自らの意思で出て行った」には変わりありませんからね。

彼が出て行った状況を、当時の、ではなく今のカープに当てはめてたらどうか、という話にもなりますが、それも決して比較対象にならない。これだけは「個人の意識と脂質の問題」ですからね。

晩年は肩の大怪我で、もうどうしようもないプレイしか出来てなかった。幾度か「あんなプレイで金を取ろうとするな」みたいなことは書いたけど、この人の何が凄かったって、足腰の強さ。

尋常ならざる筋力トレーニングの賜物、だとは思いますが、肉離れを起こした、みたいな話を聞いたことがない。2度ほど左ひざの手術をしてますが、その影響は感じられない。おそらくトレーニングと、その前後のケアの仕方が普通じゃなかったんでしょう。これは正直、プロとしてすごいことですよ。

ただ、怪我を満足に直さずに試合に出続けたのはやっぱりいだたけない。これだけはもはや「許せない」の域にまで達してる。まぁ相手となるこっちとしては「好都合」ではありましたが。

「右肩棘上筋部分断裂」と言う怪我が、手術して完治するもかってのは、よう調べたことがないので分かりませんが、完治しないまでも、守備に影響が出ない程度に治療を優先させることは出来んかったのか、とも思います。また本人も、ちゃんと直す気がないのなら、一歩退く決断が欲しかった。

彼をスターティングメンバーに置いておくことによって、様々な弊害が出た。金本知憲と言う「基準」が高過ぎて、多くの若手選手が埋没していったり、結果を残す機会すら与えられぬまま退団していった。ただ単にその選手の「実力不足」だったのかも知れませんが、タイガース球団に、金本知憲を下げる我慢、若手選手を抜擢する我慢があったのかどうか、と言えば、よそから見る限りは「?」です。

主力選手として期待されているのは金本本人も重々承知だったとは思いますが「出れません」と言うてもいい立場にあったんじゃないか。それだけの数字を残してきたんだから。


ただ残念なのは、この件に関して、現場責任者でもある和田豊監督への相談、と言うか報告が後回しになってること。先代監督の真弓明信すらも、金本の起用方法に関しては「これ」と言う指針を示さなかった。最後まで何となく優柔不断だったし、バッシングを浴びても起用し続けた。

そして、最後の引退勧告(?)も、和田豊監督ではなく、南信男球団社長。連続フルイニング出場から始まった金本知憲と言う存在は、タイガースの中では完全に「アンタッチャブルな存在」になってたんでしょうね。それを見かねた球団社長が、自ら個人面談、といったところでしょうか。


しかし、高津臣吾に始まって、田口壮、金本知憲と続いた「昭和40年代選手」の引退記者会見。「やるだけのことはやった」感のあった高津臣吾は終始穏やかな、と言うか淡々とした表情。田口壮・金本知憲は会見の中で「悔い」と言う言葉を使っただけに、涙の記者会見。

今現役でプレイしているプロ野球選手の皆さん、引退記者会見で「泣かないように」今、全力で練習してください、今日出場する試合を全力でプレイしてください。過ぎた日は悔いても戻ってきやしません。「あの時ああやればよかった」と言う言葉を聞きますが、それは「その時のベスト」です。


今日取った得点は明日には繋がりませんが、今日尽くしたベストは明日につながります。


金本知憲。愛すべきビッグレッドマシンの5番打者、そして憎き4番打者に、最敬礼。


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2012.09.13 / Top↑
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