今週になって、波乱万丈の野球人生を歩んだプロ野球選手が二人、引退を発表しました。
「幸せな野球人生」=高津が引退会見-BCリーグ 時事通信
野球の独立リーグ、BCリーグの新潟に所属し、今季限りでの現役引退が決まった高津臣吾監督兼投手(43)が4日、新潟市内で記者会見し、「幸せな野球人生だった」と語った。来季の監督業については「ゆっくり考えたい」としている。
プロ野球ヤクルト時代に歴代2位の通算286セーブを記録した高津は昨季から新潟でプレーし、1年目は16セーブ。今季は監督を兼任してチームを前期優勝に導き、後期も優勝間近の好成績。一方で高津自身は登板の機会がなく、「選手として機能していないと自覚し、8月半ばに(引退を)決意した」と話した。
高津は亜大からドラフト3位で1991年にヤクルトに入団し、右横手投げからのシンカーを決め球に抑え投手として活躍。最優秀救援投手に4度輝き、ヤクルトの黄金時代を支えた。04年から米大リーグのホワイトソックス、メッツに在籍して2年間で27セーブ。韓国、台湾の球団でもプレーした。今月22日の新潟のレギュラーシーズン最終戦(新潟県長岡市)が引退試合となる。
田口が現役引退=オリックス、大リーグで活躍 時事通信
プロ野球のオリックス、大リーグのカージナルスなどで活躍した田口壮外野手(43)が現役引退を決め、所属事務所が6日発表した。10日に東京都内で記者会見を開く。
田口は関学大からドラフト1位で1992年にオリックス入団。2002年にフリーエージェントでカージナルスに移籍し、フィリーズ、カブスで活躍した後、10年にオリックスに復帰。
昨年で退団し、10月に右肩を手術して現役続行を模索したが、補強期限の7月31日までに所属球団が見つからず、「これで一区切り。引退も含めて今後のことを考えたい」と話していた。
田口はオリックスの95年のリーグ制覇、96年の日本一に貢献。06年にはカージナルスのワールドシリーズ制覇にも一役買った。
通算成績はプロ野球12年で打率2割7分6厘、70本塁打、429打点。メジャー8年間では2割7分9厘、19本塁打、163打点だった。
高津選手の引退記者会見の様子を、新潟アルビレックス公式U STREAMで見ました。
印象に残ったのが「野球選手としての死に場所を探しているような状態だったかも知れません。」の言葉。スワローズを退団して(させられて?)以降も、またアメリカに行ったり、韓国プロ野球やら台湾と、波瀾万丈と言う言葉がピッタリの「流浪の野球戦士」だったかも知れません。
しかし、とにかく最後までユニフォームを着て終われる、と言うのは、プロ野球人として、最終所属がどこであれ、形としては最高ではないでしょうか。記者会見映像の高津臣吾の非常に穏やかに見える表情がそれを物語ってるように思いますがいかがでしょう。やることは皆やった、みたいな。
まぁ本人さんは「兼任監督」で終わるとはまず思ってなかったでしょうけどね。
かたや田口壮。
手術した右田の手術の甲斐もなく(と言えばいいのか)、どこからもオファーがないまま、昨日現役引退を決めました。御本人の7月31日のブログで「野球人生の区切りの日となってしまいました。」とありましたが、ようやく決断の日を迎えたようで。いいのか悪いのか分かりませんけど。
一度「浪人業の館」から再び現役復帰した選手としては、小宮山悟や河原純一(現:愛媛マンダリンパイレーツ)が挙げられます。、彼らの場合は「ただ使ってもらえる場所がなかっただけ」の事。田口壮の場合はやはり「故障上がり」と言うのと「年齢」と言う壁があったのかも知れません。
記者会見でどのような言葉が聞かれるかはまだ分かりませんが、やはりどことなく無念さは滲んでくるんじゃないか、と思います。ただ、もうちょっと待てば「トライアウト」と言う手もあった、かも知れませんが、それは「元メジャーリーガー」のプライドが許さなかったんでしょうね。
所属チームが「ない」状態のまま引退してしまうってのは、直近では工藤公康がいてますが、工藤氏の場合は「最終所属」でもあるライオンズで「引退式」をやりましたが、何となく煩わしいやりとりのあったバファローズが、田口壮の引退セレモニーをやるかどうか、難しところだと思います。
その点を考えれば、独立リーグにまで「生きる術と己の価値」そして「死に場所」を見出そうとした高津臣吾の方がまだ幸せかな、とも思ったり。引退試合も用意されているそうですからね。まぁこの辺りは素人のタワゴトですから、流していただいて結構ですが。
「引退」と言う事であれば、広島東洋カープ・石井琢朗も、今シーズンで引退を決めた選手の一人ではありますが、その記者会見で「絶対悔いは残ると思います。」という言葉を残してました。
正直な感想だと思います。野手転向以降、最低の成績で終わろうとしてるんだから、どの程度かは知る由もありませんが、ユニフォームを着ていながらも、悔いは多少なりともあるかともいます。
あと1ヶ月ほどせぬうちに、まずは「戦力外通告」と言う形で、NPBを去る(可能性のある)「プロ野球選手」が新聞紙上を賑わすこととなります。その中で「やることは全てやった。もうお腹いっぱいですよ」と、心底納得してユニフォームを脱ぐ選手はどれくらいいるんでしょうか。
遅かれ早かれプロ野球選手、もっと広く言えば、さまざまな種目で活躍されているスポーツ選手、誰にでも「その時」が来ることと思います。来るべき「その日」まで、それこそ「死に場所」が見つかるまで、とにかく全力で、スポーツ選手を全うしていただきたいと思います。
そして
結局、所属先が決まらぬまま一年間「浪人生活」を貫いた佐伯貴弘・大村直之は、同じセ・リーグ、パ・リーグだった高津臣吾・田口壮の「引き際」を見て、何か感じる所はあるのでしょうか。
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「幸せな野球人生」=高津が引退会見-BCリーグ 時事通信
野球の独立リーグ、BCリーグの新潟に所属し、今季限りでの現役引退が決まった高津臣吾監督兼投手(43)が4日、新潟市内で記者会見し、「幸せな野球人生だった」と語った。来季の監督業については「ゆっくり考えたい」としている。
プロ野球ヤクルト時代に歴代2位の通算286セーブを記録した高津は昨季から新潟でプレーし、1年目は16セーブ。今季は監督を兼任してチームを前期優勝に導き、後期も優勝間近の好成績。一方で高津自身は登板の機会がなく、「選手として機能していないと自覚し、8月半ばに(引退を)決意した」と話した。
高津は亜大からドラフト3位で1991年にヤクルトに入団し、右横手投げからのシンカーを決め球に抑え投手として活躍。最優秀救援投手に4度輝き、ヤクルトの黄金時代を支えた。04年から米大リーグのホワイトソックス、メッツに在籍して2年間で27セーブ。韓国、台湾の球団でもプレーした。今月22日の新潟のレギュラーシーズン最終戦(新潟県長岡市)が引退試合となる。
田口が現役引退=オリックス、大リーグで活躍 時事通信
プロ野球のオリックス、大リーグのカージナルスなどで活躍した田口壮外野手(43)が現役引退を決め、所属事務所が6日発表した。10日に東京都内で記者会見を開く。
田口は関学大からドラフト1位で1992年にオリックス入団。2002年にフリーエージェントでカージナルスに移籍し、フィリーズ、カブスで活躍した後、10年にオリックスに復帰。
昨年で退団し、10月に右肩を手術して現役続行を模索したが、補強期限の7月31日までに所属球団が見つからず、「これで一区切り。引退も含めて今後のことを考えたい」と話していた。
田口はオリックスの95年のリーグ制覇、96年の日本一に貢献。06年にはカージナルスのワールドシリーズ制覇にも一役買った。
通算成績はプロ野球12年で打率2割7分6厘、70本塁打、429打点。メジャー8年間では2割7分9厘、19本塁打、163打点だった。
高津選手の引退記者会見の様子を、新潟アルビレックス公式U STREAMで見ました。
印象に残ったのが「野球選手としての死に場所を探しているような状態だったかも知れません。」の言葉。スワローズを退団して(させられて?)以降も、またアメリカに行ったり、韓国プロ野球やら台湾と、波瀾万丈と言う言葉がピッタリの「流浪の野球戦士」だったかも知れません。
しかし、とにかく最後までユニフォームを着て終われる、と言うのは、プロ野球人として、最終所属がどこであれ、形としては最高ではないでしょうか。記者会見映像の高津臣吾の非常に穏やかに見える表情がそれを物語ってるように思いますがいかがでしょう。やることは皆やった、みたいな。
まぁ本人さんは「兼任監督」で終わるとはまず思ってなかったでしょうけどね。
かたや田口壮。
手術した右田の手術の甲斐もなく(と言えばいいのか)、どこからもオファーがないまま、昨日現役引退を決めました。御本人の7月31日のブログで「野球人生の区切りの日となってしまいました。」とありましたが、ようやく決断の日を迎えたようで。いいのか悪いのか分かりませんけど。
一度「浪人業の館」から再び現役復帰した選手としては、小宮山悟や河原純一(現:愛媛マンダリンパイレーツ)が挙げられます。、彼らの場合は「ただ使ってもらえる場所がなかっただけ」の事。田口壮の場合はやはり「故障上がり」と言うのと「年齢」と言う壁があったのかも知れません。
記者会見でどのような言葉が聞かれるかはまだ分かりませんが、やはりどことなく無念さは滲んでくるんじゃないか、と思います。ただ、もうちょっと待てば「トライアウト」と言う手もあった、かも知れませんが、それは「元メジャーリーガー」のプライドが許さなかったんでしょうね。
所属チームが「ない」状態のまま引退してしまうってのは、直近では工藤公康がいてますが、工藤氏の場合は「最終所属」でもあるライオンズで「引退式」をやりましたが、何となく煩わしいやりとりのあったバファローズが、田口壮の引退セレモニーをやるかどうか、難しところだと思います。
その点を考えれば、独立リーグにまで「生きる術と己の価値」そして「死に場所」を見出そうとした高津臣吾の方がまだ幸せかな、とも思ったり。引退試合も用意されているそうですからね。まぁこの辺りは素人のタワゴトですから、流していただいて結構ですが。
「引退」と言う事であれば、広島東洋カープ・石井琢朗も、今シーズンで引退を決めた選手の一人ではありますが、その記者会見で「絶対悔いは残ると思います。」という言葉を残してました。
正直な感想だと思います。野手転向以降、最低の成績で終わろうとしてるんだから、どの程度かは知る由もありませんが、ユニフォームを着ていながらも、悔いは多少なりともあるかともいます。
あと1ヶ月ほどせぬうちに、まずは「戦力外通告」と言う形で、NPBを去る(可能性のある)「プロ野球選手」が新聞紙上を賑わすこととなります。その中で「やることは全てやった。もうお腹いっぱいですよ」と、心底納得してユニフォームを脱ぐ選手はどれくらいいるんでしょうか。
遅かれ早かれプロ野球選手、もっと広く言えば、さまざまな種目で活躍されているスポーツ選手、誰にでも「その時」が来ることと思います。来るべき「その日」まで、それこそ「死に場所」が見つかるまで、とにかく全力で、スポーツ選手を全うしていただきたいと思います。
そして
結局、所属先が決まらぬまま一年間「浪人生活」を貫いた佐伯貴弘・大村直之は、同じセ・リーグ、パ・リーグだった高津臣吾・田口壮の「引き際」を見て、何か感じる所はあるのでしょうか。
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2012.09.07 / Top↑
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