速報が流れたのが早朝のNHK。これぞまさに「寝耳に水」ではありました。
なのでタイトルも良いのが思い浮かびませんでした。
石井内野手が今季限りで引退 中国新聞
プロ野球広島の石井琢朗内野手(42)が27日、広島市南区の球団事務所で記者会見し、体力の限界を理由に今季限りで引退することを表明した。「背負っていたものを一気に下ろしたという感じ。悔しさはあるが、気持ちの中で区切りをつけた」と心境を語った。来季以降については未定。
石井は2008年オフ、横浜(現DeNA)から戦力外通告を受け、広島へ移籍。代打や守備固めとして、チームを支えた。今季は打率1割台と不振。7月9日に出場選手登録を抹消され、野手コーチとして1軍に帯同していた。
24年間の選手生活を振り返り、「横浜では選手として、広島では人として成長させてもらった。(コーチとして)僕にできることを最後まで全うしたい」と話した。
石井は1988年に栃木・足利工高からドラフト外で大洋(現DeNA)に入団。92年に投手から内野手に転向。2006年に二千安打を記録した。
今年になってブログ本文の最後に必ず書かれていた「がんばろうカープ」の一行が消えて、ある程度は「時期」が近いなとは思ってました。けど発表の仕方があまりにも唐突過ぎて困ってます。
なかなか頭がまとまらんのでアレですが、個人的に思う所もそもそ。
早くも松田元オーナーは「野球に取り組む姿勢を評価」して、コーチとして残留を要請してるみたいですが、果たしてそれでいいのかな、と。チームリーダー、それこそ「キャプテン」的な存在としてであればそれでいいんだろうけど、果たして「コーチ」にそれを求めていいのか。
まだほんの先日まで「選手」をやってた人。選手の延長でコーチなんか出来んのは、カープの今のコーチングスタッフを見れば誰しもが分かること。仕事として「野球を指導する」立場にある人が、下からの人望だけでコーチになっても、選手にもそのコーチの人にとってもよろしくないんじゃないかな。
要請はありますがあくまで「今後は未定」だそうです。ここはいったんユニフォームを脱いで、楽な立場で、頭を休めながら野球を見る立場になってもいいんじゃないかな、と思います。どっかのテレビ局と専属契約を結び、とかじゃなく、ゲスト解説として色んな所に出向く、とか。
また、別の記事ではありますが、直接の原因はオープン戦での自打球だったとか。
結局その怪我を「病院に行かずに」どうにかしようと思ってたそうで。広島東洋カープの伝統芸でもある「病院には行かず、アイシングで様子を見る」ってやつ。これが完全に「裏目」でしたね。
手っ取り早く言えば「5年前にひざの手術を受けようと思った決断はどこ行った?」と言うか。そもそも40過ぎれば、自分でどうこう出来る身躯体ではないはず。ましてや自打球ってのは昨年、梵君がシーズンを棒に振る事態に陥ることもあるほどの怪我。なぜ治療に踏み切ってくれなかったのか。
石井琢朗が記者会見中「悔いは残る」「辛い」の言葉を使ってましたか、成績云々以前に、怪我の事後処理をきちんとやらなかったことへの「無念」も入ってるんじゃないかなぁ。
それに、若手の手本云々よりも、チームの尻叩き役がおらんようになるのが残念。そして、これまで彼がこなしてた「石井琢朗」を誰が熟すか。この辺りが難しくなってきます。今のカープ内で、若い選手に口やかましく物申せる人間がいるか。これが石井琢朗入団までおらんかったのが問題。
しかしまだお疲れ様、じゃない。ユニフォームを着る限り疲れる事は山ほどある。自分の事より周りをあれやこれやする方が大変ですよ。本人も兼任コーチで解ってるはず。来年からどうされるのかは分かりませんが、よい判断を。そしてこれからも益々のご活躍をお祈りしております。
まぁこの辺りは、わしらがとやかく言う問題じゃない。あの落合博満よりもたくさんヒットを打った偉大なバッターが、悩み抜いて自ら出した結論。拍手で送ってあげましょう。わしらが出来るのは、泣いて縋って「寂しいです辞めないでください」って言うだけじゃないはず。
しかし、同じシーズン途中の発表とは言え、自チームの試合が終わったからてんで、よそが試合をやってるのにもかかわらず引退会見を始めてしまう某チームキャプテンとは配慮が違うな、などと。
あと、ちょっとだけ言わせてもらうなら、堂林のスローイングが、もうちょっと格好がつくまで鍛えてほしいなぁ、それから広島を離れても遅くは無いとも思ったり。
何にしろ、石井琢朗の野球人生、まだまだこれから。
最後に、記者会見の最後の言葉を、カープ公式より(一部省略)
-全国のファンに向けて
特に横浜の20年間というのは選手として育てていただきましたし、カープの4年間というのは人として大きく成長させてもらった4年間なのかなと思っています。本当にカープとしては4年間だけでしたが、横浜の20年間を凌駕する位の内容の濃い4年間であり、いろいろ勉強させてもらうことも多かったです。
余所から来て、こう言い残して身を引こうとする人、初めてです。
以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
なのでタイトルも良いのが思い浮かびませんでした。
石井内野手が今季限りで引退 中国新聞
プロ野球広島の石井琢朗内野手(42)が27日、広島市南区の球団事務所で記者会見し、体力の限界を理由に今季限りで引退することを表明した。「背負っていたものを一気に下ろしたという感じ。悔しさはあるが、気持ちの中で区切りをつけた」と心境を語った。来季以降については未定。
石井は2008年オフ、横浜(現DeNA)から戦力外通告を受け、広島へ移籍。代打や守備固めとして、チームを支えた。今季は打率1割台と不振。7月9日に出場選手登録を抹消され、野手コーチとして1軍に帯同していた。
24年間の選手生活を振り返り、「横浜では選手として、広島では人として成長させてもらった。(コーチとして)僕にできることを最後まで全うしたい」と話した。
石井は1988年に栃木・足利工高からドラフト外で大洋(現DeNA)に入団。92年に投手から内野手に転向。2006年に二千安打を記録した。
今年になってブログ本文の最後に必ず書かれていた「がんばろうカープ」の一行が消えて、ある程度は「時期」が近いなとは思ってました。けど発表の仕方があまりにも唐突過ぎて困ってます。
なかなか頭がまとまらんのでアレですが、個人的に思う所もそもそ。
早くも松田元オーナーは「野球に取り組む姿勢を評価」して、コーチとして残留を要請してるみたいですが、果たしてそれでいいのかな、と。チームリーダー、それこそ「キャプテン」的な存在としてであればそれでいいんだろうけど、果たして「コーチ」にそれを求めていいのか。
まだほんの先日まで「選手」をやってた人。選手の延長でコーチなんか出来んのは、カープの今のコーチングスタッフを見れば誰しもが分かること。仕事として「野球を指導する」立場にある人が、下からの人望だけでコーチになっても、選手にもそのコーチの人にとってもよろしくないんじゃないかな。
要請はありますがあくまで「今後は未定」だそうです。ここはいったんユニフォームを脱いで、楽な立場で、頭を休めながら野球を見る立場になってもいいんじゃないかな、と思います。どっかのテレビ局と専属契約を結び、とかじゃなく、ゲスト解説として色んな所に出向く、とか。
また、別の記事ではありますが、直接の原因はオープン戦での自打球だったとか。
結局その怪我を「病院に行かずに」どうにかしようと思ってたそうで。広島東洋カープの伝統芸でもある「病院には行かず、アイシングで様子を見る」ってやつ。これが完全に「裏目」でしたね。
手っ取り早く言えば「5年前にひざの手術を受けようと思った決断はどこ行った?」と言うか。そもそも40過ぎれば、自分でどうこう出来る身躯体ではないはず。ましてや自打球ってのは昨年、梵君がシーズンを棒に振る事態に陥ることもあるほどの怪我。なぜ治療に踏み切ってくれなかったのか。
石井琢朗が記者会見中「悔いは残る」「辛い」の言葉を使ってましたか、成績云々以前に、怪我の事後処理をきちんとやらなかったことへの「無念」も入ってるんじゃないかなぁ。
それに、若手の手本云々よりも、チームの尻叩き役がおらんようになるのが残念。そして、これまで彼がこなしてた「石井琢朗」を誰が熟すか。この辺りが難しくなってきます。今のカープ内で、若い選手に口やかましく物申せる人間がいるか。これが石井琢朗入団までおらんかったのが問題。
しかしまだお疲れ様、じゃない。ユニフォームを着る限り疲れる事は山ほどある。自分の事より周りをあれやこれやする方が大変ですよ。本人も兼任コーチで解ってるはず。来年からどうされるのかは分かりませんが、よい判断を。そしてこれからも益々のご活躍をお祈りしております。
まぁこの辺りは、わしらがとやかく言う問題じゃない。あの落合博満よりもたくさんヒットを打った偉大なバッターが、悩み抜いて自ら出した結論。拍手で送ってあげましょう。わしらが出来るのは、泣いて縋って「寂しいです辞めないでください」って言うだけじゃないはず。
しかし、同じシーズン途中の発表とは言え、自チームの試合が終わったからてんで、よそが試合をやってるのにもかかわらず引退会見を始めてしまう某チームキャプテンとは配慮が違うな、などと。
あと、ちょっとだけ言わせてもらうなら、堂林のスローイングが、もうちょっと格好がつくまで鍛えてほしいなぁ、それから広島を離れても遅くは無いとも思ったり。
何にしろ、石井琢朗の野球人生、まだまだこれから。
最後に、記者会見の最後の言葉を、カープ公式より(一部省略)
-全国のファンに向けて
特に横浜の20年間というのは選手として育てていただきましたし、カープの4年間というのは人として大きく成長させてもらった4年間なのかなと思っています。本当にカープとしては4年間だけでしたが、横浜の20年間を凌駕する位の内容の濃い4年間であり、いろいろ勉強させてもらうことも多かったです。
余所から来て、こう言い残して身を引こうとする人、初めてです。
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2012.08.27 / Top↑
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