こんな季節に、必ずやってくるスポーツニッポンのこのコーナー
惜別球人
これが来ると「あぁ、もう今年もわりじゃね」などと。
【広島】林が球史に残す1球勝利&1球敗戦
林には「史上○人目」と表される記録が3つある。03年10月12日のヤクルト戦(広島)。1球でプロ初勝利を飾ったのが史上3人目なら、06年6月24日の横浜戦(同)では史上18人目となる1球での敗戦投手となった。1球勝利と1球敗戦…。両方を記録したのは当時、史上2人目(現在は3人)だった。救援投手ならではの勲章と言えた。
「誰かが1球勝利と1球敗戦を記録するたびに、僕の名前が出る。大げさですが、球界に名前を残したのでうれしいです」
上手投げを横手投げに変えた3年目、00年秋が分岐点だった。清川投手コーチ(現オリックス2軍投手コーチ)の指導と本人の努力が実を結び、翌01年5月15日のヤクルト戦(神宮)で初登板。06、07年には60試合前後を投げ、中継ぎとしての地歩を固めた。しかし今季はチーム事情もあって登板が2試合に激減。戦力外通告は覚悟していたという。
11月24日のトライアウトを受験。「現役へのケジメ。1回受けてダメなら次のステップを踏み出しやすいと思って…」。今後は裏方として球団に残る。「未練はない。チームの力になれるよう頑張りたい」。努力の男。第二の人生でも進んで汗を流し、2軍選手を「救援」するつもりだ。
◆林 昌樹投手(はやし・まさき)32歳 14年目。興誠。97年ドラフト3位。最高年俸2200万円(10年)。
▼通算成績 276試合、7勝10敗1セーブ、防御率4・14。
▼思い出 広島市民球場で村田に死球を当て、1球で敗戦投手になった06年6月24日の横浜戦。
▼再出発 球団スタッフ
やはり「2度目」がなかったのは「けじめ」であり「自分自身への介錯」だったみたいですね。あの最後の投球、思い切って投げれたでしょうか。
◆豊田 清投手(とよだ・きよし)40歳 19年目。鈴鹿―同朋大―西武―巨人。92年ドラフト3位。最高年俸2億3000万円(04~06年)。
▼通算成績 558試合、66勝50敗157セーブ、防御率2・99。
▼思い出 日本一に輝いた西武時代の04年10月25日、中日との日本シリーズ最終戦。点差があったので(7―0の9回裏に登板)初めて気楽に楽しんで投げられたこと。
▼再出発 巨人2軍投手コーチ
コーチとしてジャイアンツに戻ってしまいましたが、カープに来て学ぶものはあったかな。出来ることならあと2年、カープで日本人ストッパーが完成するまで、復活するまで見届けて欲しかったですが。
◆宮崎 充登投手(みやざき・みちと)33歳 5年目。智弁和歌山甲―ホンダ鈴鹿。06年大学・社会人ドラフト希望枠。最高年俸1600万円(08年)。
▼通算成績 43試合、4勝11敗0セーブ、防御率5・64。
▼思い出 08年4月2日の阪神戦。移籍した新井さんの背中に死球を当て、広島市民球場の雰囲気が変わったこと。
▼再出発 未定。
こんなことを言うと本人さんに悪いですが、結局「よく分からないまま」の選手でした。と言うよりも、球団が「我慢が出来なかった」と言うのが正しいでしょうね。即戦力で獲得したピッチャーを弄りすぎた典型、になってしまったのは残念です、そのお蔭で彼自身が「わからなく」なったんでしょうね。
ストレートで抑えれるピッチャーに「変化球」を求めてしまったのが最大の原因かと思います。色々試してみて「ダメなら」であれば良かったんですが、入団した年齢がそれを許さんかったんでしょう。
◆川口 盛外投手(かわぐち・たけと)26歳 2年目。静岡高―早大―王子製紙。09年ドラフト6位。最高年俸600万円(10、11年)。
▼通算成績 1軍登板なし。2軍通算32試合、1勝0敗、防御率3・77。
▼思い出 10年4月14日のウエスタン・リーグ阪神戦。高校の時に勝てなかった甲子園で勝てたこと。
▼再出発 現役続行を希望。
かつてタイガースに、西濃運輸から入団した中ノ瀬幸泰と言うピッチャーがいてまして。彼も期待されていたものの、結局4年で引退してしまいました。それ以上の衝撃と言うか何と言うか。
大学は準硬式野球、社会人では硬式野球と、若干異色の経歴ではありますが、それでもたった2年で自由契約にしてしまう、と言うのは、カープの育成能力云々の前に「スカウティング」のどこかにズレが生じてる、としか言いようがないような気もします。これもチームの「焦り」の一端なのかな。
◆マイク・シュルツ投手 32歳 4年目。ロヨラ・メリーマウント大―ダイヤモンドバックス―広島。最高年俸9000万円(11年)。
▼通算成績 158試合、8勝8敗8セーブ、防御率2・55。
▼思い出 ケガで一時は野球を諦めていたのに日本球界に呼んでもらい、成功できたこと。
▼再出発 現役続行を希望。
昨年の椎間板ヘルニアの影響か、それとも監督の好みの問題かは分かりませんが、印象としては「なぜ切った」。しかしその代わりに、岸本君が」頭角を現してくれたのは嬉しいことですが。
カープ外国人選手で、継続して4年間も在籍したのんって、エディ・ディアス以来になるのかな。実績もあるんだし、どっか拾ってもらえませんかね。野村謙二郎監督への当て付けに(笑)。
◆ジオ・アルバラード投手 33歳 2年目。ホセ・パブロ・アビラ高―パイレーツ―ブルワーズ―タイガース―レッズ―エンゼルス―台湾・統一―ドジャース―広島。最高年俸6250万円(11年)。
▼通算成績 38試合、11勝15敗0セーブ、防御率3・46。
▼思い出 ボークの問題を辛抱強く指導してもらい、監督やコーチが我慢強く使ってくれたこと。
▼再出発 日本球界で現役続行を希望。
思い出欄が何か強烈というか何というか。その続きの「我慢強く使ってくれた」。これは日本人選手にもぜひ適用してやって欲しい。なぜ外国人選手を我慢出来て、日本人選手には我慢が出来んのか。
次に出てくるソリアーノともども、外国人選手枠で迷惑をかけた選手。まぁそれだけ不安定だった、と言えばそれまでですが、ソリアーノとどっちをとるか、と言われればアレですねぇ。
◆ディオーニ・ソリアーノ投手 28歳 3年目。セントラル・デル・エステ大―広島東洋カープドミニカアカデミー―中国・広東―四国IL・高知―四国九州IL・長崎―同・徳島―広島。最高年俸700万円(11年)。
▼通算成績 18試合、3勝4敗0セーブ、防御率4・08。
▼思い出 10年10月1日の阪神戦(マツダ)で初勝利を初完封で挙げたこと。
▼再出発 現役続行を希望
もう完全に、外国人選手枠に翻弄されたというても過言じゃないと思います。こんな使い方をするんなら、もういっその事ドミニカアカデミーなんかやめてしもうたほうがいいんじゃないか、とも思いますよ。
以前在籍してたビクトル・マルテもそう。もう「起用法」が、ドミニカアカデミーを潰してしまってる。
アカデミーに「入団させる」時に、どんな口説き文句を使ってるのか知りませんが、こんな途中で投げ出すような育成方法、右も左もわからない日本に連れて来られての不遇。どこかおかしいですよ。誰か一人くらい、野球選手として一人前に育つまで面倒見てみろっていう話。
ソリアーノにしても然り。連れてきて、四国アイランドリーグやらに派遣して経験を積ませておいて、結局満足に使わないというのは、「育成の方針がぶれてる」としか思えない。
◆チャド・トレーシー内野手 31歳 1年目。イーストカロライナ大―ダイヤモンドバックス―カブス―ヤンキース―マーリンズ―広島。最高年俸6600万円(11年)。
▼通算成績 40試合、打率・235、1本塁打、19打点、0盗塁。
▼思い出 悔しいが、ケガなどで自分の打撃ができず、残念な結果に終わってしまったこと。
▼再出発 未定。
ノーコメント。よう分からんまま帰っちゃったし。その後の報告も満足にないし。
◆松田 翔太投手(まつだ・しょうた)21歳 育成3年目。金沢学院東。
▼通算成績 1軍登板なし。2軍通算36試合、1勝2敗、防御率5・51
一番「行く末」が気になるのは彼ですね。ただただもったいない、と言うだけ。
トライアウトで、オーバー、サイド、アンダーと、3種類のフォームを披露しましたが、これってそうそう方に出来るこっちゃないと思います。素人目ながら、これが「センス」と言うもんなんかなぁ、などと。
しかも彼の場合、大野練習場でのテストを受けての入団。そこでもセンスを認められての指名だったので「間違い」はなかったと思います。ただ、それ以降が「失敗」だったと言うことでしょうか。
入団テストは3球団受けたそうで。残りはどこかは分かりませんが、よそに入団してたらどうなってたかなぁ、などと。少なくとも、もう少し体は大きくなってたかも知れません。
昨年の山中達也同様、また高卒での「育成選手」は育てられませんでした。
「選手の育成にかけてはカープが随一」と言われ、その言葉にたがわぬ選手をこれまで「叩き上げ」で輩出してきました。しかしここ数年を見ると、その代名詞はそろそろ返上せんといかんでしょう。
ドラフト1位入団の選手に、何かとおんぶにだっこで、その他はなかなか出てこない。チームが低迷して、何もかもに「焦り」が出て来てるんだろうとは思います。だから外国人選手もとっかえひっかえ。
昔ながらの「胃から汗をかく」ような練習をせぇとは言いません。ただ、もう一度「カープが強くなっていった過程」を勉強し直す必要性はあると思います。それは何も、育成選手の練習方法だけに応用できるもんじゃない。それがチーム全体にできて初めて「底上げ」と偉そうなことを言えるんですよ。
とまぁこの先を書いたらいつも通りグチャグチャになるでやめますが(笑)。
しかし
「再出発未定」の人。プロ野球でいい思い出があったかどうかは分からんけど、まだ「燃えるもの」「燃え尽きてないもの」があるんなら、どっかで、どんな形でもいいから野球は続けてて欲しいな。
今後のご多幸をお祈りします。
以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。
惜別球人
これが来ると「あぁ、もう今年もわりじゃね」などと。
【広島】林が球史に残す1球勝利&1球敗戦
林には「史上○人目」と表される記録が3つある。03年10月12日のヤクルト戦(広島)。1球でプロ初勝利を飾ったのが史上3人目なら、06年6月24日の横浜戦(同)では史上18人目となる1球での敗戦投手となった。1球勝利と1球敗戦…。両方を記録したのは当時、史上2人目(現在は3人)だった。救援投手ならではの勲章と言えた。
「誰かが1球勝利と1球敗戦を記録するたびに、僕の名前が出る。大げさですが、球界に名前を残したのでうれしいです」
上手投げを横手投げに変えた3年目、00年秋が分岐点だった。清川投手コーチ(現オリックス2軍投手コーチ)の指導と本人の努力が実を結び、翌01年5月15日のヤクルト戦(神宮)で初登板。06、07年には60試合前後を投げ、中継ぎとしての地歩を固めた。しかし今季はチーム事情もあって登板が2試合に激減。戦力外通告は覚悟していたという。
11月24日のトライアウトを受験。「現役へのケジメ。1回受けてダメなら次のステップを踏み出しやすいと思って…」。今後は裏方として球団に残る。「未練はない。チームの力になれるよう頑張りたい」。努力の男。第二の人生でも進んで汗を流し、2軍選手を「救援」するつもりだ。
◆林 昌樹投手(はやし・まさき)32歳 14年目。興誠。97年ドラフト3位。最高年俸2200万円(10年)。
▼通算成績 276試合、7勝10敗1セーブ、防御率4・14。
▼思い出 広島市民球場で村田に死球を当て、1球で敗戦投手になった06年6月24日の横浜戦。
▼再出発 球団スタッフ
やはり「2度目」がなかったのは「けじめ」であり「自分自身への介錯」だったみたいですね。あの最後の投球、思い切って投げれたでしょうか。
◆豊田 清投手(とよだ・きよし)40歳 19年目。鈴鹿―同朋大―西武―巨人。92年ドラフト3位。最高年俸2億3000万円(04~06年)。
▼通算成績 558試合、66勝50敗157セーブ、防御率2・99。
▼思い出 日本一に輝いた西武時代の04年10月25日、中日との日本シリーズ最終戦。点差があったので(7―0の9回裏に登板)初めて気楽に楽しんで投げられたこと。
▼再出発 巨人2軍投手コーチ
コーチとしてジャイアンツに戻ってしまいましたが、カープに来て学ぶものはあったかな。出来ることならあと2年、カープで日本人ストッパーが完成するまで、復活するまで見届けて欲しかったですが。
◆宮崎 充登投手(みやざき・みちと)33歳 5年目。智弁和歌山甲―ホンダ鈴鹿。06年大学・社会人ドラフト希望枠。最高年俸1600万円(08年)。
▼通算成績 43試合、4勝11敗0セーブ、防御率5・64。
▼思い出 08年4月2日の阪神戦。移籍した新井さんの背中に死球を当て、広島市民球場の雰囲気が変わったこと。
▼再出発 未定。
こんなことを言うと本人さんに悪いですが、結局「よく分からないまま」の選手でした。と言うよりも、球団が「我慢が出来なかった」と言うのが正しいでしょうね。即戦力で獲得したピッチャーを弄りすぎた典型、になってしまったのは残念です、そのお蔭で彼自身が「わからなく」なったんでしょうね。
ストレートで抑えれるピッチャーに「変化球」を求めてしまったのが最大の原因かと思います。色々試してみて「ダメなら」であれば良かったんですが、入団した年齢がそれを許さんかったんでしょう。
◆川口 盛外投手(かわぐち・たけと)26歳 2年目。静岡高―早大―王子製紙。09年ドラフト6位。最高年俸600万円(10、11年)。
▼通算成績 1軍登板なし。2軍通算32試合、1勝0敗、防御率3・77。
▼思い出 10年4月14日のウエスタン・リーグ阪神戦。高校の時に勝てなかった甲子園で勝てたこと。
▼再出発 現役続行を希望。
かつてタイガースに、西濃運輸から入団した中ノ瀬幸泰と言うピッチャーがいてまして。彼も期待されていたものの、結局4年で引退してしまいました。それ以上の衝撃と言うか何と言うか。
大学は準硬式野球、社会人では硬式野球と、若干異色の経歴ではありますが、それでもたった2年で自由契約にしてしまう、と言うのは、カープの育成能力云々の前に「スカウティング」のどこかにズレが生じてる、としか言いようがないような気もします。これもチームの「焦り」の一端なのかな。
◆マイク・シュルツ投手 32歳 4年目。ロヨラ・メリーマウント大―ダイヤモンドバックス―広島。最高年俸9000万円(11年)。
▼通算成績 158試合、8勝8敗8セーブ、防御率2・55。
▼思い出 ケガで一時は野球を諦めていたのに日本球界に呼んでもらい、成功できたこと。
▼再出発 現役続行を希望。
昨年の椎間板ヘルニアの影響か、それとも監督の好みの問題かは分かりませんが、印象としては「なぜ切った」。しかしその代わりに、岸本君が」頭角を現してくれたのは嬉しいことですが。
カープ外国人選手で、継続して4年間も在籍したのんって、エディ・ディアス以来になるのかな。実績もあるんだし、どっか拾ってもらえませんかね。野村謙二郎監督への当て付けに(笑)。
◆ジオ・アルバラード投手 33歳 2年目。ホセ・パブロ・アビラ高―パイレーツ―ブルワーズ―タイガース―レッズ―エンゼルス―台湾・統一―ドジャース―広島。最高年俸6250万円(11年)。
▼通算成績 38試合、11勝15敗0セーブ、防御率3・46。
▼思い出 ボークの問題を辛抱強く指導してもらい、監督やコーチが我慢強く使ってくれたこと。
▼再出発 日本球界で現役続行を希望。
思い出欄が何か強烈というか何というか。その続きの「我慢強く使ってくれた」。これは日本人選手にもぜひ適用してやって欲しい。なぜ外国人選手を我慢出来て、日本人選手には我慢が出来んのか。
次に出てくるソリアーノともども、外国人選手枠で迷惑をかけた選手。まぁそれだけ不安定だった、と言えばそれまでですが、ソリアーノとどっちをとるか、と言われればアレですねぇ。
◆ディオーニ・ソリアーノ投手 28歳 3年目。セントラル・デル・エステ大―広島東洋カープドミニカアカデミー―中国・広東―四国IL・高知―四国九州IL・長崎―同・徳島―広島。最高年俸700万円(11年)。
▼通算成績 18試合、3勝4敗0セーブ、防御率4・08。
▼思い出 10年10月1日の阪神戦(マツダ)で初勝利を初完封で挙げたこと。
▼再出発 現役続行を希望
もう完全に、外国人選手枠に翻弄されたというても過言じゃないと思います。こんな使い方をするんなら、もういっその事ドミニカアカデミーなんかやめてしもうたほうがいいんじゃないか、とも思いますよ。
以前在籍してたビクトル・マルテもそう。もう「起用法」が、ドミニカアカデミーを潰してしまってる。
アカデミーに「入団させる」時に、どんな口説き文句を使ってるのか知りませんが、こんな途中で投げ出すような育成方法、右も左もわからない日本に連れて来られての不遇。どこかおかしいですよ。誰か一人くらい、野球選手として一人前に育つまで面倒見てみろっていう話。
ソリアーノにしても然り。連れてきて、四国アイランドリーグやらに派遣して経験を積ませておいて、結局満足に使わないというのは、「育成の方針がぶれてる」としか思えない。
◆チャド・トレーシー内野手 31歳 1年目。イーストカロライナ大―ダイヤモンドバックス―カブス―ヤンキース―マーリンズ―広島。最高年俸6600万円(11年)。
▼通算成績 40試合、打率・235、1本塁打、19打点、0盗塁。
▼思い出 悔しいが、ケガなどで自分の打撃ができず、残念な結果に終わってしまったこと。
▼再出発 未定。
ノーコメント。よう分からんまま帰っちゃったし。その後の報告も満足にないし。
◆松田 翔太投手(まつだ・しょうた)21歳 育成3年目。金沢学院東。
▼通算成績 1軍登板なし。2軍通算36試合、1勝2敗、防御率5・51
一番「行く末」が気になるのは彼ですね。ただただもったいない、と言うだけ。
トライアウトで、オーバー、サイド、アンダーと、3種類のフォームを披露しましたが、これってそうそう方に出来るこっちゃないと思います。素人目ながら、これが「センス」と言うもんなんかなぁ、などと。
しかも彼の場合、大野練習場でのテストを受けての入団。そこでもセンスを認められての指名だったので「間違い」はなかったと思います。ただ、それ以降が「失敗」だったと言うことでしょうか。
入団テストは3球団受けたそうで。残りはどこかは分かりませんが、よそに入団してたらどうなってたかなぁ、などと。少なくとも、もう少し体は大きくなってたかも知れません。
昨年の山中達也同様、また高卒での「育成選手」は育てられませんでした。
「選手の育成にかけてはカープが随一」と言われ、その言葉にたがわぬ選手をこれまで「叩き上げ」で輩出してきました。しかしここ数年を見ると、その代名詞はそろそろ返上せんといかんでしょう。
ドラフト1位入団の選手に、何かとおんぶにだっこで、その他はなかなか出てこない。チームが低迷して、何もかもに「焦り」が出て来てるんだろうとは思います。だから外国人選手もとっかえひっかえ。
昔ながらの「胃から汗をかく」ような練習をせぇとは言いません。ただ、もう一度「カープが強くなっていった過程」を勉強し直す必要性はあると思います。それは何も、育成選手の練習方法だけに応用できるもんじゃない。それがチーム全体にできて初めて「底上げ」と偉そうなことを言えるんですよ。
とまぁこの先を書いたらいつも通りグチャグチャになるでやめますが(笑)。
しかし
「再出発未定」の人。プロ野球でいい思い出があったかどうかは分からんけど、まだ「燃えるもの」「燃え尽きてないもの」があるんなら、どっかで、どんな形でもいいから野球は続けてて欲しいな。
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2011.12.16 / Top↑
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