
日が陰れば真冬を思わせる冷え込み。そんな中、1200人の観衆から一際大きな歓声が上がる。「古木!頑張れ!」。ほっともっと神戸(神戸市)で11月24日に行われたプロ野球の合同トライアウト。打席にはかつて横浜、オリックスで活躍した古木克明外野手(31)の姿があった。
異色の球界再挑戦だ。2009年シーズン終了後に自由契約になると、「(違う世界で成功して)野球界を見返したかった」と格闘家に転向。恵まれた体格を生かし、大みそかのイベント「ダイナマイト」にも出場、今年4月には初勝利も挙げた。
格闘家転向当時の心境を「やっと野球から解放されたと思った」と振り返る。1999年、豊田大谷高(愛知)からドラフト1位で入団した<松坂世代>の一人。02年には4番も任され、打率3割2分、9本塁打を記録すると翌年は22本塁打。主軸の道を順調に歩み出したかのように思えたが、課題の守備が向上せず、バットが湿り出すと出番も減った。観客席からの容赦ないヤジに心が折れ「野球が嫌になった」。
しかし、離れてみて始めて、野球への強い思いを知った。「転向後も『あの時はこうできた、こうすれば面白かった』とかばかり考えていた。今から思えば、野球選手のころは、どうでもいいプライドに縛られていた」。今年5月に格闘家を引退。退路を断ち、76キロまで減量した体を90キロに戻して、トライアウトに向けてバットを振り続けてきた。
テストでは6打数1安打。「(プロ通算129勝で元阪神の)下柳剛さんの球にも対応して振れた。前より球がよく見えている」と手応えもつかんだ。プロ野球再転向の批判は覚悟の上。最後まであきらめないし。もし獲得の声がかからなくても、野球にかかわって生きたい」
しつこいようですが
バファローズの旧ユニは、辞めた時のんをそのまま持って来たからまぁええとして、
マリーンズのヘルメットはドコで入手したんだよって話(笑)。
それよりも何よりも。
ここで記述した、選手の各成績。これは、ピッチャーは登板した順番、バッターは、守備位置等の都合で、若干前後した所もありますが、打席に立った順番で書いてます。
誰が決めたのかは分かりませんが、古木は3番目。成績こそ芳しくありませんでしたが、最後の打席のセンターライナーは、かなり鋭い打球でした。
で、本文中の「(違う世界で成功して)野球界を見返したかった」
シロウトが言うのもアレですが、ナニをするにもやっぱり、まったく違う世界では絶対に見返せんと思いますよ。せいぜい「お、頑張ってるな」程度のもんじゃないでしょうか。
カープの東出君が、フリーエージェント云々の話になった時の、後々のテレビ番組のインタビュー(とは言うものの、車を運転しながらの雑談の中)で、「僕も以前はいろいろ言われましたからねぇ」としみじみ語ってたのを思い出しました。
彼も、入団当時は慣れないショートの守備でアレコレ言われてました。それで自暴自棄になったんでしょうね。それからよく立ち直ったと思いますが。
野球でアレコレ言われたんならやっぱり、野球で見返す事ですよ。自ら「引退」して転向したんならともかく、「野球でもう一度」と思わんかったんかな。自由契約後にはトライアウトも受けてたみたいですが、何も格闘技に走らんでも良かったんじゃないかと。
まぁ人それぞれですが。
こんな事を言うのもアレですが、ど突きど突かれ蹴り蹴られ、丸々2年かかってようやく「思い直した」と言うか「改めて野球に目覚めた」と言ったところでしょうか。
未だに彼に声をかける球団は今の所、出てきてません。
ただ、ここで声がかからんような事になっても、せっかく「野球」に戻ってきたんだから、それこそ「もうええわ」と自分で思えるまで野球を続けていただきたいものです。
別にプロ野球にこだわらんでももええやないですか。社会人野球とかでも、続ければ、また新しい喜びや楽しみが出来てくると思いますよ。
「ダイナマイト」にも関わってたアントニオ猪木が言うてたじゃないですか。
元気があれば何でも出来る!
しかし、デッドボールとかで乱闘になった時は、先頭で走ってきそうで怖いです(笑)。
今年の12球団合同トライアウト2回目は次の月曜日12月5日月曜日。場所はQVCマリンフィールド(未だに言い慣れません)。古木は出場するんでしょうか。
以下、どれでもクリックして頂ければ是幸い。これからの励みになります。


2011.12.02 / Top↑
| Home |