2020年のプロ野球・セントラルリーグは、読売ジャイアンツの2年連続47回目のリーグ優勝となりました。めでたしめでたし、と書けば「お前はジャイアンツファンか?」などと言われそうですが、めでたしめでたし、と言わざるを得ないくらい、本当に今年のジャイアンツは、何もかもが強かったです。他の5球団はただただ「ごめんなさい参りました」としか言い様がないんではないでしょうか。
キャリアが浅かろうが、使えると思った選手はどんどん起用する原辰徳監督。それだけでなく、その選手が誰の目にも明らかな活躍をする。この辺は原辰徳監督と言う「人の目」そして、阿部慎之介二軍監督との「連携」から生み出された、試合だけではない「チームワーク」の賜物かと思います。
そして、今年は7月25日(だったかな)i以降、勝率5割に届かぬままだった広島東洋カープなんですが、そもそも今シーズンの惨敗の原因って何だったんでしょうか。根源は、昨年10月1日に辞任を発表した緒方孝市前監督にもあろうかと思います。こじつけになるかも知れませんが。
カープの一軍監督と言うのは、表面的には1年契約ながらも、だいたい5年くらいで交代しています。この「5年」と言う数字に何の根拠があるのかまてまは分かりませんが、チームのリフレッシュ、と言うのもあるのかも知れません。ただ、セントラルリーグ三連覇を達成した監督の末路としてはあまりにも無責任な辞め方「今年は負けた、もう無理。あとは知ったこっちゃない」ようにも見えました。
三連覇メンバーは、二軍で長い間汗をかいてきた顔ぶればかり。年齢的にもスポーツ選手として、プロ野球選手として、実力を遺憾なく発揮出来る時期に、セントラルリーグで一番になりました。そして蓄積されたモノは三年間維持出来ました。けど残念ながら緒方孝市前監督は、そのメンバーに拘り過ぎたが故に昨年、負けてしまった。勝っているうちに「次」を見据えた選手起用を怠ってしまった。
その象徴が、昨年限りで現役を引退した庄司隼人(現・スコアラー)と、一昨年で現役を退いた土生翔平(現・スコアラー)。年齢的にも中堅どころ。二軍で穴が空くほど見てきましたが、末期は両選手とも、ほぼ二軍ではやる事がなくなって来てた。しかしながらほとんど一軍に呼ばれる事なく終わってしまいました。起用する機会は幾らでもあっはた筈なのに、前監督は優勝メンバーに拘った。
そして、優勝メンバーが年齢的に中堅になろうとする頃、そのすぐ下になるであろう選手を次々に戦力外にした結果、二軍は完全に「ゼロからの育成」になってしまった。「育成のカープ」とは言いますが、次々に選手が出て来るわけではなかった。言わば「供給停止」の状態に陥ってしまった。
セントラルリーグ三連覇と言う形で、二十数年試行錯誤を繰り返した「選手育成の方法」は結実したとは思いますが、残念ながらそれを継続する力が、今のカープにはまだまだ備わっていなかった。もちろん、これまでとは持っているものが違う選手が入ってきてるわけですから、もしかしたら鍛え方も大きく変わるでしょうし、後述しますが、コーチ陣も「入れ替えてしまいました」からね。
選手育成の基本は出来たと思うんです。ただ残念な事に、それを応用しようとする力量がまだカープにはない。それを真似て発展させ、強くなったのが、福岡ソフトバンクホークスではないでしょうかね。
ホークスは、本当に選手の育成と強化に、上手にお金を遣ってます。いっぺんだけ「タマホームスタジアム筑後」に観戦に行きましたが、とても二軍や三軍の使用する施設とは思えない「プロフェッショナルの環境」でした。ホークス球団の「さぁ、球団はこれだけの設備を整えましたよ、これで思う存分練習、出来ますよね?」と言う、選手への無言の檄、みたいなのを見て取る事が出来ました。
三軍までもがしっかり「チーム」として稼働しています。選手を鍛えるのは三軍で、そして「一軍予備軍」としての二軍。ホークスが今シーズン終盤12連勝しましたが、数年前のウエスタンリーグでよく見られた光景。その頃二軍の主力だった選手が今や堂々と「ホークスの顔」になっている。
かたやカープと言えば、ここ数年でやった事と言えば、マツダスタジアム前に屋内練習場を造った、由宇練習場のスコアボードが電光掲示になった、程度。もう完全に、選手育成環境に関しては他球団に大きく遅れをとってる。基礎は作れど応用が出来ない。繰り返しになりますが、二十数年かけて確固たる基礎は出来たけど、それを現場もフロントも、応用するに至ってない。残念ですが。
さらには今シーズン、これまで育成の基礎を作り上げた朝山東洋、澤崎俊和、倉義和らのコーチ陣を、何を思ったのか一軍に昇格「させてしまった」。この時点で「あー、2020年は勝てんかもなー」年ら思いましたよ。これまで、選手の育成に尽力してきたメンツではあるけど、そんなコーチ陣がいざ「勝ちを求められるペナントレース」に挑んだところで、まともな成績をあげられるか。そして結局、どうしたらいいのか分からぬままシーズンに臨んだようにも思えます。そして結果は現状5位。
新型コロナウイルス感染症の影響で、開幕が約3か月繰り下げられた。その間に、練習はままならなかったとは思いますが、幾らでもコーチとしての勉強、選手への指示などは出来たはず。昨年、リリーフで活躍した遠藤敦志など、先発として使いたいのであれば、生活のリズム、試合に入る為のルーティンワークなど、しっかり学習させるべきだった。どうみてもシーズン序盤は、ただ漠然と、最初に投げてただけ、のような内容でした。終盤戦になるとしっかり役割を果たしてましたが。
攻撃に関しても酷いものでした。ドラゴンズの左腕エース・大野雄大投手の攻略法として最たるモノが「スタメン全員右バッター」。もう愚の骨頂。スコアラーが収集してきたデータを見ているのかいないのか。スコアラーさんはじめ裏方さんとの連携すら取れてないんじゃないか、と思うような試合も多々ありました。タイガース・西勇輝にも徹底的にやられましたね。データの分析はやってるのかな。
そして、一番の敗因は「勝てば選手の手柄、敗けは監督の責任」佐々岡真司監督ですよ。
昨年の監督就任以来、こんな結果になるのはある程度予測は出来ました。投手陣再整備の任を託され、一軍投手コーチからの「昇格」とは言うものの、昨年一年間で、三連覇中に頑張って投げてくれた、今村猛や一岡竜司、中﨑翔太などを叩き潰して、リリーフ陣を完全に焼け野原にしてしまった張本人が、急な事とは言え、監督に就任した、と言うかフロントがさせてしまったんですから。
大瀬良大地、クリス・ジョンソン、果ては野村祐輔までもが離脱してしまった先発投手陣。「下に誰もいないから仕方なし」の床田寛樹、昨年リリーフで成績を残したものの、スターターとしては未知数の遠藤敦志。頼みの綱が新人の森下暢仁だけと言う悲惨な状況。
「勝ちパターン」は信用しませんが、あまりにも行き当たりばったりなリリーフ投手の投入。1イニング良ければ「さぁ次のイニングも」てんで回を跨がせて悲惨な目に遭った事が今シーズン何回あったか。1イニング三者凡退で終わったなら、次の試合もよい感触で入れる筈なのに、変にイニング跨ぎをさせて滅多打ちにあって、意気消沈したままマウンドを降りる。心が疲弊してしまいますよ。
さらにはそれに対して、まるで自身に責任はない、かの如く、「〇〇ガー△△ガー」と、新聞紙上で名指しで苦言を呈する。ご自身が現役時代、先発でもリリーフでも結果を残してきた選手だけに、不甲斐なく思うのは致し方ないけど、そこを我慢するのも監督の器量のはず。少なくとも今シーズンの「苦言」を見る限り、佐々岡監督にはプロ野球チームの監督以前に「管理責任者としての資質がない」としか思えませんでした。選手は形はどうあれ、新聞記事は見てますよ。そこまで考えてたのかな。
不甲斐ないと思うのは幾ら思っても構いません。ただそれを、選手が見える所見る所には絶対に吐き出しちゃいけない。本人には見えない所で言っといて、表では澄ました顔をしておけばいいのに、それが出来なかった。これは佐々岡監督だけではない。今シーズンのカープ首脳陣全員に言えた事。
他球団では、5年間横浜DeNAベイスターズの指揮を執ったアレックス・ラミレス監督の退任など、選手だけでなく監督の動向もぼちぼち発表になってます。が、おそらく就任1年目の佐々岡真司監督は「一年目だけどよくってくれた」てんで、従来のカープ球団の慣例通り、来年も続投となるでしょう。
しかしながら、本気で来シーズンも指揮を執る、執りたいのであれば、まずはご自身が大いに反省していただきたい。新型コロナウイルス感染症mの影響で、今年は120試合でシーズンが終わりますが、おそらく来年は、143試合行われるでしょう。今年よりも長丁場になります。今年みたいな投手起用をしていると、投手陣だけでなく、チーム全体が焼け野原になってしまう。
あと、個人的に思うのは、試合中のシート変更は用心深くやって欲しいんです。今シーズンよく見られたのが、松山竜平を試合終盤に下げて、堂林翔太をサードからファーストへ、と言うやつ。ファーストって、内野手からの送球を「絶対にキャッチしなければいけない」重要なポジションのはず。今シーズン、どっかの試合でありましたよね、ヘロニモ・フランスアの牽制球を捕れなかった、てやつ。
松山竜平じゃダメだ、とは言いませんが、ファーストってのは「立ってればいい」ポジションじゃない。それ以上にどのポジションも「タラレバ」ポジションは絶対にない。もっと言わせてもらうなら「ディフェンス強化」は投手陣を整備すればいい、ってもんじゃない。いつまでも菊池涼介のスーパープレイに頼っている場合じゃない。チーム成績、チーム防御率だけでなく、失策も5位なんですよ。ショートやサードからのワンバウンドの送球を、アウトにするもエラーにするも、ファースト守備の出来如何。
弱くなってしまったチームですから、やらねばいかんことは山積です。そして、そのやってきた事に対して最終的な責任を取らなければいかんのは監督です。それを肝に命じて欲しいです。
三連覇の頃は、マスコミその他「カープ黄金時代」を叫ぶ人が多く見られました。過去には読売ジャイアンツしか成し得てない偉業ですから、素晴らしい事です。しかしその読売ジャイアンツはここ10年、常に勝ち越しています。これくらいやらないと、とても「黄金時代」とは恥ずかしくて言えません。
キャリアが浅かろうが、使えると思った選手はどんどん起用する原辰徳監督。それだけでなく、その選手が誰の目にも明らかな活躍をする。この辺は原辰徳監督と言う「人の目」そして、阿部慎之介二軍監督との「連携」から生み出された、試合だけではない「チームワーク」の賜物かと思います。
そして、今年は7月25日(だったかな)i以降、勝率5割に届かぬままだった広島東洋カープなんですが、そもそも今シーズンの惨敗の原因って何だったんでしょうか。根源は、昨年10月1日に辞任を発表した緒方孝市前監督にもあろうかと思います。こじつけになるかも知れませんが。
カープの一軍監督と言うのは、表面的には1年契約ながらも、だいたい5年くらいで交代しています。この「5年」と言う数字に何の根拠があるのかまてまは分かりませんが、チームのリフレッシュ、と言うのもあるのかも知れません。ただ、セントラルリーグ三連覇を達成した監督の末路としてはあまりにも無責任な辞め方「今年は負けた、もう無理。あとは知ったこっちゃない」ようにも見えました。
三連覇メンバーは、二軍で長い間汗をかいてきた顔ぶればかり。年齢的にもスポーツ選手として、プロ野球選手として、実力を遺憾なく発揮出来る時期に、セントラルリーグで一番になりました。そして蓄積されたモノは三年間維持出来ました。けど残念ながら緒方孝市前監督は、そのメンバーに拘り過ぎたが故に昨年、負けてしまった。勝っているうちに「次」を見据えた選手起用を怠ってしまった。
その象徴が、昨年限りで現役を引退した庄司隼人(現・スコアラー)と、一昨年で現役を退いた土生翔平(現・スコアラー)。年齢的にも中堅どころ。二軍で穴が空くほど見てきましたが、末期は両選手とも、ほぼ二軍ではやる事がなくなって来てた。しかしながらほとんど一軍に呼ばれる事なく終わってしまいました。起用する機会は幾らでもあっはた筈なのに、前監督は優勝メンバーに拘った。
そして、優勝メンバーが年齢的に中堅になろうとする頃、そのすぐ下になるであろう選手を次々に戦力外にした結果、二軍は完全に「ゼロからの育成」になってしまった。「育成のカープ」とは言いますが、次々に選手が出て来るわけではなかった。言わば「供給停止」の状態に陥ってしまった。
セントラルリーグ三連覇と言う形で、二十数年試行錯誤を繰り返した「選手育成の方法」は結実したとは思いますが、残念ながらそれを継続する力が、今のカープにはまだまだ備わっていなかった。もちろん、これまでとは持っているものが違う選手が入ってきてるわけですから、もしかしたら鍛え方も大きく変わるでしょうし、後述しますが、コーチ陣も「入れ替えてしまいました」からね。
選手育成の基本は出来たと思うんです。ただ残念な事に、それを応用しようとする力量がまだカープにはない。それを真似て発展させ、強くなったのが、福岡ソフトバンクホークスではないでしょうかね。
ホークスは、本当に選手の育成と強化に、上手にお金を遣ってます。いっぺんだけ「タマホームスタジアム筑後」に観戦に行きましたが、とても二軍や三軍の使用する施設とは思えない「プロフェッショナルの環境」でした。ホークス球団の「さぁ、球団はこれだけの設備を整えましたよ、これで思う存分練習、出来ますよね?」と言う、選手への無言の檄、みたいなのを見て取る事が出来ました。
三軍までもがしっかり「チーム」として稼働しています。選手を鍛えるのは三軍で、そして「一軍予備軍」としての二軍。ホークスが今シーズン終盤12連勝しましたが、数年前のウエスタンリーグでよく見られた光景。その頃二軍の主力だった選手が今や堂々と「ホークスの顔」になっている。
かたやカープと言えば、ここ数年でやった事と言えば、マツダスタジアム前に屋内練習場を造った、由宇練習場のスコアボードが電光掲示になった、程度。もう完全に、選手育成環境に関しては他球団に大きく遅れをとってる。基礎は作れど応用が出来ない。繰り返しになりますが、二十数年かけて確固たる基礎は出来たけど、それを現場もフロントも、応用するに至ってない。残念ですが。
さらには今シーズン、これまで育成の基礎を作り上げた朝山東洋、澤崎俊和、倉義和らのコーチ陣を、何を思ったのか一軍に昇格「させてしまった」。この時点で「あー、2020年は勝てんかもなー」年ら思いましたよ。これまで、選手の育成に尽力してきたメンツではあるけど、そんなコーチ陣がいざ「勝ちを求められるペナントレース」に挑んだところで、まともな成績をあげられるか。そして結局、どうしたらいいのか分からぬままシーズンに臨んだようにも思えます。そして結果は現状5位。
新型コロナウイルス感染症の影響で、開幕が約3か月繰り下げられた。その間に、練習はままならなかったとは思いますが、幾らでもコーチとしての勉強、選手への指示などは出来たはず。昨年、リリーフで活躍した遠藤敦志など、先発として使いたいのであれば、生活のリズム、試合に入る為のルーティンワークなど、しっかり学習させるべきだった。どうみてもシーズン序盤は、ただ漠然と、最初に投げてただけ、のような内容でした。終盤戦になるとしっかり役割を果たしてましたが。
攻撃に関しても酷いものでした。ドラゴンズの左腕エース・大野雄大投手の攻略法として最たるモノが「スタメン全員右バッター」。もう愚の骨頂。スコアラーが収集してきたデータを見ているのかいないのか。スコアラーさんはじめ裏方さんとの連携すら取れてないんじゃないか、と思うような試合も多々ありました。タイガース・西勇輝にも徹底的にやられましたね。データの分析はやってるのかな。
そして、一番の敗因は「勝てば選手の手柄、敗けは監督の責任」佐々岡真司監督ですよ。
昨年の監督就任以来、こんな結果になるのはある程度予測は出来ました。投手陣再整備の任を託され、一軍投手コーチからの「昇格」とは言うものの、昨年一年間で、三連覇中に頑張って投げてくれた、今村猛や一岡竜司、中﨑翔太などを叩き潰して、リリーフ陣を完全に焼け野原にしてしまった張本人が、急な事とは言え、監督に就任した、と言うかフロントがさせてしまったんですから。
大瀬良大地、クリス・ジョンソン、果ては野村祐輔までもが離脱してしまった先発投手陣。「下に誰もいないから仕方なし」の床田寛樹、昨年リリーフで成績を残したものの、スターターとしては未知数の遠藤敦志。頼みの綱が新人の森下暢仁だけと言う悲惨な状況。
「勝ちパターン」は信用しませんが、あまりにも行き当たりばったりなリリーフ投手の投入。1イニング良ければ「さぁ次のイニングも」てんで回を跨がせて悲惨な目に遭った事が今シーズン何回あったか。1イニング三者凡退で終わったなら、次の試合もよい感触で入れる筈なのに、変にイニング跨ぎをさせて滅多打ちにあって、意気消沈したままマウンドを降りる。心が疲弊してしまいますよ。
さらにはそれに対して、まるで自身に責任はない、かの如く、「〇〇ガー△△ガー」と、新聞紙上で名指しで苦言を呈する。ご自身が現役時代、先発でもリリーフでも結果を残してきた選手だけに、不甲斐なく思うのは致し方ないけど、そこを我慢するのも監督の器量のはず。少なくとも今シーズンの「苦言」を見る限り、佐々岡監督にはプロ野球チームの監督以前に「管理責任者としての資質がない」としか思えませんでした。選手は形はどうあれ、新聞記事は見てますよ。そこまで考えてたのかな。
不甲斐ないと思うのは幾ら思っても構いません。ただそれを、選手が見える所見る所には絶対に吐き出しちゃいけない。本人には見えない所で言っといて、表では澄ました顔をしておけばいいのに、それが出来なかった。これは佐々岡監督だけではない。今シーズンのカープ首脳陣全員に言えた事。
他球団では、5年間横浜DeNAベイスターズの指揮を執ったアレックス・ラミレス監督の退任など、選手だけでなく監督の動向もぼちぼち発表になってます。が、おそらく就任1年目の佐々岡真司監督は「一年目だけどよくってくれた」てんで、従来のカープ球団の慣例通り、来年も続投となるでしょう。
しかしながら、本気で来シーズンも指揮を執る、執りたいのであれば、まずはご自身が大いに反省していただきたい。新型コロナウイルス感染症mの影響で、今年は120試合でシーズンが終わりますが、おそらく来年は、143試合行われるでしょう。今年よりも長丁場になります。今年みたいな投手起用をしていると、投手陣だけでなく、チーム全体が焼け野原になってしまう。
あと、個人的に思うのは、試合中のシート変更は用心深くやって欲しいんです。今シーズンよく見られたのが、松山竜平を試合終盤に下げて、堂林翔太をサードからファーストへ、と言うやつ。ファーストって、内野手からの送球を「絶対にキャッチしなければいけない」重要なポジションのはず。今シーズン、どっかの試合でありましたよね、ヘロニモ・フランスアの牽制球を捕れなかった、てやつ。
松山竜平じゃダメだ、とは言いませんが、ファーストってのは「立ってればいい」ポジションじゃない。それ以上にどのポジションも「タラレバ」ポジションは絶対にない。もっと言わせてもらうなら「ディフェンス強化」は投手陣を整備すればいい、ってもんじゃない。いつまでも菊池涼介のスーパープレイに頼っている場合じゃない。チーム成績、チーム防御率だけでなく、失策も5位なんですよ。ショートやサードからのワンバウンドの送球を、アウトにするもエラーにするも、ファースト守備の出来如何。
弱くなってしまったチームですから、やらねばいかんことは山積です。そして、そのやってきた事に対して最終的な責任を取らなければいかんのは監督です。それを肝に命じて欲しいです。
三連覇の頃は、マスコミその他「カープ黄金時代」を叫ぶ人が多く見られました。過去には読売ジャイアンツしか成し得てない偉業ですから、素晴らしい事です。しかしその読売ジャイアンツはここ10年、常に勝ち越しています。これくらいやらないと、とても「黄金時代」とは恥ずかしくて言えません。
2020.11.02 / Top↑
さて、5月8日の「サイクリング」の続きです。ここからは幹線道路を、近鉄南大阪線の線路を見ながら走ると言う状態。何らかの路地に踏切があれば覗いて、良さげなのが撮れそうならしばし滞在、を繰り返しながら、羽曳野市にある古市駅を目指しての、行き当たりばったりサイクリングです。
ここまでは松原市内ばかりでしたが、この先は少し市境が入り乱れ、恵我ノ荘駅・高鷲駅は羽曳野市、藤井寺駅~道明寺駅は藤井寺市、古市駅は再び羽曳野市となります。もっとも、自転車で走り回っていると、山を越えたりしない限り実感はないかと思われます。

さっそうと河内松原駅前を通過します。線路沿いの府道12号線を走ると、道路が南大阪線の線路より幾らか高くなる地点があります。歩道はすれ違いが出来るくらい広めですが、行き交う人は多いので、自転車はガードレールにガッチガチに寄せて停めた方がよいかと思われます。

準急以下の列車が停車の為減速しますので、標準レンズで余裕を持って撮影する事が出来ます。とは言うものの、タイミングよく特急が来るわけではないので、ここも「撮れますよ」程度。

さらに進むと、線路敷のフェンスがものすごく低く、ほぼ腰の高さくらいになっている箇所を発見しました。左手には大阪府立大塚高校のグラウンド、奥に見えている道路橋は「阪和自動車道」です。



架線柱などの回避の為の立ち位置を考えれば、目立つ障害物も一切ありませんし、もっと良い画像がが気楽に撮れると思います。何よりも、標準レンズで十分対処出来るのがありがたいです。


家並みの隙間に見え隠れする架線柱を見ながら羽曳野市に突入し恵我ノ荘駅前を通過。東除川を渡って広めの道路に出た所で、JA大阪南高鷲支店のある交差点の奥に、踏切を見つけました。



「恵我ノ荘第二号踏切」。車道と歩行者用がほぼ同じ幅になっています。東側西側ともに、かなりの急カーブになっていますが、残念ながら上り電車の迎え撃ちは、系電機器箱などがあって、踏切に立つと「何が来たのか」すら分からない状態になっています。


上り列車は、何が何両で来るか全く分からない、と言う致命的ハンディキャップはありますが、阿部野橋方面のカーブは、架線柱さえ気を付ければ6両編成は入ると思います。



ラッシュ時間帯から撮影して回ってますが、今回は珍しく「被り」が一切ないままでした。

高鷲駅前を通過して、すぐ東側にある「高鷲第一号踏切」にやってきました。藤井寺駅を発車した電車が、やや左カーブを描きながらの勾配の途中の踏切。すぐ東側に「第二号踏切」があります。




下り電車は後追いになりますが、どうしても第二号踏切の障害検知器がど真ん中に来てしまう、と言う状態になる事が発覚。あるモノは気になりませんが、これだけ堂々と被ると頭は痛いです。


「高鷲第二号踏切」。このすぐ東側は藤井寺市になります。



準急以下の列車は藤井寺駅に停車するので、かなり低速での通過です。ちなみに時間は13時すぎ。この時間帯、特急は1時間に1本なので、なかなかうまい具合に当たりません。

恵我ノ荘駅と高鷲駅は、羽曳野市北部に当たります。南大阪線は羽曳野市を抜け、藤井寺市へ。

藤井寺球場の跡地には「四天王寺小学校・四天王寺東中学校・高校」が建ちました。当時を偲ばせるモノはものの見事に何もなく、僅かに「バッファくん」の記念モニュメントがあるだけ。大阪スタヂアム(大阪球場)もそうですが、もう少し「残し方」はあったと思うんですけどねぇ。


藤井寺駅の先に「第〇号」踏切は幾つかあります。幾つか回ってはみましたが、ピンと来るものはなく、まず腰を据えたのは「藤井寺第五号踏切」。奥に見えている森は「仲津山古墳」です。藤井寺駅方は直線ですが、古市駅方は、軽い下り勾配の急カーブになっています。かつてこの付近には「応神御陵前駅(1945年休止、1974年廃止)」があったそうです。



上り電車の迎え撃ち、下り電車の迎え撃ちと後追い、くらいしか出来ません。やはりここでも6両編成がいっぱいいっぱい。南大阪線のこの区間どこもそうですが、沿線に住宅が建ち並んでいるので、これが限度と思われます。なお「超望遠レンズ」は全く必要ありません。レンズキットで十分。


ここからは土師ノ里駅に向けて勾配が続きます。第五号踏切付近のカーブの、もう一方の「端」が「藤井寺第六号踏切」になります。住宅街の中の踏切なので、やや行きにくいかも知れません。



もう少し手前に寄せれば、阿部野橋行は6両すっぽり収まると思います。下り電車はまず無理ですの。3枚目の画像に踏切が写っていますが、これはその先の「第七号踏切」です。行ってみましょう。



で、行ってみたはいいんですが、第七号踏切の手前にあったのは「澤田八幡神社」。もろに境内の中を線路が走っています。これは大正時代に近鉄電車の前身「大阪鉄道」が、付近の集落を避けて仲津山古墳に沿って軌道を敷設した事によるもの。本殿はもちろん「線路の向こう側」になります。




下り電車は沿線の設備の影響で、迎え撃ちは出来ません。後追いも、電車が踏切を通過して遮断機が上がった後。かなりな急勾配なので速度は遅いですが、遅い分、遮断機が上がるのも遅いです。


さらに東側の「藤井寺第八号踏切」。阿部野橋行は下り勾配、古市方面は急な右カーブ。



この付近は、土師ノ里駅を頂点にした、ちょっとした峠になっている上、警報器・遮断機はありますが、こうやって小さな踏切も連続し、さらに見通しが悪いせいか、特急・急行はじめ全列車ともそんなにスピードは出しません。車輪を軋ませながらの走行になります。


藤井寺第九号踏切。このすぐ東側は土師ノ里駅です。





駅間もさして長くなく、前後の見通しが悪い、小さな踏切も多く急カーブ急勾配の連続。とても大阪市内から30分の通勤圏とは思えない電車の「遅さ」。古市駅から藤井寺駅にかけて、地図上ではかなり大回りをしていますが、やはりこれは古墳群や史跡を避けて鉄道を敷設した結果なんでしょうか。


土師ノ里駅を過ぎて、道明寺駅に至る下り勾配の途中に「土師ノ里第一号踏切」があります。




道明寺駅方のカーブでは4~6両編成は収まりますが、少し遠いので、やや迫力には欠けます。


道明寺駅のすぐ北側「土師ノ里第三号」にまでやってきました。もう完全に電車巡りと言うよりも「踏切巡り」になっています。土師ノ里駅からの勾配のふもとになります。ようやく平地です。






道明寺駅を発車してカーブを曲がって勾配に向かう、またその逆もじっくり観察出来ます。こんな線路状況なので、スピードは至って遅いです。が、やはりこの辺の市場は独占状態なので、「振り子電車」の計画でも出ぬ限り、当分はこのままだとは思います。


お昼寝から目覚めた26000系「さくらライナー」が午後の運用に入っていました。


土師ノ里第三号踏切でのラストカット。


土師ノ里第三号踏切離脱は15:30。日も長くなってまいりました、とは言うものの、撮影には不向きな時間帯が近付いてると言う事で、航空写真だけで「ここ」と決めた(それいいのか?)道明寺~古市間の畑の中の「道明寺第六号踏切」へ。一緒に写っているのは私の愛車です。




ここはもう、踏切北側の左カーブのみ、でも十分ではないかと思います。周囲に高い建物も一切なく、長閑な風景の中を電車は走ります。ある種一番南大阪線らしい沿線風景ではないかと思います。


この日一日、幾度となくお目にかかった16000系。残す所10両となり、先が見えてきましたが、出来る事なら引退直前には、登場当時の「オレンジに濃紺」に戻してもらえんでしょうか。


羽曳野市市街地の中に小さな踏切が二つ。「道明寺第七号踏切」と「同・第八号踏切」。隣接しているので、警報器の鳴り始め、遮断機の上げ下げのタイミングは全く一緒となっています。かつてこの付近には「誉田八幡駅(1945年休止、1974年廃止)」があったそうです。



隣接した踏切なので、どちらからどう撮影しようがあまり変わらないような気もします。


ラストです。古市駅北側、もうホームが見える所にある「道明寺第十号踏切」。




古市駅に到着・入線・出発・通過する列車をじっくり撮影する事が出来ます。


朝の8両編成特急の先頭に立っていた、南大阪線では2両しかない16010系。結局この日は朝から夕方までせっせと働いていました。もう少し我慢すれば、日常は戻って来るはず。お客さん満載で走れる日もすぐそこのはず。今は頑張る時期ではなく、節制と我慢の時期、と思っています。

この踏切をもちまして、この日の予想していた予定は終了しました。もう少し早起き出来てたら、もう少し時間をかけて回れたような気もしますが、せっかく自転車と言う「路地裏まで駆使出来る機動力」があるので「どうせならあそこもここも行っておこうかな」になった次第。

走行距離は38.1km、走行時間は2時間32分。ちょっと遅めのマラソンランナーと言ったところでしょうか。もちろん合間合間に「撮り鉄」を挟んでの記録なので、何の参考にもなりませんが。
いずれは明確な目的地を決めて、そこまでどれだけの数値で走る事が出来るか。ただの運動の一環ではありますが、野球が再開されるまでのある程度の「目標」みたいなモノは出来ました。
ここまでは松原市内ばかりでしたが、この先は少し市境が入り乱れ、恵我ノ荘駅・高鷲駅は羽曳野市、藤井寺駅~道明寺駅は藤井寺市、古市駅は再び羽曳野市となります。もっとも、自転車で走り回っていると、山を越えたりしない限り実感はないかと思われます。


さっそうと河内松原駅前を通過します。線路沿いの府道12号線を走ると、道路が南大阪線の線路より幾らか高くなる地点があります。歩道はすれ違いが出来るくらい広めですが、行き交う人は多いので、自転車はガードレールにガッチガチに寄せて停めた方がよいかと思われます。


準急以下の列車が停車の為減速しますので、標準レンズで余裕を持って撮影する事が出来ます。とは言うものの、タイミングよく特急が来るわけではないので、ここも「撮れますよ」程度。


さらに進むと、線路敷のフェンスがものすごく低く、ほぼ腰の高さくらいになっている箇所を発見しました。左手には大阪府立大塚高校のグラウンド、奥に見えている道路橋は「阪和自動車道」です。






架線柱などの回避の為の立ち位置を考えれば、目立つ障害物も一切ありませんし、もっと良い画像がが気楽に撮れると思います。何よりも、標準レンズで十分対処出来るのがありがたいです。




家並みの隙間に見え隠れする架線柱を見ながら羽曳野市に突入し恵我ノ荘駅前を通過。東除川を渡って広めの道路に出た所で、JA大阪南高鷲支店のある交差点の奥に、踏切を見つけました。






「恵我ノ荘第二号踏切」。車道と歩行者用がほぼ同じ幅になっています。東側西側ともに、かなりの急カーブになっていますが、残念ながら上り電車の迎え撃ちは、系電機器箱などがあって、踏切に立つと「何が来たのか」すら分からない状態になっています。




上り列車は、何が何両で来るか全く分からない、と言う致命的ハンディキャップはありますが、阿部野橋方面のカーブは、架線柱さえ気を付ければ6両編成は入ると思います。






ラッシュ時間帯から撮影して回ってますが、今回は珍しく「被り」が一切ないままでした。


高鷲駅前を通過して、すぐ東側にある「高鷲第一号踏切」にやってきました。藤井寺駅を発車した電車が、やや左カーブを描きながらの勾配の途中の踏切。すぐ東側に「第二号踏切」があります。








下り電車は後追いになりますが、どうしても第二号踏切の障害検知器がど真ん中に来てしまう、と言う状態になる事が発覚。あるモノは気になりませんが、これだけ堂々と被ると頭は痛いです。




「高鷲第二号踏切」。このすぐ東側は藤井寺市になります。






準急以下の列車は藤井寺駅に停車するので、かなり低速での通過です。ちなみに時間は13時すぎ。この時間帯、特急は1時間に1本なので、なかなかうまい具合に当たりません。


恵我ノ荘駅と高鷲駅は、羽曳野市北部に当たります。南大阪線は羽曳野市を抜け、藤井寺市へ。


藤井寺球場の跡地には「四天王寺小学校・四天王寺東中学校・高校」が建ちました。当時を偲ばせるモノはものの見事に何もなく、僅かに「バッファくん」の記念モニュメントがあるだけ。大阪スタヂアム(大阪球場)もそうですが、もう少し「残し方」はあったと思うんですけどねぇ。




藤井寺駅の先に「第〇号」踏切は幾つかあります。幾つか回ってはみましたが、ピンと来るものはなく、まず腰を据えたのは「藤井寺第五号踏切」。奥に見えている森は「仲津山古墳」です。藤井寺駅方は直線ですが、古市駅方は、軽い下り勾配の急カーブになっています。かつてこの付近には「応神御陵前駅(1945年休止、1974年廃止)」があったそうです。






上り電車の迎え撃ち、下り電車の迎え撃ちと後追い、くらいしか出来ません。やはりここでも6両編成がいっぱいいっぱい。南大阪線のこの区間どこもそうですが、沿線に住宅が建ち並んでいるので、これが限度と思われます。なお「超望遠レンズ」は全く必要ありません。レンズキットで十分。




ここからは土師ノ里駅に向けて勾配が続きます。第五号踏切付近のカーブの、もう一方の「端」が「藤井寺第六号踏切」になります。住宅街の中の踏切なので、やや行きにくいかも知れません。






もう少し手前に寄せれば、阿部野橋行は6両すっぽり収まると思います。下り電車はまず無理ですの。3枚目の画像に踏切が写っていますが、これはその先の「第七号踏切」です。行ってみましょう。






で、行ってみたはいいんですが、第七号踏切の手前にあったのは「澤田八幡神社」。もろに境内の中を線路が走っています。これは大正時代に近鉄電車の前身「大阪鉄道」が、付近の集落を避けて仲津山古墳に沿って軌道を敷設した事によるもの。本殿はもちろん「線路の向こう側」になります。








下り電車は沿線の設備の影響で、迎え撃ちは出来ません。後追いも、電車が踏切を通過して遮断機が上がった後。かなりな急勾配なので速度は遅いですが、遅い分、遮断機が上がるのも遅いです。




さらに東側の「藤井寺第八号踏切」。阿部野橋行は下り勾配、古市方面は急な右カーブ。






この付近は、土師ノ里駅を頂点にした、ちょっとした峠になっている上、警報器・遮断機はありますが、こうやって小さな踏切も連続し、さらに見通しが悪いせいか、特急・急行はじめ全列車ともそんなにスピードは出しません。車輪を軋ませながらの走行になります。




藤井寺第九号踏切。このすぐ東側は土師ノ里駅です。










駅間もさして長くなく、前後の見通しが悪い、小さな踏切も多く急カーブ急勾配の連続。とても大阪市内から30分の通勤圏とは思えない電車の「遅さ」。古市駅から藤井寺駅にかけて、地図上ではかなり大回りをしていますが、やはりこれは古墳群や史跡を避けて鉄道を敷設した結果なんでしょうか。




土師ノ里駅を過ぎて、道明寺駅に至る下り勾配の途中に「土師ノ里第一号踏切」があります。








道明寺駅方のカーブでは4~6両編成は収まりますが、少し遠いので、やや迫力には欠けます。




道明寺駅のすぐ北側「土師ノ里第三号」にまでやってきました。もう完全に電車巡りと言うよりも「踏切巡り」になっています。土師ノ里駅からの勾配のふもとになります。ようやく平地です。












道明寺駅を発車してカーブを曲がって勾配に向かう、またその逆もじっくり観察出来ます。こんな線路状況なので、スピードは至って遅いです。が、やはりこの辺の市場は独占状態なので、「振り子電車」の計画でも出ぬ限り、当分はこのままだとは思います。




お昼寝から目覚めた26000系「さくらライナー」が午後の運用に入っていました。




土師ノ里第三号踏切でのラストカット。




土師ノ里第三号踏切離脱は15:30。日も長くなってまいりました、とは言うものの、撮影には不向きな時間帯が近付いてると言う事で、航空写真だけで「ここ」と決めた(それいいのか?)道明寺~古市間の畑の中の「道明寺第六号踏切」へ。一緒に写っているのは私の愛車です。








ここはもう、踏切北側の左カーブのみ、でも十分ではないかと思います。周囲に高い建物も一切なく、長閑な風景の中を電車は走ります。ある種一番南大阪線らしい沿線風景ではないかと思います。




この日一日、幾度となくお目にかかった16000系。残す所10両となり、先が見えてきましたが、出来る事なら引退直前には、登場当時の「オレンジに濃紺」に戻してもらえんでしょうか。




羽曳野市市街地の中に小さな踏切が二つ。「道明寺第七号踏切」と「同・第八号踏切」。隣接しているので、警報器の鳴り始め、遮断機の上げ下げのタイミングは全く一緒となっています。かつてこの付近には「誉田八幡駅(1945年休止、1974年廃止)」があったそうです。






隣接した踏切なので、どちらからどう撮影しようがあまり変わらないような気もします。




ラストです。古市駅北側、もうホームが見える所にある「道明寺第十号踏切」。








古市駅に到着・入線・出発・通過する列車をじっくり撮影する事が出来ます。




朝の8両編成特急の先頭に立っていた、南大阪線では2両しかない16010系。結局この日は朝から夕方までせっせと働いていました。もう少し我慢すれば、日常は戻って来るはず。お客さん満載で走れる日もすぐそこのはず。今は頑張る時期ではなく、節制と我慢の時期、と思っています。


この踏切をもちまして、この日の予想していた予定は終了しました。もう少し早起き出来てたら、もう少し時間をかけて回れたような気もしますが、せっかく自転車と言う「路地裏まで駆使出来る機動力」があるので「どうせならあそこもここも行っておこうかな」になった次第。


走行距離は38.1km、走行時間は2時間32分。ちょっと遅めのマラソンランナーと言ったところでしょうか。もちろん合間合間に「撮り鉄」を挟んでの記録なので、何の参考にもなりませんが。
いずれは明確な目的地を決めて、そこまでどれだけの数値で走る事が出来るか。ただの運動の一環ではありますが、野球が再開されるまでのある程度の「目標」みたいなモノは出来ました。
2020.05.13 / Top↑