第46回社会人野球日本選手権中国地区の2つの代表チームも決まり、後は出場チームの壮行試合の予定を待つばかりですが、さすがにその辺は、まだ代表が決まってない地区もあり、時期尚早とは思われます。ただ今年の場合は全代表が決定してから本選初日まで1か月もない、のが難点。

そんな、何もない快晴の月末5月31日、ゴロゴロしてては勿体無かろう、と言う事で、野球でもないのに早起きをして、京阪電車を撮りに行ってきました。場所は西三荘駅。京阪電車の誇る複々線区間内でも有数の、駅を含めた前後の区間に、比較的半径の小さいカーブが続く場所、でございます。


守口市駅で準急行から普通電車に乗り換えて1つ目、西三荘駅到着。この付近は線路がほぼ南北に走っているので、午前中はしばらく出町柳方面行列車を、ホーム終端付近から。さすがに著名な撮影地と言う事ではないけど、ホームにはこのようなただしがき、と言うか注意書きなあります。




もとよりホームや踏切からの撮影は、何かと邪魔になるもの。どこかで点字タイルの植えにズラリと三脚を並べている写真を見た事がありますが、基本的に点字ブロックの上にはモノを置いてはいけないルールになっているはず。ゆえに私が撮り鉄に出掛ける際は全てに於いて「手持ち」であります。


お昼を前にして、陽もかなり高くなってきたので、今度は淀屋橋方面行ホームへ移動。こちらに立つと、西三荘駅構内が緩やかなS字カーブを描いているのがよく分かります。以下、車両の紹介に関しては、午前中と午後の画像が入り混じっています。あくまで「撮り散らかし」ゆえ。


そして、隣の門真市駅は、近畿自動車道と大阪府道2号中央環状線、更に大阪モノレールと交差している都合上、複々線区間ながら地上駅となっており、カーブを描きながら勾配を駆け上がって来る様子を撮る事が出来ます。また、ここにも当然のように、撮影の際の但し書きが掲示されています。


西三荘駅には、普通電車と区間急行が停車します。入線はそれなりの低速ではありますが、点字ブロック内の撮影でも、運転士の方に対して、手を挙げて合図をする等の合図はした方がよいでしょう。もちろん、列車がホーム入線の際には一歩退く、乗車位置には配慮する、等々も必要です。


目の高さで撮影するもよし、しゃがみこんで撮ってみるもよし。遠目ではありますが、列車が門真市駅を発車・通過する様子が見えますので、列車接近の確認は比較的容易です。迎え撃ち、後追い何でもござれ。たいがいの列車は萱島駅以遠の発着なので、休む暇はないと言ってもよいでしょう。




2008年から始まった、京阪電車全車両におよぶ塗装の変更。既に京津線車両も含め、全て完了しています。現行塗装の上半分の緑は「レストグリーン」帯の緑は「フレッシュグリーン」と呼ぶそうです。淡くほんわかした感じの塗装が増えている現在の鉄道車両では、かなり引き締まって見えます。




1700系の登場以来続く、京阪特急伝統の赤と黄色のツートンカラーを、さらに進化させた8000系特急型電車、全く新しいコンセプトに基づいて登場した快速特急「洛楽」にも使用されている「新」 3000系セミクロスシート車。ブラックフェイスながらもよく見れば個性的な面々。




そして特急列車の先頭には、これもお馴染みとなった「鳩のマーク」。1952年に公募で採用されたこのマーク、来年で登場から60年。プレミアム・カーの車内デザインにも随所に取り入れられていますが、京阪電車の特急用車両の象徴であると共に、ある種の「プライド」のようにも思います。





すっかり定着した二代目3000系。最近知ったんですが、GKデザイン総研広島と言うデザイン会社が手掛けた車両だそうで。言われてみればどことなく、広島電鉄5000系グリーンムーバーや、1000系電車グリーンムーバーレックスに通じるところがあるようなないような。




急行以下の優等列車に使用されている車両も、投入された年代によって面構えはさまざま。ただ、最新の13000系電車以外は、近年はLED化されてはいますが、旧来の京阪電車のデザイン「先頭車上部左右に前照灯」の伝統(?)をしっかりと引き継いでいます。



昭和30年代(古くは昭和39年)から40年代に登場した2200系、2400系、2600系などの「昭和の顔」も、両数こそ減らしましたが、まだまだ急行列車や純急行などの最前線で活躍中です。



改造前の、正面の大きなヘッドライトとともに、京阪電車の一般型車両の第一印象は、卵形の車体断面、と言うご年配の方も多いはず。2019年まで大阪環状線で活躍した103系電車と言い、未だ活躍を続ける115系電車と言い、昭和中期の車両は丈夫に作られていたんでしょうね。




車体の更新改造が進み、前面窓は、すっとぼけた様なグレーの縁取りになりましたが、一部の車両は、窓周りは黒の縁取りのまま、さらには正面向かって左側の車掌席側は、これまた旧来の二段窓のまま、と言う車両も残っています。ちなみにこの段2枚目の2624は、1959年に製造され、1982年に形式消滅した2000系の2007号からの車体流用。登場から60年を越えました。




そして、個人的に推したい車両は、1967年(昭和42年)から製作された、二代目700系電車の車体を流用の上、京阪本線の昇圧(1983年/昭和58年に直流600Vから1500V)を前に、主要機器を一新、1977年(昭和52年)に登場した三代目1000系電車。




車体側面の窓が一枚一枚単独になっている、現在の京阪本線車両のなかでも、ちょっと目を引く二枚一組になっているユニットサッシ窓。二段窓は2200系、2400系、2600系にも残っていますが、この窓配置も何となく「昭和40年代」を感じる事が出来るかと思います。


今の京阪電車の話題としては、今年6月に予定されている、京橋駅のホームドア設置と同時に全車引退の決定している「 5扉車」5000系。中之島駅~萱島駅間の普通列車運用に入り、1時間に1回、上りか下りの何れかで見ることが出来ました。ちなみに運動その他は調べずに撮りに来ています。


もう開く事のない銀色の「ラッシュ用ドア」そしてもう上昇する事のない閑散時間帯用の座席。「働き者の日本人」を50数年間陰で支えてきた、昭和希代の名車も、間もなく終焉を迎えます。前日29日には、寝屋川車庫内で、引退記念イベントの一環として「洗車体験会」が行われたそうです。


さらには、遡る事4月には、淀車庫で撮影会も行われたそうですが、個人的には、通勤電車と言うモノは、普段の生活の中で人知れず朽ち果て、ひっそりと姿を消していくのが一番、とも思います。ただ出来れば、最後はラッピングでいいから、旧塗装に戻してくれぬものだろうか、とも思ったりします。

昭和中期の車両もあれば、令和生まれの車両もある。外観こそほぼ統一されてはいますが、よく見れば個性的な車両が顔を揃える京阪本線。この辺りは何となく南海高野線を連奏させます。よいのが撮れそうな「エロスを感じるカーブ」もまだたくさんあります。また機会があれば来てみます。


そんな、何もない快晴の月末5月31日、ゴロゴロしてては勿体無かろう、と言う事で、野球でもないのに早起きをして、京阪電車を撮りに行ってきました。場所は西三荘駅。京阪電車の誇る複々線区間内でも有数の、駅を含めた前後の区間に、比較的半径の小さいカーブが続く場所、でございます。




守口市駅で準急行から普通電車に乗り換えて1つ目、西三荘駅到着。この付近は線路がほぼ南北に走っているので、午前中はしばらく出町柳方面行列車を、ホーム終端付近から。さすがに著名な撮影地と言う事ではないけど、ホームにはこのようなただしがき、と言うか注意書きなあります。








もとよりホームや踏切からの撮影は、何かと邪魔になるもの。どこかで点字タイルの植えにズラリと三脚を並べている写真を見た事がありますが、基本的に点字ブロックの上にはモノを置いてはいけないルールになっているはず。ゆえに私が撮り鉄に出掛ける際は全てに於いて「手持ち」であります。




お昼を前にして、陽もかなり高くなってきたので、今度は淀屋橋方面行ホームへ移動。こちらに立つと、西三荘駅構内が緩やかなS字カーブを描いているのがよく分かります。以下、車両の紹介に関しては、午前中と午後の画像が入り混じっています。あくまで「撮り散らかし」ゆえ。




そして、隣の門真市駅は、近畿自動車道と大阪府道2号中央環状線、更に大阪モノレールと交差している都合上、複々線区間ながら地上駅となっており、カーブを描きながら勾配を駆け上がって来る様子を撮る事が出来ます。また、ここにも当然のように、撮影の際の但し書きが掲示されています。




西三荘駅には、普通電車と区間急行が停車します。入線はそれなりの低速ではありますが、点字ブロック内の撮影でも、運転士の方に対して、手を挙げて合図をする等の合図はした方がよいでしょう。もちろん、列車がホーム入線の際には一歩退く、乗車位置には配慮する、等々も必要です。




目の高さで撮影するもよし、しゃがみこんで撮ってみるもよし。遠目ではありますが、列車が門真市駅を発車・通過する様子が見えますので、列車接近の確認は比較的容易です。迎え撃ち、後追い何でもござれ。たいがいの列車は萱島駅以遠の発着なので、休む暇はないと言ってもよいでしょう。








2008年から始まった、京阪電車全車両におよぶ塗装の変更。既に京津線車両も含め、全て完了しています。現行塗装の上半分の緑は「レストグリーン」帯の緑は「フレッシュグリーン」と呼ぶそうです。淡くほんわかした感じの塗装が増えている現在の鉄道車両では、かなり引き締まって見えます。








1700系の登場以来続く、京阪特急伝統の赤と黄色のツートンカラーを、さらに進化させた8000系特急型電車、全く新しいコンセプトに基づいて登場した快速特急「洛楽」にも使用されている「新」 3000系セミクロスシート車。ブラックフェイスながらもよく見れば個性的な面々。








そして特急列車の先頭には、これもお馴染みとなった「鳩のマーク」。1952年に公募で採用されたこのマーク、来年で登場から60年。プレミアム・カーの車内デザインにも随所に取り入れられていますが、京阪電車の特急用車両の象徴であると共に、ある種の「プライド」のようにも思います。










すっかり定着した二代目3000系。最近知ったんですが、GKデザイン総研広島と言うデザイン会社が手掛けた車両だそうで。言われてみればどことなく、広島電鉄5000系グリーンムーバーや、1000系電車グリーンムーバーレックスに通じるところがあるようなないような。








急行以下の優等列車に使用されている車両も、投入された年代によって面構えはさまざま。ただ、最新の13000系電車以外は、近年はLED化されてはいますが、旧来の京阪電車のデザイン「先頭車上部左右に前照灯」の伝統(?)をしっかりと引き継いでいます。






昭和30年代(古くは昭和39年)から40年代に登場した2200系、2400系、2600系などの「昭和の顔」も、両数こそ減らしましたが、まだまだ急行列車や純急行などの最前線で活躍中です。






改造前の、正面の大きなヘッドライトとともに、京阪電車の一般型車両の第一印象は、卵形の車体断面、と言うご年配の方も多いはず。2019年まで大阪環状線で活躍した103系電車と言い、未だ活躍を続ける115系電車と言い、昭和中期の車両は丈夫に作られていたんでしょうね。








車体の更新改造が進み、前面窓は、すっとぼけた様なグレーの縁取りになりましたが、一部の車両は、窓周りは黒の縁取りのまま、さらには正面向かって左側の車掌席側は、これまた旧来の二段窓のまま、と言う車両も残っています。ちなみにこの段2枚目の2624は、1959年に製造され、1982年に形式消滅した2000系の2007号からの車体流用。登場から60年を越えました。








そして、個人的に推したい車両は、1967年(昭和42年)から製作された、二代目700系電車の車体を流用の上、京阪本線の昇圧(1983年/昭和58年に直流600Vから1500V)を前に、主要機器を一新、1977年(昭和52年)に登場した三代目1000系電車。








車体側面の窓が一枚一枚単独になっている、現在の京阪本線車両のなかでも、ちょっと目を引く二枚一組になっているユニットサッシ窓。二段窓は2200系、2400系、2600系にも残っていますが、この窓配置も何となく「昭和40年代」を感じる事が出来るかと思います。




今の京阪電車の話題としては、今年6月に予定されている、京橋駅のホームドア設置と同時に全車引退の決定している「 5扉車」5000系。中之島駅~萱島駅間の普通列車運用に入り、1時間に1回、上りか下りの何れかで見ることが出来ました。ちなみに運動その他は調べずに撮りに来ています。




もう開く事のない銀色の「ラッシュ用ドア」そしてもう上昇する事のない閑散時間帯用の座席。「働き者の日本人」を50数年間陰で支えてきた、昭和希代の名車も、間もなく終焉を迎えます。前日29日には、寝屋川車庫内で、引退記念イベントの一環として「洗車体験会」が行われたそうです。




さらには、遡る事4月には、淀車庫で撮影会も行われたそうですが、個人的には、通勤電車と言うモノは、普段の生活の中で人知れず朽ち果て、ひっそりと姿を消していくのが一番、とも思います。ただ出来れば、最後はラッピングでいいから、旧塗装に戻してくれぬものだろうか、とも思ったりします。


昭和中期の車両もあれば、令和生まれの車両もある。外観こそほぼ統一されてはいますが、よく見れば個性的な車両が顔を揃える京阪本線。この辺りは何となく南海高野線を連奏させます。よいのが撮れそうな「エロスを感じるカーブ」もまだたくさんあります。また機会があれば来てみます。
2021.06.01 / Top↑
野球と言う野球がことごとく現地観戦が出来ない状態にあります。尤も、プロ野球に関しては、積極的にチケットを取りに行ってない、と言うのもありますが、緊急事態宣言のお陰で近畿地方はほぼ全ての試合に於いて「非公開」となっているせいもあり、休暇ともなるとゴロゴロダラダラ過ごすだけ。
これではあまりにもよろしくない、と言う事で、万全の対策を講じた上で「撮り鉄」に出掛けてきました。この辺りは賛否両論あると思います。「不要不急やんけ」とも言われそうではありますが、今回の緊急事態宣言については、明らかに曖昧、そして不透明な部分が多すぎるが故の行動であります。

目的地は岡山駅周辺。山陽本線、赤穂線、伯備線は、JR西日本管内としては、下関地区同様「国鉄型電車の宝庫」。様々な改造を加えられ、国鉄時代と姿形は変わりましたが、やはりいずれは廃止しまうモノ。廃止前のつまらぬ騒ぎになる前に、行ける時には行っておこうと言う話、でございます。

まずは岡山駅手前の旭川を渡る鉄橋。岡山駅でレンタサイクル「駅リンくん」を借りての輪行。鉄橋の両側を行き来しようとすると、結構歩かねばならないので、これが一番かと思われます。また岡山市内には「ももチャリ」と言うコミュニティサイクルもあるので、使ってみてもよいかと思います。

まずは岡山駅東方にある、岡山気動車区を、線路越えの歩道橋から。とは言うものの、朝ラッシュの時間帯なので車庫内はほぼカラ、でございます。

タラタラ走る事約10分。「一級河川 旭川」の土手上に到着。冬場なら線路南側からが良いと思いますが、さすがに日の高い夏場。線路北側にある、岡山県道96号線の「岡北大橋」の上から狙う事に。

岡北大橋の中央付近には、このように「休憩所(?)」があるので、ここから撮るのもいいでしょう。但し、自転車の通過が多いので、邪魔にならぬよう気を付けましょう。

旭川の鉄橋は、いわゆるトラス鉄橋ではなく「プレートガーター鉄橋」なので、障害物を気にする事なく撮れます。以前は河川敷が樹木に覆われてましたが、10年程前に伐採され、すっきりしました。

朝ラッシュ時なので、列車も多く、編成も4両~7両編成と長いので見栄えはすると思います。すっかり短編成の運用が大半になってしまった213系電車も、朝ラッシュは6両編成で。グリーン車こそなくなってしまったものの、往年の快速「マリンライナー」を思い起こさせます。

日中は、山陽本線普通列車が毎時上下4本、赤穂線普通列車が毎時上下4本、そこに時折貨物列車も来る(ただし下調べはしてません)ので、飽きる事はないと思います。この先、いくつか撮れそうな所を回っていますが、いずれの箇所も食糧確保どころか、飲料の確保すら難しい場所ばかりとなっております。早めに買って行くか、携行していった方が良いかも知れません。

横からばかりでもちょっと飽きるので、鉄橋東側にある「川の上踏切」へ。踏切の幅はかなり狭いです。一応対面通行可に見えますが、大型車同士のすれ違いはギリギリ、もしくは譲り合いになるようです。それでいて交通量もかなり多いです。自家用車の駐車など望むべくもありません。


下り列車に関しては、西川原・就実到着前から警報器が鳴り出し、上り列車に関しても、下記の「堤外踏切」の警報器があるので、列車接近は容易です。その前に時刻表くらい調べて行け、って話ですが。


上記にもありますが、貨物列車も含め、かなりの本数の列車。さらにはかなり早めに警報器が鳴り出すので、意外に慌ただしく思えます。踏切の南北を行ったり来たり。


踏切東側はカープになっているので、300mm程度の望遠レンズがあれば、よさげなのが撮れると思います。ちなみに今回の撮影行、大半は標準レンズで撮っています。

障害物と言えば、鉄橋南側の、車両の窓の高さ辺りに横たわっている高圧線(?)ケーブル、さらには上下線の間に作業用の退避スペースがあるので、気になる方はにはお薦めしません。

朝ラッシュを過ぎ、陽も高くなってきたので、鉄橋西側にある「堤外踏切」へ。こちらは上記の川の上踏切にも増して狭く、完全に譲り合い通行。自転車は踏切の傍らにある作業用スペースに。




列車の編成も、ほとんどが2~4両と短いので、見栄えはしません。



しかしながら貨物列車は、長大編成が多いので、先頭の機関車が踏切に差し掛っても、最後部が西川原・就実駅を通過し切れない様子を見ることが出来ます。


特に、福山通運のコンテナのみを搭載した「福山レールエクスプレス」、また、編成の大半を西濃運輸のコンテナで占められた「カンガルーエクスプレス」は流石に見栄えがします。


お昼時も近くなってきたので、市内繁華街に移動しながら、土手を下る築堤の梺にある「平畔踏切」へ。かねてから新幹線で岡山駅に差し掛かる際、気になっていた踏切です。



坂の多い住宅街の中にあるので、周辺の見通しはあまり良くありません。貨物列車を最後部まで入れる事など、望むべくもありません。どちらかと言えば旅客列車向きでしょうか。
午後は、山陽本線庭瀬駅~中庄駅間の、足守川を渡る鉄橋付近。十数年前に何度か出掛けた事はある場所です。6月21日の「夏至」を控えた、日照時間が年間で一番長い時期、普段は来れぬ所ゆえ、日のある限りは行っておこうと。こんな機会なんざそうそう訪れる事もないですからね。

庭瀬駅南口を出て、踏切を渡って西に向かいます。残念ながら、思いつくまま歩いているので、沿道の様子は一切撮影していません。地図上で、山陽本線線路の北側にある橋を目指しましょう。



庭瀬駅から歩くことおおよそ25分「矢部川西堤踏切」到着。上記の2か所の踏切よりも更に狭く、軽乗用車すら譲り合わないと通過出来ないような狭さ。自転車は何とかかんとか、踏切たもとの作業用スペースへ。


ほっと一息落ち着いて、一番最初にやってきたのは、水島臨海鉄道東水島駅発西岡山駅行の貨物列車。貨物ターミナルの入れ替えすらも、最新鋭のHD300型に置き換えられつつある中、今ではかなり珍しくなったと思われる、DE10型ディーゼル機関車の本線走行。



ここも、山陽本線の列車が日中は毎時上下計6本、伯備線の普通列車が毎時上下4本、特急列車が、減便されていますが毎時2本、さらには、下調べこそしてませんが、随時貨物列車もあったりで、飽きが来ることはないとは思われます。ただ、食糧確保は岡山駅周辺がよいかと思います。



西岡山駅以西の山陽本線貨物列車は、大半がEF210型に置き換えられてしまいましたが、そのEF210型も、瀬野~八本松間の後押し補機兼用の、金帯を締めた300番台が幅を利かせるようになり、またサイド全体に白線を締めた車両も見られ、以外にバラエティに富むようになりました。


ここでは、線路北側に高圧線ケーブルの束があるので、上り列車の後追い撮影には気を遣います。



夕方のラッシュ時間帯を控え、本数も徐々に多くなり、。岡山電車区、また岡山駅構内で休んでしいた117系電車を使用した快速「サンライナー」が走るようになりました。


ここでの目玉はやはり、全国でもここだけになった、381系国鉄型特急車両を使った「やくも」号。新型コロナウイルス感染症の影響で、編成も短くなり、減便もされていますが、やはり特急列車は本線の「華」。


もうひとつの目玉は、編成こそ短いものの、JR貨物では愛知機関区に集中配置されているEF64の1000番台で運転されている、西岡山駅発伯耆大山駅(近隣に王子製紙米子工場あり)行の貨物列車。伯耆大山行は原材料、西岡山行は紙製品を満載しています。

「晴れの國・おかやま」と申しますが、いまいちスッキリ晴れないまま一日が終わってしまいました。しかしながらこれもまた「日常の一部」。昨年もこの時期に、色々と撮って回りましたが、森羅万象全て安泰、とはいきません。普段とは違う場所で「日常」を収めるもまた一興、と考えております。
これではあまりにもよろしくない、と言う事で、万全の対策を講じた上で「撮り鉄」に出掛けてきました。この辺りは賛否両論あると思います。「不要不急やんけ」とも言われそうではありますが、今回の緊急事態宣言については、明らかに曖昧、そして不透明な部分が多すぎるが故の行動であります。


目的地は岡山駅周辺。山陽本線、赤穂線、伯備線は、JR西日本管内としては、下関地区同様「国鉄型電車の宝庫」。様々な改造を加えられ、国鉄時代と姿形は変わりましたが、やはりいずれは廃止しまうモノ。廃止前のつまらぬ騒ぎになる前に、行ける時には行っておこうと言う話、でございます。


まずは岡山駅手前の旭川を渡る鉄橋。岡山駅でレンタサイクル「駅リンくん」を借りての輪行。鉄橋の両側を行き来しようとすると、結構歩かねばならないので、これが一番かと思われます。また岡山市内には「ももチャリ」と言うコミュニティサイクルもあるので、使ってみてもよいかと思います。


まずは岡山駅東方にある、岡山気動車区を、線路越えの歩道橋から。とは言うものの、朝ラッシュの時間帯なので車庫内はほぼカラ、でございます。


タラタラ走る事約10分。「一級河川 旭川」の土手上に到着。冬場なら線路南側からが良いと思いますが、さすがに日の高い夏場。線路北側にある、岡山県道96号線の「岡北大橋」の上から狙う事に。


岡北大橋の中央付近には、このように「休憩所(?)」があるので、ここから撮るのもいいでしょう。但し、自転車の通過が多いので、邪魔にならぬよう気を付けましょう。


旭川の鉄橋は、いわゆるトラス鉄橋ではなく「プレートガーター鉄橋」なので、障害物を気にする事なく撮れます。以前は河川敷が樹木に覆われてましたが、10年程前に伐採され、すっきりしました。


朝ラッシュ時なので、列車も多く、編成も4両~7両編成と長いので見栄えはすると思います。すっかり短編成の運用が大半になってしまった213系電車も、朝ラッシュは6両編成で。グリーン車こそなくなってしまったものの、往年の快速「マリンライナー」を思い起こさせます。


日中は、山陽本線普通列車が毎時上下4本、赤穂線普通列車が毎時上下4本、そこに時折貨物列車も来る(ただし下調べはしてません)ので、飽きる事はないと思います。この先、いくつか撮れそうな所を回っていますが、いずれの箇所も食糧確保どころか、飲料の確保すら難しい場所ばかりとなっております。早めに買って行くか、携行していった方が良いかも知れません。


横からばかりでもちょっと飽きるので、鉄橋東側にある「川の上踏切」へ。踏切の幅はかなり狭いです。一応対面通行可に見えますが、大型車同士のすれ違いはギリギリ、もしくは譲り合いになるようです。それでいて交通量もかなり多いです。自家用車の駐車など望むべくもありません。




下り列車に関しては、西川原・就実到着前から警報器が鳴り出し、上り列車に関しても、下記の「堤外踏切」の警報器があるので、列車接近は容易です。その前に時刻表くらい調べて行け、って話ですが。




上記にもありますが、貨物列車も含め、かなりの本数の列車。さらにはかなり早めに警報器が鳴り出すので、意外に慌ただしく思えます。踏切の南北を行ったり来たり。




踏切東側はカープになっているので、300mm程度の望遠レンズがあれば、よさげなのが撮れると思います。ちなみに今回の撮影行、大半は標準レンズで撮っています。


障害物と言えば、鉄橋南側の、車両の窓の高さ辺りに横たわっている高圧線(?)ケーブル、さらには上下線の間に作業用の退避スペースがあるので、気になる方はにはお薦めしません。


朝ラッシュを過ぎ、陽も高くなってきたので、鉄橋西側にある「堤外踏切」へ。こちらは上記の川の上踏切にも増して狭く、完全に譲り合い通行。自転車は踏切の傍らにある作業用スペースに。








列車の編成も、ほとんどが2~4両と短いので、見栄えはしません。






しかしながら貨物列車は、長大編成が多いので、先頭の機関車が踏切に差し掛っても、最後部が西川原・就実駅を通過し切れない様子を見ることが出来ます。




特に、福山通運のコンテナのみを搭載した「福山レールエクスプレス」、また、編成の大半を西濃運輸のコンテナで占められた「カンガルーエクスプレス」は流石に見栄えがします。




お昼時も近くなってきたので、市内繁華街に移動しながら、土手を下る築堤の梺にある「平畔踏切」へ。かねてから新幹線で岡山駅に差し掛かる際、気になっていた踏切です。






坂の多い住宅街の中にあるので、周辺の見通しはあまり良くありません。貨物列車を最後部まで入れる事など、望むべくもありません。どちらかと言えば旅客列車向きでしょうか。
午後は、山陽本線庭瀬駅~中庄駅間の、足守川を渡る鉄橋付近。十数年前に何度か出掛けた事はある場所です。6月21日の「夏至」を控えた、日照時間が年間で一番長い時期、普段は来れぬ所ゆえ、日のある限りは行っておこうと。こんな機会なんざそうそう訪れる事もないですからね。

庭瀬駅南口を出て、踏切を渡って西に向かいます。残念ながら、思いつくまま歩いているので、沿道の様子は一切撮影していません。地図上で、山陽本線線路の北側にある橋を目指しましょう。






庭瀬駅から歩くことおおよそ25分「矢部川西堤踏切」到着。上記の2か所の踏切よりも更に狭く、軽乗用車すら譲り合わないと通過出来ないような狭さ。自転車は何とかかんとか、踏切たもとの作業用スペースへ。




ほっと一息落ち着いて、一番最初にやってきたのは、水島臨海鉄道東水島駅発西岡山駅行の貨物列車。貨物ターミナルの入れ替えすらも、最新鋭のHD300型に置き換えられつつある中、今ではかなり珍しくなったと思われる、DE10型ディーゼル機関車の本線走行。






ここも、山陽本線の列車が日中は毎時上下計6本、伯備線の普通列車が毎時上下4本、特急列車が、減便されていますが毎時2本、さらには、下調べこそしてませんが、随時貨物列車もあったりで、飽きが来ることはないとは思われます。ただ、食糧確保は岡山駅周辺がよいかと思います。






西岡山駅以西の山陽本線貨物列車は、大半がEF210型に置き換えられてしまいましたが、そのEF210型も、瀬野~八本松間の後押し補機兼用の、金帯を締めた300番台が幅を利かせるようになり、またサイド全体に白線を締めた車両も見られ、以外にバラエティに富むようになりました。




ここでは、線路北側に高圧線ケーブルの束があるので、上り列車の後追い撮影には気を遣います。






夕方のラッシュ時間帯を控え、本数も徐々に多くなり、。岡山電車区、また岡山駅構内で休んでしいた117系電車を使用した快速「サンライナー」が走るようになりました。




ここでの目玉はやはり、全国でもここだけになった、381系国鉄型特急車両を使った「やくも」号。新型コロナウイルス感染症の影響で、編成も短くなり、減便もされていますが、やはり特急列車は本線の「華」。




もうひとつの目玉は、編成こそ短いものの、JR貨物では愛知機関区に集中配置されているEF64の1000番台で運転されている、西岡山駅発伯耆大山駅(近隣に王子製紙米子工場あり)行の貨物列車。伯耆大山行は原材料、西岡山行は紙製品を満載しています。


「晴れの國・おかやま」と申しますが、いまいちスッキリ晴れないまま一日が終わってしまいました。しかしながらこれもまた「日常の一部」。昨年もこの時期に、色々と撮って回りましたが、森羅万象全て安泰、とはいきません。普段とは違う場所で「日常」を収めるもまた一興、と考えております。
2021.05.29 / Top↑